新潟水俣病勉強会in大阪 あおぞら財団
2010年7月18日(日)13:00-16:00
あおぞら財団
参加者 26名
7月11日に都留文科大学でもおこなった公害地域の今を伝える
スタディツアーの事前勉強会を、今度は大阪で、
前回と同じく立教大学教授の関礼子氏を講師にお迎えして
開催しました。
8月に行なわれる新潟水俣病スタディツアーの事前学習として開催したこの勉強会ですが、
ツアーには参加されない方もたくさん参加してくださいました。
関先生に、前回と同様に新潟水俣病について年表を見ながら説明していただき、
熊本の水俣病が発見されてから10年ほど経ってから新潟水俣病は発生したこと、
第1次訴訟から第4次訴訟までの経過や県の対応など、主に裁判とその流れについてお話していただきました。
その後、新潟の人達の暮らしと阿賀野川の関係をスライドを使って説明していただきました。
その後参加者に質問を紙に書き出してもらいました。
質問を分類分け
たくさん質問が出されました
・川や海へ流れていったメチル水銀はどこへ行ったのか
・現在活発な活動を行なっているNPOなどはあるのか
・新潟水俣病地域福祉推進条例の具体的な内容はどのようなものか
・昭和電工や県に対する意識(上・中・下流域)はどうだったのか
また県の担当者で患者や地域の為に動いていた人はいたのか
・地域の子どもたちに新潟水俣病についてどのような方法でどのような内容を教えているのか
・阿賀野川流域の人々と現在の旧昭和電工との関係はどのようなものか
・新潟水俣病を報じるメディアに対して違和感を感じる点はあるか
・水俣病患者の方々はどんな差別をうけていたのか、今も続いているのか
・新潟水俣病の患者さん以外の人々の、水俣病への関わり方や水俣病のとらえ方の変化に
ついて知りたい
・「村」は水俣の経過の中で良い役割、悪い役割を果たしてきたか
「もやい直し」において「村」の役割は何か
・現在の阿賀野川と人々との関わりにはどんなものがあるか
阿賀野川は今も愛されているのか
・胎児性水俣病としsて生まれた子ども達の成長はどうであったか
またこのことによる中絶の問題はどのように共有され顕在化しているのか
などなど
時間の許す範囲でですが、丁寧に答えていただきました
参加者の感想から
「どうしても熊本の水俣病が頭にあるため比較して見てしまうところがあるが、
新潟は新潟の歴史があり、闘ってこられた患者さんがいる、ということが改めて認識できた。」
「新潟水俣病の経緯と、その背景にある生活文化、自然環境の存在についてく分かった。
実際に現地に行って色々な方のお話を聞いて、自分の目でその実像を確かめたいと思った。」
その後は、昨年のスタディツアーの様子と、体験から学ぶことの大切さとフィールドワークの心得について西村仁志先生にお話していただきました。
さて、梅雨も明け夏本番。暑さに気をつけながら今日学んだことも活かしつつ、スタディツアーに臨みたいですね。(眞鍋)