あおぞら財団 中島水道サロン
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中島水道サロン

中島大水道について

明治の地図部分
中島大水道は、江戸時代に掘られた全長9.5kmの農業用の排水路です。今の東淀川区西淡路から、現在の淀川区、西淀川区を通り、海へ流れていました。この一帯は、今は市街地が拡がりますが、戦前は農作地域でした。中島水道開削には地域のために命をかけた江戸時代の農民の物語があります。

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表紙

パンフ中左 パンフ中右

中島大水道サロンでまち歩きなどの調査を重ね、「まち歩きマップ」を作成しました。江戸時代から今にいたるまでの中島大水道の歴史や昔の写真、現在の水道跡を歩くための情報をまとめています。
頒価200円で販売しています(A4版、観音開き8ページ)。お問い合わせは、あおぞら財団まで。webmaster@aozora.or.jp

中島大水道ものがたり

江戸時代、北中島(現在の東淀川区)の一帯は、低地のため田畑にあふれた水がなかなか抜けず困っていました。そこで村民は幕府に対し、排水路の設置を訴えました。延宝5(1677)年、ようやく幕府は排水路の開削を許可しますが、「工事費用はすべて百姓普請(負担)」という条件でした。不作で苦しむ農民達は「せめて多少の補助を」と幕府に嘆願しましたが、感情を害した幕府は設置の許可を取り消してしまいました。ついに耐えられなくなり農民達は無許可のまま工事を強行し約9.5kmもの水路を完成させました。この中島大水道の工事の指揮をした三人の庄屋が、幕府に対し抗議の自決をしたという言い伝えも残り、「さいの木神社(淀川区)」に地域の義人として祀られています。
写真:さいの木神社

中島大水道を歩いてみました

現在、中島水道はどうなっているのか…歩いてみました。

・準備編(2011.10.25)
東淀川区の中島大水道起点『新太郎松樋の跡』から、西淀川区の大野川緑陰道路内にある『中島大水道跡』の石碑まで、中島大水道の跡をたどりました。約8kmです。

・東淀川区編(2012.6.16土)
多くが新幹線高架に。中島大水道の起点「新太郎松の樋」には中島大水道顕彰碑がたっています。
写真:新太郎松碑

・淀川区編(2012.11.23金)
殆どが車道です。土手の跡(十三)をしのばせる階段もありました。三庄屋をまつったさいの木神社にも寄りました。
写真:十三

・西淀川区編(2013.3.2土)
淀川河口をスタートし姫島工業地域をぬけ、大野川緑陰道路を歩きました
nkds_nyjinja

メンバー募集

中島水道サロンでは、中島大水道について学び合いながら地域の歴史を学ぶ場をつくるにはどうしたら良いかを考えています。ボランティアでまち歩き地図の作成や、まち歩きの企画・運営をしています。興味がある方、ぜひ一度、お問い合わせください。

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