第1章 1 戦前期、国道2号線沿いの変貌

項目詳細
表題戦前期、国道2号線沿いの変貌
作成年月日'1929~
作成者(差出人)
受取人
出所溝口銀二郎氏
出所番号325
受入番号102
資料番号9
書籍版掲載番号書籍3
内容溝口歯車の工場全景。おそらく阪神国道神崎大橋停留所付近からの撮影。

解説
 溝口氏の工場建築は1929年。1926年(大正15)開通したばかりの国道2号線の西側に面していた。西淀川区では、海岸に近い方に日悪的規模の大きい化学工場や鉄鋼業が立地していた中、中堅的な機械加工工場として特色をしめしていた。附近には手入れが行き届いた農地がまだ広がっており、一番乗りの工場として前ページの地形図にも描かれている。
 工場からは、南にある淀川大橋を渡れば大阪の中心部に、西に向かえば尼崎・西宮・神戸まで一直線に行けた。経営者としては交通の便に着目した結果であろう。
 写真にみられるように、道路には歩道が付けられ、街路樹が植えられ、電柱も立ち並んでいた。道路には阪神電鉄国道線が中央を走り、職工や事務員の通勤にも使われたと考えられる。1937年日中戦争が本格化する戦時下には区画整理事業の進捗と同時に中堅的な工場や小規模工場の進出があり、それに付随するような形で、あるいは宅地の建設が進み、労働者・事務員相手の小商店もできていく。一方、銀行支店や会社経営による商業的な事業所も開業し、学校などの公共施設も建っていく。この地域は1930年代半ばにかけ、工業地域へと変化し、景観も農業的なそれから工業地域的なそれへと大きく変わっていく。

 

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