現在の大阪市西淀川区は1930年代から阪神工業地帯の一部となり、多くの住民は1970年代にかけて、区内はもちろん、隣接する尼崎や此花区などの工場から日夜発散される有毒なガスや煤煙、あるいはまた阪神高速や国道43号線を通る自動車の排気ガスによって苦しんできました。しかし、この西淀川公害は被害者や住民がそれに立ち向かうなか、被害者同士の連帯を育て、学校教育を深め、医師やジャーナリスト、弁護士やさまざまな専門学者の協力を生み出し、世論や法律も動かし、地域再生をめざす現在に多くの貴重な体験を残すことになりました。このパネル展示は、西淀川区に暮らしてきた多くの人びとがどのように西淀川公害に立ち向かってきたのか、どのような人びととどのように協力関係を育ててきたのかを時期を追いながらまとめたものです。西淀川区の環境は今も多くの問題を抱えています。公害は油断大敵といわなければなりません。このパネルを通していま私たちは何をしなければならないのか、ぜひ考えていただきたいと思います。

エコミューズ館長 小田康徳