関西学院大学総合政策学部の研修を受け入れました(5/26)
5月26日(土)に関西学院大学総合政策学部の佐山浩ゼミ生18名の研修を受け入れました。
西淀川区内をフィールドワークした後、あおぞら財団の西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)で西淀川と西淀川公害についての説明と、公害患者さんのお話を聞き、今回の研修のふりかえりをするという日程です。
阪神電車出来島駅集合をして、フィールドワークから行いました。
まずは国道43号線を見に行き、国土交通省によって行われた公害対策、道路対策について林さんより説明がありました。みなさん真剣な様子で聞き入っていました。
千北診療所まで歩いて行くと、千北診療所がどういった役割だったのかなどの説明を受けました。千北診療所では以前、医師会立の公害医療検査センターと西淀川公害患者と家族の会がありました。
少し離れたところまで歩くと、デイサービスセンターあおぞら苑です。あおぞら苑では1号館2号館があります。現在3号館も建設予定といった話も聞きました。あおぞら苑は公害患者さんだけではなく、いろんな人が現在利用をしています。
神崎川の堤防にまで上がりました。西淀川は昔、工場が工場用水として地下から水をくみ上げていたので、地盤沈下がおきています。そのため、水面面より住宅街の方が土地が低いことを、目で見て実感していました。驚いて写真を何枚も撮っている学生さんもいました。
大和田街道を通って大野川緑陰道路であおぞら財団の方へと戻ります。その途中に、昔の大野川緑陰道路の写真を見てもらいました。公害がひどかった当時の大野川緑陰道路と見比べて驚きの声が上がりました。昔の写真と見比べると、緑の多いとても歩きやすく、自転車でも歩きまわりやすい町に変わったことを実感してもらいました。
あおぞら財団の西淀川・公害と環境資料館に着くと、林さんから西淀川公害と裁判、あおぞら財団について講義がありました。大気汚染がひどかった当時の写真や、西淀川公害裁判は一体どういったものだったか、どのような対策がとられたかなどの話です。留学生の方も数名いて、真剣な様子で話を聞き入っていました。
その後、公害患者さんの平田和子さんから、苦しかった時の話や公害がひどかった当時の話について聞きました。
平田さんは3歳の時に気管支炎になり、夜に咳き込むと父親がずっと背中に背負ってくれていたそうです。少し良くなりましたが、20歳ぐらいのころから少しずつ体調が悪くなり、40歳ぐらいの頃にはとてもひどくなっていたそうです。。小さなころは西淀川や尼崎の空の上はグレーだった記憶が残っているとも話してくれました。
その後、3人ぐらいに分かれてグループワークをしました。各グループで、「行政」「企業」「住民」が何をしたのか考えてもらいました。フィールドワークで実際に見て、研修を受けた上でどういった行動を起こしたのかいろいろと意見が出ました。意見を出した上で、西淀川・公害と環境資料館にあるパネルや資料を見てもらいました。学生さんが出してくれたような行動をしたのか、それを資料と見比べてもらいました。
今回の研修では、平田さんの公害がひどかった当時の話がとても印象的でした。公害がひどかった当時、西淀川や尼崎の空の上はグレーだったということです。今では考えられないことで、想像もつきません。ですが、それはひとえに公害患者さんたちが頑張ってきてくれたおかげです。それを忘れず、これからも仕事を頑張っていきたいと思いました。
(松ヶ平)