書庫資料一覧
【大気汚染公害問題資料】(保管庫) 資料名(出所別)とキーワード。下線のついた資料はクリックすると、資料概要を見られます。資料点数が記載された資料の目録は、あおぞら財団で見ることが できます。
西淀川公害患者と家族の会関係
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西淀川公害訴訟弁護団関係
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その他
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貞安 清子氏資料 (101) 目録所載点数:14点 年代:1958~1966年 貞安清子氏は西淀川公害患者と家族の会の会員で、西淀川公害訴訟二次原告です。 資料はすべて写真で、あおぞら財団企画展「西淀川の土地の変化」(1997年)のために集めたものです。川べりで撮影された家族の写真や、お正月の写真な ど、昔の西淀川を知ることができます。 戻る 岡崎 久女氏資料 (104) 目録所載点数:54点 年代:1958~1998年 岡崎久女氏は西淀川公害患者と家族の会の会員で、西淀川公害訴訟二次原告です。 本資料は、西淀川で撮影された家族写真と、西淀川公害患者と家族の会関係、財団法人淀川勤労者厚生協会友の会新聞「健康の友」の3つに分類できます。 写真は、1962~63年に撮影された10点の写真です。 西淀川公害患者と家族の会関係は、3.18府民大集会のオルグ活動に関する資料と、赤旗に掲載された公害指定地域解除前の特集記事の切り抜きです。これら の資料から、公害患者による公害反対運動の実態の一場面を見ることができます。 財団法人淀川勤労者厚生協会友の会新聞「健康の友」は、淀川勤労者厚生協会の機関紙で、西淀川の医療機関の中での西淀川公害の位置を知ることができます。 戻る 西淀川公害患者と家族の会資料 (106) 目録所載点数:4014点(途中) 年代:1969~2003年 西淀川公害患者と家族の会(以下、患者会)は、1972(昭和47)年10月29日に設立されました。公害国会と呼ばれる第64臨時国会での公害対策基本 法など公害関連15法案の成立(1970年)、四日市公害裁判での被害者側全面勝利判決(1972年)など、公害が社会問題として大きく注目される中での 設立でした。 患者会は公害被害者が互いに協力して、いい環境の中で健康・安全・快適な生活をおくることを求めて活動をしてきました。その活動とは、公害発生源をなくす 運動として企業交渉・大阪市交渉・環境庁(現・環境省)交渉・西淀川公害訴訟などがあり、公害患者の健康回復事業としてリハビリや転地療養があります。ま た、補償法と救済制度を守る運動や、他団体との連携、公害地域再生のまちづくりも行われています。 あおぞら財団には、患者会事務所にあった資料全般が寄贈されたので、上記の活動にそった資料と、会運営に関わる資料が所蔵されています。 ○西淀川公害患者と家族の会の活動と資料内容
活動の分類 | 主な資料内容 | ||
活動 | 会員 | ・会員相談、等級見直し・更新手続 ・学習会 ・ニーズ調査 | |
地域内各種運動 | ・公害企業反対運動 ・工業専用地域指定反対 ・高速道路建設反対 | ||
救済制度と補償法 | ・制度拡充、補償法改善 ・指定地域拡大、解除反対運動 ・行政交渉 | ||
公害防止計画、環境基準 | ・環境基準緩和反対 | ||
西淀川公害裁判 | ・提訴、公判 ・陳述、証人尋問 ・各種判決行動、世論形成 | ||
道路問題・まちづくり | ・再生プラン ・西淀川道路提言研究会 ・まちづくり考える会 | ||
公害の経験伝承 | ・記録・記念誌出版 ・語り部 | ||
健康回復 | ・転地療養 ・サマーキャンプ、プール水泳 ・各種支部活動 | ||
支援・ 連携 | 支援・連携 全国的組織連携 | ・全国公害被害者総行動デー ・全国公害患者の会連合会 ・他地域患者会組織づくり | |
大阪・他団体連携 | ・大阪公害患者の会連合会 ・大阪から公害をなくす会 | ||
海外連携 | ・リオ環境サミット ・パリNGO会議 ・アジア・太平洋NGO会議 | ||
組織運営 | 各会運営 | ・総会 ・役員会、支部、班 | |
事務局 | ・総会・役員会運営、財務 ・会員拡大 ・機関紙発行 |
戻る 永野 千代子氏資料 (108) 目録所載点数:1024点 年代:1974~1992年 永野千代子氏は西淀川公害患者と家族の会の会員で、西淀川公害訴訟二次原告です。 資料の大部分を占めるのが西淀川公害患者と家族の会関係と、西淀川公害訴訟関係の資料です。前者は班長役員合同会議レジュメや、大阪湾フェニックス計画反 対運動、公害健康被害補償法第一種指定地域(大気汚染地域)解除の反対運動の資料を含み、後者は訴訟のリーフレット作成関係、運動班会議、3・18府民大 集会、共感ひろばなどの裁判のための世論形成運動に関する資料となっています。 公害反対運動は、一つ一つの公害問題が孤立して問題解決するのではなく、他の公害運動と連携・連帯して行っています。そのため、永野千代子氏資料は、政府 などの全国レベルから、千葉・倉敷・川崎などの他地域の大気汚染訴訟や、大阪府域の問題から西淀川の地域問題にいたるまで、多種多様な資料となっており、 運動の幅広さが資料から見えてきます。 戻る 木村 紀美代氏資料 (109) 目録所載点数:29点 年代:1996~1999年 木村紀美代氏は、西淀川公害患者と家族の会の会員で、西淀川公害訴訟二次原告です。 本資料は、ピークフロー日記6点(1996/10/10~1999/5/8)と、新聞スクラップ1点(1978~1990)から構成されます。 ピークフローとは、日々の肺活量を自分で調べることで、病状の変化を知ることができます。この日記には、喘息の病状変化と一緒に、日常生活の出来事や闘病 の様子も書き込まれています。 新聞スクラップは、木村氏の日常生活を取材した新聞記事や、木村氏本人が撮影した西淀川区内の写真、木村氏が参加した運動の新聞記事などがスクラップされ ており、一個人の運動参加の様子が見える資料となっています。 戻る 井上善雄弁護士資料(201) 目録所載点数:317点 年代:1969~1979年 本資料は、大阪弁護士会公害対策委員会関係の資料と、青年法律家協会関係の資料に大別できます。 井上氏は大阪弁護士会公害対策委員会の中でも、道路・自動車排ガス問題小委員会と、西淀川問題小委員会に所属していたため、その関係資料が多くあります。 また、近畿弁護士会連合会の公害対策委員でもあったので、その関係資料も含まれます。 青年法律家協会の資料は、機関紙と全国公害研究集会の資料に分類できます。全国公害研究集会は弁護士と学者だけの集会ではなく、地域の公害被害者団体との 交流も一つの目的とされていたので、当時の公害被害者運動の全国的な動きを見ることができます。 戻る 西淀川公害訴訟弁護団資料 (202) 目録所載点数:9676点 年代:1970~1998年 弁護団事務所から移管された資料群。主に被告企業に対する書証作成のために集められた資料です。弁護団の中には立証すべき内容にそって6つの班が設けら れ、資料の大部分はそれらの班ごとにまとまっています(下表参照)。 班別の資料以外には、弁護団会議の資料や雑誌、写真などがあります。 ○ 西淀川公害訴訟弁護団の班ごとの資料内容
班名 | 立証内容 | 主 な資料内容 |
到 達班(気象班) | 工場煙の西淀川地域への到達状況 | ・風向風速の気象関係のデータ ・京都大学塚谷恒雄氏が解析したパフモデルのデータ ・大阪気象台から発見された昭和30年代の航空写真 |
関 連共同性班 | 工場の共同不法行為 | ・被告企業の社史 ・被告企業の施設設置許可申請書及び届出書 ・社内誌(日本硝子) ・電力統計 ・経済諸団体関係の資料 |
道 路班 | 自動車排気ガスによる大気汚染 | ・交通量のデータ ・西淀川地域の道路建設反対運動資料 ・道路公害問題研究会(中津コーポ)などの他地域の道路問題住民反対運動関係資料 ・自治体の資料 |
疫 学班 | 大気汚染と健康被害の因果関係 | ・公害健康被害補償法の認定状況 ・大気汚染物質の人体影響について調査した論文 ・被告側学者の論文コピー ・週刊『エネルギーと公害』 |
被 害班 | 患者個々人の被害実態 | ・公害健康被害補償法の改定問題関係資料 ・学校教育関係 ・病状研究論文コピー |
歴 史班 | 長年の地域全体の被害実態 | ・1970年代からの新聞記事のコピーとスクラップ |
戻る 村松 昭夫弁護士資料 (203) 目録所載点数:541点 年代:1970~1996年 村松昭夫氏は西淀川公害訴訟弁護団員です。 本資料は、原告(公害患者)が大気汚染が原因で公害病になったことを証明するためにあつめられたものです。内容は、患者個人の病状に関するもので、診断 書、原告調査表、陳述書、公害健康被害補償法認定申請書、喘息日記や戸籍謄本などになります。 プライバシーに関わる資料が大半なので、公開はおこなっていません。 戻る 谷 智恵子弁護士資料 (205) 目録所載点数:99点 年代:1963~1982年 本資料は公害教育関係資料と南竹照代氏関係資料に大別されます。 公害教育関係資料には、西淀川区内の大阪市立の幼稚園の調査結果や、公害に関する学習指導計画(出来島小学校)、公害児童文集(大和田小学校)、公害対策 研究指定校研究発表紀要(出来島小学校、大和田小学校、淀中学校)、福小学校保健室がまとめた資料、姫里小学校の公害認識調査、姫島小学校の運動機能検 査、大阪市教職員組合西大阪支部による研究といった、西淀川区内の教育機関が作成した資料があります。さらに、大阪府医師会による調査、淀川勤労者厚生協 会主催の西淀川喘息児サマーキャンプに関する資料など、医療機関の資料もあります。 南竹照代氏関係資料は、通信欄が欠席の連絡で埋まっている生徒手帳、高校卒業時の寄せ書きの色紙、交換日記、日記、入院費領収書、薬袋の裏に書かれた闘病 のメモなどがあります。 戻る 三村 浩史氏資料 (301) 目録所載点数:53点 年代:1976~1978年 三村浩史氏は都市計画の研究者です。 1977年11月に大阪市は、これまで住之江・此花・大正区に限られていた工業専用地域を、住之江区部分を拡大し、西淀川・港・西成・淀川・城東・鶴見・ 平野区に新設する工業専用地域(案)を示しました。このまちづくり案に対し、西淀川区と住之江区では反対運動が繰り広げられました。 三村氏は、西淀川区と住之江区の反対運動の集会に招かれて、意見を述べており、本資料はその際に三村氏が受け取った資料です。資料の内容は、住之江区と西 淀川区の工業専用地域指定反対運動に関する資料で、ビラや陳情書、署名用紙などになります。 戻る 大阪から公害をなくす会資料 (305) 目録所載点数:438点(途中)(※ただし全体の雑目録あり。737点) 年代:1970~1999年 大阪から公害をなくす会(以下、なくす会)は、1971年2月27日に設立された団体です。同年の大阪府知事選挙では、「公害知事よ、さようなら。憲法知 事よ、こんにちは」というスローガンを掲げた黒田了一氏が当選するなど、大阪で公害が身近で深刻な社会問題として認識されていた中での、なくす会の結成で した。 なくす会の目的は、府民の集結と、公害発生企業・国・自治体に対して、緊急な対策と抜本的な政策の実施を要求することです。活動は、国・自治体への公害発 生源規制要求運動、条例規則の整備改善要求や、調査・研究・政策立案、公害反対運動の支援と連携などからなり、公害デー府民集会(現・公害環境デー)を毎 年開催しています。 財団に寄贈されたのは、なくす会の事務所倉庫にあった資料群で、上記の活動にそった資料が集まっており、大阪府内の公害反対運動を見ることができます。 ○大阪から公害をなくす会の活動と資料内容
活動の分類 | 主な資料内容 | ||
活動 | 公害デー | ・事務局運営 | |
政策要求 | ・興亜石油問題 ・関西新空港問題 | ||
勉強会、研究、調査、見学 | ・高速道路問題 ・食品汚染問題 ・NO2簡易測定運動 | ||
支援・ 連携 | 裁判支援 | ・西淀川公害訴訟 ・多奈川第2火力発電所公害訴訟 ・43号線公害訴訟 ・尼崎公害訴訟 | |
住民運動支援・交流 | ・松原ジャンクション問題 | ||
海外交流 | ・東南アジア ・リオ環境サミット | ||
組織運営 | 機関紙 | ・大阪から公害をなくす会ニュース | |
その他 | ・新聞記事切り抜き ・写真 ・ビデオテープ |
戻る 横山 秀行氏資料 (306) 目録所載点数:7点 年代:1967~1981年 横山秀行氏は大和田生活と健康を守る会の役員として、西淀川の公害医療の拠点となった千北病院(現:千北診療所)の建設に尽力されました。 本資料は、千北病院建設関係の資料と、横山氏の手帳によって構成されます。千北病院建設関係の資料の内容は、起工式関係資料と資金を集めるための集金控え やノートです。手帳は、毎日の出来事が記された詳細な日記になっています。 戻る 堂見 敏雄氏資料 (307) 目録所載点数:114点 年代:1985~1996年 堂見敏雄氏は、戦災碑建立委員(西淀川区佃1丁目にある被爆者鎮魂の碑)でした。 西淀川区佃一丁目地区は1945年6月26日に、空襲にあい、53人の犠牲者がでました。この空襲の遺族たちによって、「大東亜戦争空襲犠牲者一切の精 霊」の塔婆が建立されましたが、月日が過ぎるにつれて風化が激しくなりました。遺族の望月貞子氏は再建を希望し、読売新聞に遺族探しの記事を掲載しまし た。その記事がきっかけとなり、1985年に堂見氏をはじめとした佃町の住民が集まり、被爆者鎮魂の碑が再建されました。 本資料は、あおぞら財団企画展「西淀川の戦中・戦後展」(2000)のために集められたものの一つになります。 本資料の大部分は、被爆者鎮魂の碑の再建に関する資料です。委員会の事務連絡や、会計資料などがあります。 戻る 横道 利市氏資料 (311) 目録所載点数:145点 年代:1982~2001年 横道利市氏は国道43号線道路裁判原告団長です。 43号線訴訟とは、1976年8月30日に提訴した、国道43号線兵庫県側沿道住民152名が、国と阪神高速道路公団を相手に、騒音・排ガスの差止めと阪 神高速大阪西宮線の建設中止、ならびに慰謝料の支払いを求めた訴訟です。 本資料は、国道43号線道路裁判原告団の機関紙と、その他の資料から構成されます。 機関紙は「43号道路裁判原告団ニュース」といい、運動団体の機関紙としては珍しく1000号を数えた機関紙です。本資料群の中には、縮刷版 (No.611~657、No.943~967)と、現物No.183~1079(欠号多し)があります。 その他の資料は、ビラ、年表、国に対する尼崎市・西宮市・芦屋市の公害対策の要望書、新聞記事コピー、公害なくせ!県民大集会資料、国道43号・阪神高速 神戸線環境対策連絡会議資料、国道43号・阪神高速道路沿道環境に関する連絡会(第2回)資料などになります。 戻る 尼崎公害患者・家族の会資料 (312) 目録所載点数:27点 年代:1998~2000年 尼崎公害訴訟は、兵庫県尼崎市南部の臨海工業地帯や幹線道路の周辺に住む公害病認定患者と遺族493人が、1988年12月26日に国、阪神高速道路公団 と関西電力など企業9社を相手に、工場排煙と自動車排ガスの複合汚染による健康被害への賠償を求めて提訴した訴訟です。 本資料は、その裁判資料である、尼崎公害訴訟の原告側最終準備書面と、1審・神戸地裁判決文の冊子です。 戻る