西淀川公害裁判提訴までの弁護士の活動

1978(昭和53)年4月に提訴された西淀川公害裁判ですが、「最初から勝てる確信があって提訴したわけではない」とよく聞きます。それほど原告側にとっては困難な裁判だったのです。「西淀川で裁判が起こせるか」―弁護士集団による調査・研究・検討が提訴までの間に重ねられていきます。 四日市裁判の被害者側全面勝利判決(1972年)に後押しされるように、1973年秋に森脇君雄氏(西淀川公害患者と家族の会事務局長当時)は平和合同法律事務所の井上善雄弁護士(青年法律家協会大阪支部事務局長 当時)を訪ね協力を求めます。同年、青法協のなかに「西淀川大気問題研究会」が、1974年には大阪弁護士会の公害対策委員会のなかに「西淀川問題小委員会」が発足しました。 資料紹介 1.「公害対策委員会四九年度」ファイル 2.峯田勝次弁護士の調査参加記 「西淀川大気汚染実態調査に参加して」 3.「西淀川大気汚染被害調査アンケート」ファイル 4.西淀川大気汚染被害調査アンケート集計票 5.大気汚染大阪西淀川における実態調査報告 第一号

1.「公害対策委員会四九年度」ファイル作成者:井上善雄ほか 年月日:1974年 サイズ:B5フラットファイル 出所と資料番号:井上善雄弁護士資料 No.4~No.114

本資料は大阪弁護士会の公害対策委員会に所属していた井上氏が、おもに同委員会や小委員会の会議資料(通知、議事録など)を時系列にファイルに綴じたものです。 昭和49(1974)年は公害対策委員会の中に西淀川問題小委員会が発足した年で、井上氏は当初、道路・自動車排ガス問題小委員会で活動していましたが、 後に西淀川問題小委員会も兼任することから、これら小委員会の資料がファイルに含まれています。 公害対策委員会は4月25日臨時委員会の決議事項として、西淀川問題小委員会の設置と同小委員会が取り組む主要テーマを次のように通知しています。

西淀川地区は、四日市、川崎と並んで大気汚染がひどく、深刻な被害が多発している地域として早くから知られており、この問題は当委員会の懸案の一つになっているが、過日、地元から当委員会宛に調査依頼の要望書も届けられているため、早急に昨年度の瀬戸内海汚染や新幹線公害に準じた大がかりな実態調査を実施し、その調査に基づいて、大気汚染問題に対する法的対処のあり方を再検討する。(No.18)

その後、10月8日の公害対策委員会決定事項では、小委員会の昭和49年度後期主要活動目標において、実態調査に関しては、

公害健康被害補償法の発足により、有症率など大阪市で把握しており、疫学的な調査は意味が薄れてきた。今後は生活被害の実態という側面に視点を据え調査を進める。(No.97)

としています。

2.峯田勝次弁護士の調査参加記 「西淀川大気汚染実態調査に参加して」 (西淀川公害患者と家族の会機関紙「青空」No.15に掲載) 作成者:西淀川公害患者と家族の会 年月日:1974年7月25日 サイズ:B4 出所と資料番号:田中千代恵氏資料 No.332/井上善雄弁護士資料 No.290 「西淀川問題小委員会」によ る第1次実態調査が1974年7月におこなわれました。内容は(1)西淀川区内の大気汚染の状況並びに主要な汚染工場の見学、(2)西淀川区内の千北病院にて認定患者の訴えを聞く、(3)西淀川区内の患者宅を戸別訪問して実情を調査する(井上善雄弁護士資料No.42)というものでした。

峯田氏は、子供が公害病認定患者である家庭を訪問します。その時の母親の訴えは次のようなものでした。 子供は顔をこわばらせ唇を青くし、身体を丸くして息ができない苦しさとたたかう。発作に苦しむ時は、ごはんもろくに食べられない。子供の余りの苦しみようをみかね両親が道も凍てつく夜道を病院を捜して奔走する。主人はあしたの仕事にさしつかえるが、子供の生命にはかえられない。こんなことが月に三回位ある。(略)金銭的補償をとやかくいうまえに、身体をもとにもどしてほしい、これが願いです。

峯田氏は参加記の最後をこのようにしめくくっています。

大阪市の態度もあいまいだし、われわれの前途は決して平坦ではありえないであろう。しかし、私たちは患者家族の根底からの健康、生活破壊、次代を背負うべき子供の惨状に接し、改めて下腹に力を込めなければいけないと思った次第である。

峯田氏はこの後、西淀川公害訴訟では公害病の原因を探る疫学班の1人として活動しました。

3.「西淀川大気汚染被害調査アンケート」ファイル作成者:大阪弁護士会公害対策委員会 年月日:1974年11月6日 サイズ:B4フラットファイル 出所と資料番号:西淀川公害訴訟弁護団資料 No.949~No.952
大阪弁護士会公害対策委員会の西淀川問題小委員会による、西淀川区に在住する公害認定患者を対象にしたアンケートの用紙と、回答です。このアンケート調査は第2次実態調査であり、病気の症状や仕事・家庭生活での悩みなどをたずねています。アンケートは子供用と大人用の2種類あり、このファイルに綴じられている回答は佃地区の子供1人、大人11人分です。 アンケートの自由記入欄には、

・今までに失われたものをとりもどしたい ・空気をきれいにしてほしい ・夜間に煙を昼間よりも多量に出している工場があるがやめてもらいたい ・排出する有毒ガスに対してもっと監視を厳しくして下さい ・被害者に対してもっと人道的な立場に立って患者への

といった、企業や国・自治体に対する要求がつづられています。

4.西淀川大気汚染被害調査アンケート集計票作成者:不明 年月日:1974年 サイズ:B4ホッチキスどめ 出所と資料番号:田中千代恵氏資料 No.104
大阪弁護士会公害対策委員会による西淀川大気汚染被害調査アンケートの結果集計票です。各設問にたいする回答数が手書きで記入されています。子供用のアンケートの集計は全部で415枚、大人用の集計は577枚となっており、1975年6月にまとめられた実態調査報告書で示されている回収総数よりも少ないことから、本資料は集計の途中経過と思われます。(同報告書では、子供441名・大人578名となっている)
5.大気汚染大阪西淀川における実態調査報告 第一号作成者:大阪弁護士会公害対策委員会 年月日:1975年6月 サイズ:B5ひもとじ 出所と資料番号:西淀川公害訴訟弁護団資料 No.7250

本資料は大阪弁護士会公害対策委員会の中に設置された西淀川問題小委員会22名を中心とした調査の結果をもとに、公害対策委員会において討議したものをまとめたものです。「はじめに」のところで、

従来、数の上では多数を占める小企業の存在の故に、責任の所在を不明にさせられて来ていた西淀川地区の公害発生源企業の責任の明確化と、それに伴う加害行為の抑制と被害の救済の進展に役立つことを願って、本報告書を発表する。

とあります。 内容は、認定患者を対象としたアンケート結果、大気汚染の実態、企業責任の有無、救済制度の内容検討、公害規制の歴史と国・自治体の責任についての考察です。企業に対しては

臨海部を中心とする大企業が主たる排出源であるという事実を踏まえれば、これを四日市市のようにコンビナートと呼ぶと否とにかかわらず、同様の法的責任についての評価が可能である。(P111)

と、企業に公害汚染責任を負わせるのは可能とし、救済制度については

まだまだ行政レベルで被害者の完全救済のために改正すべき点は多く、そして可能な点も多い(P142)

と、制度の不備を訴えています。行政に対しては

西淀川における今日の事態は、憲法と地方自治法の根本理念をないがしろにしてきた国と地方自治体の責任によるところが大きい。その意味で、西淀川に真の青空と健康をとりもどすため、国と地方自治体が今日までの住民無視、あとおい行政の失敗という歴史的教訓をふまえて、環境保全政策を最優先施策とする方向に根本的に姿勢を転換させねばならな い。(P171)

と、国・自治体の責任も問うことができると結論づけました。 この結論を受けて、西淀川公害患者と家族の会は提訴に踏み切ります。 報告書のアンケート結果の部分は、西淀川公害訴訟の原告側の書証(甲35号証)にもなりました。