必携 西淀川公害 基礎資料 ウェブ版

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ウェブ版を利用するにあたって
 紙の編集本『必携 西淀川公害 基礎資料』(書籍版)は、西淀川公害反対運動の最も内容豊富な、かつ根本的な基礎資料を厳選する。したがって、そこでは西淀川公害を理解するためのもっとも重要な資料がぎゅっと集約されて示される。
 しかし、このような書籍版に選から洩れたとはいえ、最後まで採用候補として残された資料としての高い価値を簡単に無視することはできない。このウェブ版は、その思いを込めて作成されるものである。
 ウェブ版においては、書籍版に収めた資料だけではなく、そこに収まり切れなかった資料も、そのすべてをスキャンし、原本を画像の形において提示する。閲覧される方は、スキャンされた画像を通して原資料に接近し、リアルに当時の状況を感じ取ることができるだろう。

ウェブ版の利用にあたっての注意
1.新聞資料については、書籍版に掲載されているものについては、写真は掲載せず、翻刻文のみを掲載する。
 ウェブ版では、関係個所を切り抜きスクラップしたものをスキャンして掲載した。
2.ここに提示された資料の二次的な利用をするときには「あおぞら財団付属 西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)編集の
 『必携 西淀川公害 基礎資料』(ウェブ版)を利用した」との文面を、成果物のなかに明示すること。

「 西淀川公害 基礎資料 ウェブ版」を検索することが出来ます。

第1章 工業地域化する西淀川区 ―戦前・戦中から戦後復興期まで―

 西淀川公害の裁判中、いや、裁判が始まる以前から、西淀川公害は古い都市型工業が背景にあって引き起こされた都市型公害である、といろんな人が、すなわち、原告側も、またのちに被告になる企業側も述べていた。
 もちろん、それは間違っていない。大阪工業あるいは阪神工業地帯形成史といった観点から見れば、まさにその通りである。しかし、「古い都市型の工業化だったから、長い年数にわたって、知らず知らず、いつの間にか工業地帯となり、誰が主導したのかもあいまいなまま、西淀川区でも汚染に気付くことなく、たまたま気付いても、その汚染状況は当たり前として受入れて来た」と論じたとき、それは誤解の上に論を築く過ちとなるものであった。
 農漁村地域だった西淀川区に限定すれば、本格的な工業地域化は、思っている以上に素早かった。19世紀後半から20世紀の20年代まで、一部例外的に早い工場立地もあったとはいえ、工業化の大波が襲い、区内においてその姿を整えるまでを見ると、1930年代から40年代前半までの10数年間、あるいは戦争被害を考えて、それが1950年代初め朝鮮戦争勃発後の特需景気とともに回復への過程を辿りはじめたとして、長くて20数年間とみてよい。この間に本格的な工業化は進行していたのである。ここではその様子を当時の写真記録から再現してみようと考える。
 ただ、写真記録は、文字とは違って一見してその背景を理解させるものではない。ここでは、まずは、必要な書誌的情報を記し、続いて、基礎的知識に関する情報も付けておく。もちろん、写真から歴史を発見することは、本来は見る人が自発的にチャレンジすべき課題である。ただ、長年の間に消えていった知識も多いために、あえて記しておこうと思った次第。願わくは、写真を見つめる人によって編者の気付かない問題点の発見が続かんことを。

2 聞き取り会の記録

第2章 公害に苦しむ学校と公害教育の展開 

●は書籍版掲載、〇はウェブ版のみ掲載
※新聞記事については画像を掲載せず、翻刻文のみとしています。

〇大阪新聞 1967年9月6日 よそごとでない大阪の空
〇サンケイ新聞 1968年3月19日 新しい課題 学校公害
〇毎日新聞 1969年6月20日 空のない街

〇全国小中学校公害対策研究会機関誌『蒼い空』に掲載された西淀川地区中学生の作文1968年頃
〇『公害』児童文集1 大阪市立大和田小学校 1971年2月

〇「公害教育」の考え方、大阪市教組西大阪支部の意見 子どもを公害から守る運動
〇市教組西大阪支部福小分会の「公害白書」〔1970年10月〕
〇公害と道徳教育(1970年頃か)
〇昭和45年度 公害対策研究指定校  研究発表紀要(大阪市立出来島小学校)
〇昭和45年度 公害対策研究指定校  研究発表紀要(大阪市立大和田小学校)

第3章 公害源と対決し地域環境と被害者・家族のくらしの改善に挑

〇中島水道・大野川緑地化推進委員会第1回会議メモ
〇中島水道・大野川緑地化推進を願う陳情書
〇1969年6月14日対市集団陳情への参加を要請
〇協力支援団体に送った声明書
〇緑地化推進についてお知らせ
〇緑地化推進委員会の役員名簿
〇阪北運河高速道路下市道の認定問題が勃発
〇市道第20・23号線認可の見通しとドブ河埋め立て促進を住民に報告
〇対市交渉で緑地帯の実現がほぼ確定
〇緑地帯化推進委員会、道路計画の再燃をもたらさないための協力を西淀川公害追放委員会に要請
〇緑地化推進委員会、全面緑地帯化の実現を祝福

〇永大石油鉱業公害事件
〇亜硫酸ガス(SO2)の増大と健康被害ガス
〇『西淀川から公害をなくす市民の会』加入のよびかけ
〇「西淀川区から公害をなくす市民の会」要求事項
〇「公害をなくす会ニュース 第9号」
〇[朝日新聞切抜]「公害追放へ 医師会が共闘~~」
〇「ご報告西淀川区外島地区の公害企業進出に関する私見」
〇毎日新聞「公害企業締出しへ 西淀川区中島・外島追放委員会が発足」
〇西淀川縦断パイプラインに対する区民の闘い ※未翻刻

〇検査技師田中千代恵の解説
〇院所別公害患者申請者数
〇西淀川公害患者と家族の会結成総会議案書
〇四日市裁判の判決にもとづいた損害賠償保障制度を創設せよ
〇「公害による健康被害損害賠償保障制度」中間報告に対する要求をもって上京
〇"一年の歩み"、役員名簿、各協力団体などの名刺
〇関西電力に対し、完全補償を要求しての運動について
〇健康回復事業委員会が発足

① 大阪製鋼との闘い
② 阪神高速道路・大阪西宮線建設中止運動
③ 工業専用地域指定反対運動

第4章 裁判提訴の検討

第1節 大気汚染公害の深刻さの認識から闘う課題の認識へ
第2節 提訴の決断
第5章 裁判の提訴
第1節 環境基準緩和・地域指定解除との闘い
第2節 裁判の提訴と継続に向けて
第3節 提訴を報じる新聞記事
第4節 第一回公判
第5節 証拠保全の申請
第6章 裁判の展開
第1節 裁判と論点の展開
第2節 裁判と公害被害患者会の人々
第3節 公害患者の生活
第4節 支援組織の立ち上げ
第5節 他地域・他訴訟との連携
第6節 海外への発信
第7章 裁判の判決と和解から公害地域の再生へ