中島大水道を歩く 東淀川編
落語家 笑福亭仁勇さんにご案内いただいての「中島大水道を歩く 西淀川編」に続いて、5月21日に「東淀川編」を行いました。
今回は東淀川区の小学生とお若いご夫婦、吹田市からも参加がありました。
まず3人の庄屋さんが祭られている「さいの木神社」で、中島大水道が掘削された歴史の説明がありました。
さらに現在も続いている、この神社の祭礼の写真も見せていただきました。
次に西中島7丁目にある西町霊園に行きました。
ここには中島大水道の掘削を指導した3人の庄屋さんの一人「西尾六右衛門」さんの墓があります。
砂岩でできている墓石がかなり剥落しており、これ以上剥落が続くと名前が読めなくなっていくことが心配されます。ぜひ必要な保護対策が急がれます。
もう一度、新大阪の駅に戻ってきました。
蒸気機関車の動輪が展示されている場所で、「鉄道大好き」の大阪経済大学の柏原先生から説明を受けました。中島大水道から外れますが、参加者の皆さんは動輪の意味を興味深く聞いていました。
新幹線の高架下を歩いて、新太郎松樋の場所に来ました。1678年に始まった中島大水道の起点に建てられた樋です。「新太郎」という名前の由来は、大水道を開削した庄屋の一人、一柳太郎兵衛の名前からとられたといわれています。
すぐ前には、東淀川農業協同組合の作った記念碑があり、そこで全員の集合写真を撮りました。
これも中島大水道から少し逸れますが、新太郎松樋からすぐの所に、太平洋戦争当時の高射砲施設の一部が残っています。
以前この近くに住んでおられた参加者からは 「少し前までは人が住んでおられ、この近くにあと幾つかの高射砲施設が残っていました」との紹介もしていただきました。戦争の貴重な遺跡として興味深く見学しました。
落語家の笑福亭仁勇さんの説明で、中島大水の街歩きを西淀川編・東淀川編と続けてきましたが、これからは庄屋さんのご子孫、一柳家に残された古文書を読む会を計画しております。ご期待ください。