5月11日(日)、京都産業大学法学部の焦先生とゼミ生のみなさん32人と西淀川の公害と地域再生を学ぶ研修を実施しました。当日の様子についてお伝えします。
今回の研修では、フィールドワーク、所蔵資料を用いたフォトランゲージのワークショップと講義を行い、公害患者の山下明さん・晴美さんからもお話をうかがいました。また、併設する西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)の見学も実施しました。
研修後、参加者の皆さんからは西淀川のところどころに施された環境対策を実感する声や、公害・環境問題を自分事として捉えたいという声が寄せられ、西淀川の過去と現在を考えることができました。
フィールドワーク
午前9時に阪神「出来島」駅に、焦従勉先生と学生の皆さんが集合し、講師・案内役の谷内から西淀川区と公害の概要を説明したうえで、フィールドワークを開始しました。
今回のコースは、出来島駅から国道43号、出来島小学校、あおぞら苑、千北診療所、大阪マスジド、大野川緑陰道路、あおぞら財団のルート。国道43号沿いをはじめとして、西淀川にはさまざまな環境対策が施されています。
大気中のPM2.5を測定する装置や遮音壁のほか、緑化帯もその一つ。西淀川ではかつて一晩で朝顔が枯れてしまうほど激烈な大気汚染に見舞われましたが、現在は緑が多くなっていることを学生さんが見つけてくれました。
あおぞら苑では公害患者さんのデイケアを行っています。その脇には、「公害と闘い環境再生への夢を」と彫られた石碑が。大気汚染裁判の原告団長だった森脇君雄さんの「にぎわいと穏やかなくらし、自然豊かな風景をとりもどすためのたたかいは続く」という言葉が地域再生とは何かを問いかけます。
一方、大阪マスジドはイスラム教のお祈りをする場所。そして、大野川緑陰道路沿いには新しいマンションが立ち並びます(もとはどのように利用されていた場所なのでしょうか)。フィールドワークを通して「公害から再生をしていく西淀川」と交差する、「多様で変わりゆく西淀川」のイマを考えました。
フォトランゲージ
あおぞら財団に到着後は、フォトランゲージを行いました。公害を記録した写真に自分たちならどんなタイトルをつけるのか。6つの班に分かれて考えていただきました。
たとえば、病院の前に並ぶ人々を映した白黒の写真に対して、班の皆さんがつけたタイトルは「夕暮れの病院」。診療時間内では収まりきらないほど公害被害が広がっていたのではないか。けれどその写真は、朝方の病院前を映したものでした。喘息の発作は夜や明け方に多く、診療時間の前から多くの人が列をつくっていたのです。
感じたことを言葉にして、公害について想像したことをお互いに交換し合い、そして想像をこえる実際の様子を学ぶことができました。
西淀川公害についての講義
講義では、西淀川の公害の歴史を説明しつつ、公害裁判を通じて生まれたパートナーシップや、公害から地域を再生する取り組みを紹介しました。
フィールドワークで訪れた大野川緑陰道路は自動車専用道路への反対運動の成果として作られました。あおぞら財団も和解金を一部に設置され、いまも「公害地域再生」のための取り組みを行っています。参加者の皆さんにとっては、午前中のフィールドワークを振り返る時間になったようです。
公害患者さんのお話
研修の最後に、公害患者の山下明さん・晴美さんご夫妻から、ご自身の体験をお話いただきました。
明さんは、大気汚染によってぜん息を発症し、日々発作に苦しみながら働き続けたこと、発作による心肺停止のあとご家族に感じた「申し訳なさ」について、いまも続く公害の影響についてお話をくださいました。
晴美さんは、大阪・西淀川に来て気付いた大気汚染のこと、発作に苦しめられながら仕事に向う明さんを送り出す「辛さ」について、今年になりぜん息を発症して気づいたことをお話しくださいました。
また、同席された西淀川公害患者と家族の会の事務局長・上田敏幸さんから、公害健康被害補償法の仕組みと、追加の被害者認定がされない法律の不作為について、ご説明をいただきました。
参加者の皆さんからは、
「自分が想像していたよりもつらくて悲しい歴史」で「自分も苦しくなった」
「『何かしんどいことがあればできるかぎり力になりたい』という皆さんたちの言葉は、とてもすてきな言葉だと思った」
「私は体験したことがないため、気持ちを理解することはできないものの、ぜんそくは本当に苦しい。次の世代が同じ思いをしないようにと、取り組みをしてくださる患者の方々に感謝したいです」
をはじめ、沢山の感想をいただきました。
エコミューズの見学
研修後、エコミューズの展示室を谷内が、収蔵庫を学生スタッフの王と関谷がご案内しました。
資料館では現在、西淀川公害を考えるための資料集の作成に取組んでいます。そのための続けている資料の整理作業について説明し、西淀川の資料が西淀川にあることの大切さについてお伝えしました。
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今回、研修に付き添いで参加させていただいて、たくさんの発見がありました。
堤防に向って上がっていく土地のこと、街なかや緑陰道路の脇にのこる大きな工場だった場所の規模感、たくさんの人が暮らしてきて・らしている街のこと、そのすぐ隣り合わせのところに公害の影響と被害があったということ。すべて現地を歩いてみないとわかりません。
そして晴美さんの「お父さん、(発作でしんどい状態で)仕事に行くと死んでしまうから行かんといて」という言葉、明さんの「子どもや孫たちが被害を受けないように、できることをしていきたい」という言葉が、とてもとても心に残りました。
感想としていただいた京産大の皆さんが言っていたこと、「現在の問題に向き合っていきたい」「次の世代に伝えていきたい」という言葉に強く共感しています。
鉄鋼、ガラス、電気やガス、公害訴訟の被告となった企業は、私たちの生活に欠かせないモノを作っている会社です。私たちの暮らしは加害とその歴史のうえに成り立っているといえます。公害は昔のこと、終わったことと背を向けるのではなく、自分のこととして考えて社会づくりに参加していきたいです。
(エコミューズ アルバイト 関谷洸太)