大気汚染にたいして、どのような市民運動があり、どのような対策がとられてきたのでしょうか?
戦後の公害反対運動として有名なのは、4大公害(イタイイタイ病、四日市ぜんそく、熊本水俣病、新潟水俣病)や田子の浦港ヘドロ公害、大阪国際空港公害ですが、被害を受けた住民が訴訟を起こしました。これらの訴訟により世論が高まり、公害が社会問題として取り上げられるようになりました。世論が後押しとなって、1970年には公害国会が開催され、公害の発生源を規制する法案と公害による健康被害を救済する法案が整備されていきます。西淀川の大気汚染公害反対運動の特徴は、公害患者を救済する公害健康被害補償法の成立後に公害病認定患者を中心としてなされた運動であり、大気汚染物質の環境基準の遵守や公害健康被害補償法を守ることが目的として運動を展開していきます。運動は全国的に行われ、千葉・西淀川・川崎・倉敷・尼崎・名古屋南部と続いて裁判が行われ、公害地域再生に取り組んでいます。 1996年に提訴された東京大気汚染公害裁判は、未認定患者が中心となって新しい救済制度を作ることを求めた運動です。2007年の和解以後、東京都で医療費を補助する新しい救済制度が誕生しています。この動きを受けて、各地でぜん息などの健康被害の救済制度をつくる運動が展開されています。