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ブログカテゴリー » 資料館(エコミューズ)

追手門学院大学社会学部社会問題コース フィールドワーク(11/16)

11月16日(土)に、追手門学院大学社会学部社会問題コースのみなさんと西淀川でフィールドワークを行いました。

午後1時に教授・学生の5名が出来島駅に集合し、西淀川公害の概要と当日のスケジュールについて説明を行った上で、フィールドワークが開始されました。今回は、国道43号線・出来島小学校・千北診療所・あおぞら苑・大和田街道・大野川緑陰道路の見学を行いました。あいにくの雨でしたが、説明を聞いたり実際に公害への取り組みを見たりしながら和気あいあいとした雰囲気で進められました。

沿道環境を良くするための取り組みを探しました

こんなところにも工夫がされています

 

あおぞら苑には「公害と闘い環境再生の夢を」という石碑が残されています

大阪マスジドにも立ち寄りました 西淀川には多くの外国人の方も住んでおり、色々な国の文化に触れることもできます

緑陰道路を歩きました

あおぞら財団に到着後はワークショップのフォトランゲージを行い、西淀川公害に関する講義を受けたうえで、公害患者さんから直接お話を伺いました。

写真にタイトルをつける「フォトランゲージ」です。的確なタイトルや面白いタイトルがつけられていました

公害患者の方との質疑応答も行われました

研修を通して学んだこと

これから考えたいことについて

普段当たり前になっている青空も、これまでの苦労と取り組みがあったからこそ日常になったものです。環境改善のための取り組みを実際に見たり、公害患者さんから公害についてのお話を聞くことで、より深い理解になったのではないかと思います。

今回初めてフィールドワークに参加してみて、青空を当たり前に変えていく大変さと大切さを改めて強く感じることが出来ました。また、史資料を読んでいるだけでは感じられないことを、このフィールドワークを通じて学ぶことが出来ました。

(スタッフ大島)

 

Filed under: イベント報告・ホームページ更新,環境学習,視察受入,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2024年11月20日5:35 PM

日本弁護士連合会 公害環境委員会 現地研修の受入れ(10/12)

10月12日(土)、日本弁護士連合会公害環境委員会の主催で「西淀川大気汚染公害被害地域現地研修」を受け入れました。法科大学院生や若手弁護士が参加し、「西淀川の過去の公害の痕跡と公害対策をめぐる」をテーマにフィールドワークを行いました。参加者5人、引率3人の計8人でした

午前中は、大阪弁護士会館にて村松昭夫弁護士(あおぞら財団理事長)の「公害・環境訴訟を闘って」という講義が行われました。

講義で、西淀川公害訴訟について理解を深めた後、実際に西淀川へ移動し、阪神出来島駅からあおぞら財団までの間、公害にまつわる各所をまわり、街の様子を肌で感じていただきました。

<フィールドワーク>

●国道43号沿道

土曜日ながらも大型車が多い国道43号。交通量の多さや騒音、騒音壁やPM2.5の測定、阪神高速湾岸線への誘導策(環境ロードプライシング)といた環境対策を確認しました。

国道43号の出来島小学校前

●淀中学校

1966年に一般環境大気測定局が設置され、二酸化窒素や一酸化窒素などの大気汚染物質が常時測定されていましたが、2000年の校舎建て替えに伴い撤去されました。その後も再設置されていません。

参考|記録で見る大気汚染と裁判「淀中学校の取組み」

4年前まで一般環境大気測定局があった淀中学校

●千北診療所(公害患者さんの組織化の原点)

かつて西淀川公害患者会の事務局があった千北診療所

●あおぞら苑

デイサービスセンター。公害患者の高齢化に伴う日々の生活の援助を目的として、西淀川公害裁判の和解金を活用して、2006年にオープンしました。施設前には大気汚染公害を伝える石碑が立てられています。

デイサービスセンターあおぞら苑

「公害と闘い環境再生の夢を」

●大阪マスジド

高度経済成長期には全国から「金の卵」と呼ばれた若年労働者が集まり、多くの人が公害病になりました。現在は海外から多くの人が働きに来ていて、地域コミュニティとの共生、災害時の対応など様々な課題もあります。

西日本最大級のモスク「大阪マスジド」

●大野川緑陰道路

1960年代にはドブ川であった大野川を埋め立てて自動車道になる計画がありましたが、住民の反対運動により緑の道に生まれ変わりました。

かつてドブ川、今は緑生い茂る歩行車自転車専用道路

<あおぞら財団の紹介、公害語り部>

フィールドワーク後、あおぞら財団に戻り、西淀川公害の歴史や財団についての説明を谷内より行いました。

続いて、公害患者の岡崎久女さんが体験談を語ってくださいました。

岡崎さんは、ご自身だけでなく、息子さんも公害患者でした。今では医学が進歩して薬で公害病とうまく病状と付き合うことができていますが、当時は、あまりにも苦しかった病状のせいで、息子と無理心中をしようとしたことや、出産を諦めたことなど辛い体験を語ってくれました。

西淀川裁判に原告のひとりとして参加したことについて、こんな境遇にさせられたことに対して企業や道路管理者にとにかく謝って欲しかったという岡崎さんの強い想いを話していただきました。

西淀川公害およびあおぞら財団の紹介:谷内

公害患者のお話:岡崎久女さん、上田敏幸さん(西淀川公害患者と家族の会)

真剣に話を聞く参加者たち

西淀川・公害と環境資料館 エコミューズも見学しました。

エコミューズには、公害裁判資料や公害反対運動等に関する資料が6万点以上あります。

裁判資料を見る参加者たち

法律家の仕事は条文や判例など文字でのやり取りが多いと思います。公害の被害を受けた頃から終わることなく、ずっと続いている日々の想いを患者さんの口から伝えていただいたことは、すごく貴重な体験になったのではないでしょうか?

また、参加者の中には、これから法律家を目指す法科大学院生の方もおられました。このフィールドワークでの経験を活かして、当事者に寄り添う法律家になっていただけることを祈っています。

<参加者のみなさんの感想>

・岡崎さんの「とにかく謝って欲しかった。」という発言を聞いて、原告当事者の一貫した思いを受け止めることは大事にしたいと思った。

・公害被害者の方も高齢になられたり、亡くなったりと、次の世代に伝承していくことが急務だと思った。

・現場を見る事、当事者の話を聴くことが弁護活動の出発点と、再認識した。

・和解的解決の重要性を学んだ。PM2.5の測定を和解条項に盛り込み、それがその後の環境基準の制定につながるなど、西淀川訴訟はその後の環境政策に大きな影響を与えたことを改めて学びました。

(アルバイト 岸本景子、スタッフ 谷内久美子)

龍大清水ゼミ  公害患者の家族の方へのインタビュー映像撮影(2024/10/18)

2022年から龍谷大学政策学部清水ゼミの2年生が公害患者さんのお話を聞き、映像やテキストで残す活動をおこなっています。
https://aozora.or.jp/kougai_lecture/tool/oral_history/#gakusei

今年の2年生は、すでに2回あおぞら財団を訪れ、様々な学びをおこなっています。
https://aozora.or.jp/archives/41661
https://aozora.or.jp/archives/41549

2024年10月18日は、3つの班に分かれ
そのうちの1班が、映像の撮影を行いました。

西淀川在住の映画監督・岸本景子さんはじめ、音響の平川さん、脚本の堤さんの指導のもと
午前中は、機材の使い方や撮影の基本、インタビューについて学んでいました。

音声担当の役割を教えてもらっています

音声担当の役割を教えてもらっています

画角などカメラの扱い方を教えてもらっています

午後からは、他の班の学生の協力も得て
西淀川公害患者と家族の会の山下晴美さんのお話を撮影しました。
最初はぎこちなく撮影していましたが、徐々にチームで連携しながら取り組んでいきます。

インタビュアーの学生さんは、お話を聞く難しさを感じながらも
岸本監督からの「相手の答えにさらにもう一言返す」というお題に応えるようとがんばっていました。

インタビューの撮影

山下さんのお話は、公害の話はもちろんありましたが、その中からあふれてくる家族への愛を非常に感じた話でした。

この後、学生さんたちは1つの映像作品をつくっていきます。
話を伺う、それを形にしていくなかで、わからないことなどに直面して、さらなる学びにつながっていくのだと思います。

こうした取り組みを始め、学びの場を作る上では、丁寧に関係をつくりながら行っていかなければならないと思っています。
公害患者さんはじめ、さまざまな方のお話を伺うこと、それを残すことの意味や、取り組みについて、今後も一緒に考えていけたらと思いました。

山下さんを囲んで記念撮影

(補助スタッフ 白神加奈子)

 

※この動画作成の取組みは、(独法)環境再生保全機構地球環境基金助成金を活用しています。

Filed under: イベント報告・ホームページ更新,環境学習,視察受入 — aozorafoundation 公開日 2024年10月28日4:36 PM

エコミューズ企画展 みてアート2024に参加(11/2-3)

11月2日(土)、3日(日)に開催される「みてアート2024」に、あおぞら財団付属 西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)として参加します!
「みてアート」は、アートをきっかけに地域で交流しようと始まったイベントで、あおぞら財団で事務局をつとめています。

「資料アーカイブスでたどる西淀川公害の半世紀~工業地域化する西淀川区~」と題して、都市近郊の農漁村であった西淀川が日本有数の公害地域へと激変する過程を写真と共にお伝えします。

■西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)による企画展
「資料アーカイブスでたどる西淀川公害の半世紀~工業地域化する西淀川区~」

場所:あおぞらビル5階(〒555-0013 大阪市西淀川区千舟1丁目1番1号あおぞらビル4階)
日時:11.2(土)11:00-16:00 11.3(日)11:00-16:00
入場無料
https://www.aozora.or.jp/ecomuse/

※企画展の実施には、(独法)環境再生保全機構地球環境基金助成金を活用しています。

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今回のみてアート2024では、西淀川の大気汚染公害を題材にしたアート作品が製作・展示されています。
是非、アート作品を通して、西淀川の大気汚染公害に思いを馳せてください。

●mizutama「Beneath The Blue Sky」
mizutamaは、西淀川区に響く音を利用した作品をあおぞら財団の資料室で展示します。大気汚染等の環境問題における文脈や音に結びつく地域の記憶が入り混ざり、新たな音像が立ち上がります。
会場=あおぞらビル 6階(エコミューズの書庫)
周遊パスポート=500円(税込)が必要です。

●村田のぞみ「アケルナルの光をみる」
美術家・村田のぞみは西淀川公害にまつわるアートプロジェクトの取り組みとして、地域が持つ歴史的文脈や人々の声、リサーチをベースにした参加型作品の制作を行います。
会場=大野川緑陰道路(福住吉神社前)(Google Map
観覧無料

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みてアート2024
2024年11.2(土)-3(日・祝)
公式ホームページ
https://miteart.blogspot.com/
開催概要
https://miteart.blogspot.com/2024/09/2024112-3.html
拠点詳細情報
https://miteart.blogspot.com/2024/10/2024.html

同時期イベント
11.2(土)~11.3(日・祝)「ニシヨドパビリオン」でつながろう
令和6年度西淀川区アート事業
https://nishiyodo-art.com/information/pro2024/
11.2(土)~11.4(月・振休)みてみて
みてアートサテライト企画
https://nishiyodo-art.com/information/mitemite
11.4(月・振休)野外音楽フェスティバルin矢倉緑地
https://nishiyodoongakusai.blogspot.com/…/11420242-in.html
11.1(金)~11.5(火)にしよどバル
https://www.city.osaka.lg.jp/nishiyodogawa/page/0000634034.html
さんよど大文化祭
https://miteart.blogspot.com/2024/10/2024_5.html
#西淀川芸術祭
#みてアート
#みてアート2024
#さんよど大文化祭
#おもろいわ西淀川
#にしよど
#魅力発信サポーター

Filed under: イベント案内,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 3:37 PM

西淀川公害=資料の紹介(8)大野川緑陰道路の建設へ

※機関誌りべらで連載をしている所蔵資料紹介コーナーの転載記事です(りべら166号より転載)。

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大野川緑陰道路の建設へ―憩いと落ち着きを求める住民運動の高揚―

人びとに憩いと落ち着きを与え、現在西淀川区民の誇りともなっている「大野川緑陰道路」。この広大な緑地帯の建設は、1970年(昭和45)10月13日大阪市が「阪北水路、歌島運河、中島水道、大野川を埋めて全面緑地帯とする」との意向を「緑地化推進委員会」に明らかにしたときほぼ確定した。

「緑陰道路」建設の運動は、1969年5月の「緑地化推進委員会」設立とともにあった。同会は、5月9日の第1回打ち合わせ会で「協力して運動をやろう」との趣旨のもと、当時の社会・公明・民社そして共産党の思想や政策上の違いを乗り越えて設立されたと言われている。彼らは最終的には2万人を超す署名を集め、それを基盤に、一丸となって大阪市に働きかけていった。代表の喜多幡龍次郎の周りには日赤奉仕団・工場経営者・主婦・総評西淀地区協議会・大阪市教職員組合西大阪支部・市労連西淀川地区協議会など、労組をはじめ多様な人びとが住民として集まった。かれらが運動を始めたきっかけは原料や製品の運搬手段としても、稲作の用悪水路としても用をなさなくなり、どぶとなって悪臭と不快の発生源と化していた水路の跡地が自動車道路になることを聞き出したことであった。彼らは、それは悪化した区内の自然環境をさらに悪化させるもので、住民にはそれを耐え忍ぶ義務はないとして、その計画を拒否した。そして、区内のすべての地域において人間らしさを取り返す可能性をもつ緑道建設を求めたのである。「全面緑地帯とする」との市の言明までは、運動を始めて1年半ほど。市政も市民の気持ちを無視できなくなっていた時代であった。

写真は1971年7月、九分通り全面的な緑地化が実現することが見えてきたときに発行されたビラである。そこには「全長6.2キロの河を埋め立て、幅20メートル~50メートルの緑地帯をつくる」と誇らし気に書かれ、「自分たち(住民)こそが市政の主人公である」との自信にみちた文字が記されている。

10月13日など、緑陰道路にちなむ日にはそこに出て、この時の住民意識・運動に思いを馳せてみてはいいかがであろうか。

緑地化ニュース

喜多幡龍次郎氏資料 NO.343-10

エコミューズ館長 小田康徳

Filed under: 西淀川公害がわかる資料集をつくろう,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2024年10月24日5:05 PM
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