第1章 1 尼崎の工場群【検甲第14号証25】
項目 | 詳細 |
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表題 | 尼崎の工場群【検甲第14号証25】 |
作成年月日 | 1961/3/29 |
作成者(差出人) | |
受取人 | |
出所 | 西淀川公害訴訟弁護団訴訟記録検甲号証(2) |
出所番号 | 210 |
受入番号 | 151 |
資料番号 | 25 |
書籍版掲載番号 | 書籍12 |
内容 | 1960年代前半の西淀川地区を含む阪神間の大気汚染状況を空撮した写真。被告企業によるばい煙の発生やその流れ方を捉えており、因果関係の証拠として申請された資料(「毎日新聞」1988年2月26日記事・西淀川公害訴訟弁護団資料、№8627より) |
原告が裁判所に提出した写真。写真の上部(東方面)、海に面した辺りには、左から第1・第2と並ぶ関西電力の尼崎発電所群、運河を隔ててその左側には神戸製鋼とか尼崎コークスなどの工場が立ち並ぶ。このほか西淀川公害裁判で被告とされた企業には住友金属・朝日ガラス・日本ガラスなども尼崎市内に拠点を持ち操業していた。
ただし、これら工場の多くは1930年代後半、石炭主導の時代に創設され、古い設備も多かった。それを高度経済成長時代に適応させるため、たとえば関西電力では、1963年には重油専焼の第3発電所の建設・操業をそれに隣接する地にめざした。ただ、そこでは高度成長期に一層強くなっていた生産効率中心の思想に捉えられ、大量の亜硫酸ガスや窒素酸化物等の排出減や住民の苦しみの減少はほとんど考慮されず、むしろ、石炭時代に住民を苦しめた黒い煤煙を減らせるというメリットのみが謳われた。
尼崎の臨海部工業地帯化を可能にしたものは、1929年から浅野総一郎・山下亀三郎等を中心とする尼崎築港株式会社の設立であった(資本金1000万円)。埋立て総面積50万坪、1931年~40年までに約44万坪の埋め立てを完了している。西淀川区は、この工事完成とともに、すぐ西側に立地する巨大企業の工場から排出される汚悪煙により、さらに大きい被害を受けることとなる。
写真は、高度経済成長期大気汚染が広域化し、深刻化していた実景である。