西淀川住民公害 たちあがる住民

住民が団結して汚染源と対決 公害の跡地は有効利用

水質汚濁のひどかった大野川の移り変わり
署名運動の様子と当時のビラ
住民が測定した大阪府内の大気汚染
当永大石油鉱業についての記事現在の永大石油工業跡地と田中電機跡地

公害は農業・漁業への影響、異臭・騒音などの生活被害をもたらしただけではなく、人間の健康にも被害を及ぼしました。多くの住民は近くにある公害を出す工場と直接交渉し、行政を巻き込んで工場を移転させたり、汚染物質の排出をやめさせたりしました。現在では1963年に爆発事故を起こした田中電気の跡地は西淀川区民ホールになり、1968年に出来島団地のアサガオを一晩で枯らす有毒ガスを発生させた永大石油鉱業は、大野せせらぎの里となっています。

抽水所が設置されたことから大野川は水量が少なくなり、工場からの廃水などがヘドロとなってたまり、メタンガスが発生してひどい状態になりました。1968年に公害対策として埋め立てが計画されましたが、跡地が高速道路になると聞いた住民は、跡地を緑地にすることを求めて2ヶ月で2万人の署名を集め、大野川緑陰道路の建設を約束させます。

1977年11月から西淀川区の面積の40%を工業専用地域に指定する計画が大阪市から示されましたが、これ以上公害を増やしたくないと住民は反対運動をおこし、指定面積を大幅に縮小させました。

また、大阪府内では二酸化窒素(NO2)を住民が測定する活動を1978年から5年おきにおこなっています。