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第6回緑陰道路サロン


5月23日 「第6回緑陰道路サロン」
—水郷の村跡・野里の街歩き— 開催

32人の参加者が集まりました。

明治末、大阪の町を洪水から守るため淀川がつくられました。中津川はその時に埋め立てられました。過去に流れていた中津川の流路を思いながら、歩きます。

◆今日のコース

◆明治18年の地図。上図「今日のコース」の地図と比べてみてください。このころ淀川はまだ開削されていません。


 

<ア>中津川が流れていた場所。

<イ>槲の橋・野里の渡し跡(中津川右岸)

<ウ>池永家見学
     ・ご主人の池永悦治さん(郷土史家)にお話をしていただきました。


 
<ウ>池永家
    ・野里の渡しに近く、江戸時代の都市近郊農家のひとつです。長屋門(江戸時代)など3件が国の登録文化財に指定されています。
 

<ウ>池永家の資料館
     ・かつての野里地区の模型です。寺子屋の教科書なども展示してあり、当時の農民たちの勉強への熱意がしのばれます。


 

<エ>住吉神社、中津川右岸。
    ・人身供養の一夜官女祭は大阪府の指定文化財になっています。


 

<オ>鼻川神社、中津川左岸。


 

<4>最後に大野川緑陰道路で記念撮影。


 

■参加者の感想
「大阪は水の街、商人の街として、ええところやなと思っていたけど、西淀川にひきつけて考えることがあまりなかったので、自分の住んでいる街に愛着をもちたい。」
「以前からぜひ見学したいと思っていた池永邸を見学できて、ほんとによかったと思います。こんなに身近にある文化財、地域の財産を、もっともっと地域の方や子ども達にも知ってほしいと思います。」
「今日まわった以外の所でも行きたいと思います。佃方面、浜参り方面等。」




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