※あおぞら財団は、にしよど親子防災部の事務局をしています。
4/12(土)に、5回目のLet’s にしよど防災さんぽを開催しました。
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4/12(土)に、5回目のLet’s にしよど防災さんぽを開催しました。
午後からの雨、おかげであまり暑い感じでもなく、寒いというほどのこともない。新人のアルバイト・コウタくんはあおぞらビルの構造的分析をやってくれた。我々が作業しているのは五階。六階は書庫があるだけで、五階作業室の上はすぐに屋上であるから、大気の気温が上がれば、室温も上がる。下がれば、室温もすぐに連動して下がる。自然とともにある作業室だが、せっかく外気と分断された室内の温度が外気と連繋して、すぐに上がったり下がったりする。なんとなく不都合な感じもする。以上がコウタくんの分析結果である。
校訂作業は、今日はミナコさんがお休みなので、コウタくんのだけ見せてもらったが、一章が終わり、二章も終わり、三章も途中まで進んでいることを確認。この調子だと5月中には二人合わせて、ひと通り校訂作業に目を通すことができる。思った以上のスピードで、驚いた。もちろん二人の目を通しておきたいので、もう少しかかるだろう。
小生はその間、資料の解説に力を注ぐこととする。とはいえ現状は第一章から第四章までの解説をとりあえず書き終えて、今日は第五章の解説に取組んだ。裁判記録の分量を計算して、それを紹介しておくのも意味があると思ったので、実物の冊子から計算してみたところ、1978年の第1次訴訟の提訴以来、第4次にわたる提訴で、原告数は726名、21年間にわたる長期裁判であった。被告は企業10社、および国と阪神高速道路公団……。裁判資料はこの関係者に一部ずつ配布しても、どれほどの分量になったのだろうか。一揃いで準備書面等、種々の冊子合計が266冊。1冊平均800頁として、合計21万頁という量となろう。なんという数字だ。これに目を通して中身を要約して読者に示せたら、私はきっと面白い探偵小説家になれるだろう。で、どうする。というようなことを考えて今日の作業を終えた。
2025.4.28 小田康徳
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あおぞら財団付属 西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)では、西淀川公害がわかる資料集を作成しようと、ほぼ毎週、小田康徳館長が来館し、調査作業を進めています。そのようすを「エコミューズ館長日記」にてお届けします。
【ご寄附のお願い】「西淀川公害がわかる資料集」のための寄附を募集しています。どうぞみなさまの寄附でこの活動を支えていただきますようお願いいたします。
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※資料集のウェブ版作成には、(独法)環境再生保全機構地球環境基金助成金を活用しています。
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#西淀川公害がわかる資料集
ここ数日、にわかに気温が上昇。日中はうかっと外に出ると暑さが骨身に染みるような感を受ける。いつも連休終了後に感じることが、まだ連休も遠いという時期に生じるようになった。で、あおぞら財団が入っているあおぞらビルへ来たら、なんと室内はひやっとしているではないか。心地よく仕事にかかれた。
ただちょっと補足しておかなければいけないのは、ここ数日かけて資料集の原稿から掲載を見合わすものを数点選び出し、さらに版組の工夫によって結局8ページ分のページ数節約を確保して、これにて前後に載せる必要文書の掲載スペースを確保できたことが1点。もう1つは、それに対応する形で、資料集のもくじ案を作成したことである。いずれも、問題に直面して、西淀川区民の人たちが記録したり意見を述べたりしたもので、全部で136点288ページという分量になったことが判明した。これだけの基礎資料となる文章を作り上げたこと、その活動力に改めて驚きの念を感じた。このもくじをいろんな人に見せて、本作業が大きな山場を越えたことを共に喜び合った。だが、まだまだ喜べないことも残っている。1つは、翻刻した文章が原本と合致しているかの校訂作業。これは、大変な作業量を予定しておかなければならない。第2は、各章の解説である。解説文は、各章ごとに提起されていた問題の時代的背景を読者の方々に理解してもらい、その中で、西淀川公害反対闘争が成し遂げてきた活動の意義と問題点も含めて解明していかなければならない。というわけで、頭を冷やして考え直したいと思っている次第。
それから、今日は、西淀川公害弁護団の中心人物の1人であった故・井上善雄さんの思いを一冊の本にまとめようとして奮闘中のフリーライター神野武美さんが、資料の相談も兼ねて訪問があった。色々なことを語っていただきました。
2025.4.21 小田康徳
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今回は、西淀川区佃中学校で、西淀川公害を題材にして行われた社会科の授業を紹介します。
担当されたのは近藤克樹先生。近藤先生は大阪市総合教育センター主催の研修で西淀川公害に触れ、「西淀川でこんなことがあったのか」と衝撃を受けたことが授業づくりのきっかけとなったそうです。
●学びのプロセス
番号 | 活動名 | 内容 |
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① | 公害クイズ | クイズを通じて、四大公害病や西淀川公害に意識を向ける。 |
② | 資料分析 | 資料をみながら、公害問題が全国各地で発生した理由を理解する。 |
③ | 地域の変遷を分析 | 「今昔マップ※」を使って、佃中学校周辺が農耕地から工場、住宅地へと変遷した様子を読み取り、グループで発表。 |
④ | 被害住民の視点に立つ | 西淀川公害に関する写真や作文等を読み、被害を受けた住民の状況を理解する。 |
⑤ | 公害と人権について議論 | 公害によって失われる人権について話し合う。 |
※今昔マップ:埼玉大学の谷謙二教授が作った、昔と今の地図を見比べられるウェブサイト。全国59地域、明治から現代までの地形図(約4,800枚)を切り替えて表示できるます。https://ktgis.net/kjmapw/
●未来に向けた学びに
授業の前後に生徒たちが書いた「20年後の西淀川区の将来像」のミニレポートを見ると、授業後には「公平で差別のない町」「公害がなく、みんなが幸せに暮らせる町」、「SDGsを踏まえた持続可能な社会」といった意見が増えており、学びが具体的なビジョンに繋がっていることがわかりました。
近藤先生は、授業のねらいを「持続可能なまちづくりを進めるためには、住民の人権が十分に保障されることが重要であることに気づき、具体的方法を表現することができる」としています。西淀川公害が生まれた背景を学び、公害被害住民の視点に立つことが、生徒たちが「未来の主権者」としての資質を涵養するのに役立てることができたのではないかと思います。
佃中学校 近藤克樹先生のコメント
西淀川公害は、地域の問題に根ざしながら、新しい人権である環境権について学べる教材です。公害を学ぶことで、他の人権問題も同じ構造になっていると気づくことができます。
社会科の本質は「公民的な資質・能力」を育むこと。この授業で、生徒達に社会科の重要性や面白さが伝わったと手ごたえを感じました。
※機関誌りべらで連載をしている研修コーナの転載記事です(りべら167号より転載)。
※機関誌りべらで連載をしている所蔵資料紹介コーナーの転載記事です(りべら167号より転載)。
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1974年、大阪弁護士会公害対策委員会(委員長 真鍋正一)は重点活動の一つとして西淀川問題小委員会を設置し、「人権擁護の立場から」大阪の大気汚染公害問題に取り組んだ。写真の冊子はこのときの調査成果で、1975年6月付け、『大気汚染 大阪西淀川における実態調査報告第一号』と名付けられた。9月には「公害健康被害補償法」(公健法)が実施されようとしていたときでもあった。
だが、大都市なかでもその周辺の工業地域に広がっていた都市型大気汚染公害の重大性は、それに取り組もうとする弁護士の間でも必ずしも十分には認識されていなかった。当時急速に会員数を増やしていた西淀川公害患者と家族の会(患者会。1972年10月結成)は、公害被害が生活の全側面にわたって被害者たちを苦しめていた実情や、補償が全くそれに見合っていないことに気付き、最低四日市公害判決(1972年7月24日)以上の補償を求めて運動を強めていた。こうした中、患者会は、大阪でも裁判でこの状況を打破できないかと若手弁護士たちに問いかけたのである。ちなみに、1969年12月制定の「公害にかかる健康被害の救済に関する特別措置法」(救済法)以来、公害認定患者数は増え続け、1975年5月26日現在では大阪市全体で6,030人、うち西淀川区は3, 607人の多数を数え、さらに増えていた。言うまでもなく、大阪市の順位は日本第一を占め続けていた。
若手弁護士たちは個々の患者と会い、彼らの心の奥底にある悩みを聞いていく中で西淀川における大気汚染公害の被害の多面性、深刻さを知り、それを取り上げることの重要性を理解していった。彼らは裁判に踏み切るための体制を固めるため、自分たちより大きな権威を持つ大阪弁護士会に対して前向きな見解を求めたのである。
「実態調査報告」はその要請によく応えている。
しかし同時に、残された大きな課題、たとえば、古い都市型工業地帯における大企業の法的責任について試論を提起している。これは、大企業から中小零細企業までもが混じりあって、相互に複合化している都市型公害でこそ求められる追及の視点であった。西淀川公害では創造性にあふれた調査と研究が何より求められていたのである。
西淀川公害訴訟弁護団資料No.7250
エコミューズ館長:小田康徳