西淀中学校で公害の語り部授業
2010年7月8日(木)13:30〜14:20
西淀中学校2年生 授業
2週間前はあおぞら財団の職員が西淀川公害の概要を説明しましたが、
今日は3つにわかれて公害患者の話を聞きました。
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体育館
語り部:永野千代子さん(西淀川公害患者と家族の会事務局長)
補佐:鎗山善理子(あおぞら財団)
永野さんは、国道43号で交通事故で亡くなった息子さん(当時9才)
のぜんそくの苦しみや、息子さんの死を乗り越えて、公害反対運動に
より深くかかわるようになったいきさつ、ご自身の慢性気管支炎の
つらさなどについてお話しました。
当時、息子さんの小学校の校長先生が言った「公害をなくす運動をがんばることが
息子さんの供養になる」という言葉が永野さんの心を大きく動かしました。
●生徒の質問
「どうして引越ししなかったのですか?」
「お子さんが亡くなったときの気持ちを教えてください」
「訴訟したとき一番大変だったことは何ですか?」
「(西淀川区の中で)公害病が今一番多いところはどこですか?」
「公害病の人は寿命が短いのですか?」
「公害病患者は何人ですか?」
「永野さんの病気の種類は何ですか?」
訴訟をしたとき一番大変だったことを聞かれた永野さんは、
「東京に行ったり、夜に出かけたりしたけども、無我夢中
だったので、大変だと思ったことはない」と答えました。
その答えに、永野さんの人間としての芯の強さを感じました。
(記録・鎗山)
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図書館
語り部:池永末子さん(西淀川公害患者と家族の会)
補佐:林美帆(あおぞら財団)
池永さんは地元の姫島保育所にお勤めなので
生徒から「あ!保育園の先生や!」との声が上がりました。
池永さんもぜん息で苦しんでいますが、
娘さんもぜん息で治療のために心配したことなどを話してもらいました。
娘さんは認定患者ですが、池永さんは未認定のため、
現在も未認定患者の救済制度をつくるため、運動をしていることを話しました。
●生徒の質問
「動物に被害はありましたか」
「患者数はどれくらいですか」
「病気になってできなくなったことは何ですか」
「西淀川で残されている公害は何ですか」
(記録:林美帆)
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多目的室
語り部:岡崎久女さん(西淀川公害患者と家族の会)
補佐:眞鍋麻衣子(あおぞら財団)
岡崎さんは結婚と同時に西淀川に来ましたが、最初大阪に着いた時は
空の薄暗さにびっくりしたそうです。それから病気になってしんどかったこと、
引越しをしようかと家族に相談したら、当時中学生ぐらいだったお子さんに
「おかあちゃんに故郷があるように、ぼくにはここが故郷なんやで」と言われ、
そういう事を考えてあげられなかったことが恥ずかしかったことなど、
当時の辛かったことや、現在まで続く病気のしんどさを話しました。
●生徒の質問
「今と昔で対処法はちがいますか」
「どんな症状ですか」
「例えるとどんなしんどさですか」
「患者さんは何人ぐらいいてるんですか」
「西淀川の好きなところはどこですか」
「何をしているときにぜん息のことをわすれますか」
(記録:眞鍋麻衣子)
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生徒たちは、どのクラスも真剣に聞いてくれました。
公害患者さんの話を聞いて、街のことをすこしでも考えるきっかけになってくれればうれしいです。