第1章 1 大野川の船着き場。農漁村から工業地域へ
項目 | 詳細 |
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表題 | 〔淀川べりに座る和田氏のお子さ大野川の船着き場。農漁村から工業地域へ |
作成年月日 | '1956~57ヵ |
作成者(差出人) | |
受取人 | |
出所 | 塚口アキエ氏 |
出所番号 | 103 |
受入番号 | 5 |
資料番号 | 3 |
書籍版掲載番号 | 書籍7 |
内容 | 大野川を背景に、塚口氏の夫と子どもたちが撮影されている。後方に阪神電鉄福駅と大阪製鐵(現合同製鐵)の社宅も写っている。 |
写真は、大野の集落から大野川をはさんで東の方向を見た1955年頃の風景。阪神電鉄福駅は対岸左に。その横、悪臭で知られた日本化学の工場が足場を組んでいる。右端には大阪製鋼の木造2階建て社宅。
阪神工業地帯だけではなく、すでに全国工業界の復興は本格化していた。だが、阪神工業地帯ではこのように、春先、大人が子どもたちと並んで、季節の陽気を楽しむ風景も見られたのである。
草むらの中には野生のアヒルが卵を生み、それを探す人もいたという。子どもたちの足回りにも時代を感じる。長靴・ぞうり・裸足。それにしても、右端の男性は何を生業とし、これから何をしようとしているのか。
地域は農漁村から工業地域へと急速に変貌しはじめていた。そして、そこから得られる経済的利益に目を奪われ、本来それらの行為を規制すべき行政が空気や水への環境汚染を放置し、市民の健康をないがしろにしていた戦前・戦中の歴史もまた復活し始めていたことを想わざるを得ない。彼らは、1958年に制定され、関係者からはざる法と批判され続けた水質2法は、やがて我がこととなると認識していたのであろうか。