エコミューズの来館者は11月1日現在、1,763人となりました (2006年3月18日開館以降)。1,800人突破も間近です。

西淀中学校2年生の生徒さんや司法修習生の皆さん、北海学園大学(札幌市)の学生さんなどが見学や研修に来られました。また、卒業論文に取り組む学生さんも利用されています。
これからも、世代や地域を越えた交流や発信の場となるよう、エコミューズを盛り上げていきたいと思います。
(エコミューズ資料整理スタッフ 森本)
「西淀川公害の”被害の現場”を体感する」というのが
視察のテーマです。
午前中は、村松昭夫弁護士(あおぞら財団理事長)の
講義「大気汚染公害訴訟の経過と内容〜西淀川から東京まで〜」、
「西淀川大気汚染公害裁判から考える」がありました。
(大阪弁護士会館)
そして、次は西淀川へ。
午後1時に阪神「出来島」駅で集まって、さあ、出発です。
【本日のプログラム】
13:00〜14:30<フィールドワーク>
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国道43号沿道(大型車多い)
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出来島小学校(43号沿い。かつては教室に空気清浄機が)
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千北診療所(公害患者さんの組織化の原点)
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あおぞら苑(西淀患者会が作ったデイサービスセンター)
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大和田街道(旧街道)
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大野川緑陰道路(かつてドブ川、今は緑生い茂る歩行車自転車専用道路)
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あおぞら財団・エコミューズ見学
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14:30〜15:00<公害患者のお話:中川洋子さん>
15:10〜15:30<ビデオ>
15:30〜15:45<あおぞら財団の紹介:林美帆>
15:45〜17:30<森脇君雄さんのお話>
じつは、上記で17:30となってる終了時刻、当初は16:15のはずで、
その後、さらに、まとめ作業と発表をしようと考えておりました。
しかし、森脇さん(西淀川公害患者と家族の会会長、あおぞら財団理事)
のお話のところで、修習生のみなさんとのやりとりが波に乗り、
時間延長とあいなりました。
それだけ、みなさん、熱心で、それに応える形で話がどんどん展開
していきました。
大阪湾臨海部に立地する大企業相手に、大気汚染の裁判をおこそうと
いうとき、どうやって、弁護士たちの協力を得ていったのか、
どうやって被害者をまとめ、世論を動かしていったのか・・・。
最初は、なかなか裁判を引き受けてくれる弁護士がいなかったこと、
弁護士になる前の司法修習生のときから、西淀川公害のことを
知ってもらい、若手弁護士を運動にまきこんでいったこと、
裁判の年数が長くなればなるほど、若手が中核になって、勝ちパターン
ができていったこと、
判決前は、負けたときの責任をどうとろうかと、思い悩んでいたこと、
企業の中でも、裁判で決着をつけたい法務部と、企業利益を優先する
総務部で、違いがあること、
そんな、いろんな体験談や逸話が語られました。
「本当に向き合えば、お互い話し合いができる」
原告と被告、相対する者どうしでも、しっかり向き合うことで、
解決の道を見出してきた森脇さんの言葉には重みがありました。
「相手を追い詰めても、逃げ道はつくっておく。
できたら、自分のところに逃げてくるように」
なんて、言葉は、まるで兵法を聞くようでした。
最後に司法修習生からの感想を、要約ですがご紹介します。
「たとえ自分が企業弁護士になったとしても、相手の
ことも考えた解決方法を会社に説得できるような弁護士に
なりたい」
「難しい裁判を被害者から持ちかけられて、弁護士がすぐに
引き受けられなかったという話は耳が痛かった。
やはり理論だけじゃなく、現実でおきていることをしっかり
見ていきたい。結果はあとからついてくる」
「患者さんの話で、”この空気を吸って、公害病になるなんて、
思ってもみなかった”、という言葉が印象的。今なら、病気に
なるのは、当り前に思うかもしれない。でも、現在進行形の
問題こそ、そのときにはわからないのかもしれない」
「どうしても、頭だけで法律論的なことを考えてしまうが、
まず、感情的な部分でものごとをとらえたい。そして、いかに
解決するかというところで、”理論”をどう使うかが腕の
みせどころなんだと思う」
「こちらが真剣に聞けば、人は真剣に語ってくれるのだと、
患者さんの話を聞いて思った。弁護士として、当事者の方
からどうやって話が聞けるだろうかと思うこともあるが、
やはり真剣に向き合うことが大切だと思った」
あおぞら財団・鎗山善理子
今回の研修では、なぜ西淀川区という場所でまちづくりを担うあおぞら財団という組織が誕生したのかを中心にレクチャーしました。西淀川公害訴訟と財団設立へ至る経緯を説明し、財団周辺の道路環境フィールドワークを行いました。道路視察では、歌島橋交差点の横断歩道が撤去されて横断するために地下道を通らなければならない問題を見学しました。学生からは、「こんなに空気が汚いとは思わなかった。ここは臭い」という感想が出されました。
公害の語り部として、森脇名誉理事長と岡崎さんにご登壇いただきました。岡崎さんからは、ご自身およびご家族の公害のつらかった体験をお話いただきました。「好きで病気になったわけではない」という自身の原点(とくに、自分だけではなく子供も喘息となり、心中すら頭によぎったこと)、つらいことも沢山あったが運動を通じて多くの人に手を差し伸べられたこと、とくに多くの人と友達になれたことは非常にうれしかったということをお話しいただきました。森脇名誉理事からは、どうやって公害訴訟に勝利したかについてお話しいただきました。森脇名誉理事は、とくに多くの人の動員に成功したこと、患者側が西淀川地域再生まちづくりのプラン示したことこそが勝利の要因であったことを強調されました。
質疑応答
Q1:西淀川では患者さんの方からまちづくりの提案がなされたが、行政サイドは道路とまちづくりの整合すらうまくいかないように、なかなか動かないと聞いた。具体的にどんな点が大変なのか。
A:道路から見たまちづくりとは、交通量を減らし、緑を増やすと言うことである。昔、西淀川は大阪でもっとも空気が汚かったが、今は空気も改善し、若い世代を中心とした人口流入も増加している。提言したプランは「夢」のようなものもので、なかなか大変であるが、「道路とは何なのか?」ということを問うていきたい。
Q2:もし自分が同じように喘息になったとしても、西淀川の患者さんのように前向きに戦えず、引きこもりになってしまうかもしれない。企業と訴訟で戦うきっかけとなったのは、「怒り」なのか、「子孫には同じ目に遭わせたくない」という思いだったのか。
A:第一は「怒り」の気持ちである。自分で好きからなった病気ではない、ああいう思いは二度としたくないというのが運動を行うきっかけである。運動をしていく中で、子孫にはこういう思いをさせたくないという考えが芽生えてきた。
Q3:「子供と心中することも考えた」というお話を伺い、本当につらい思いをされたのだと思います。まわりの人にも同じような苦しい思いをしたひとはいるのでしょうか。
A:周りにも多いと思う。患者の中には、自分のつらい体験を話す人もいるし、話さない人もいる。また、なかには自殺に追い込まれた人もいる。
学生からは、「患者さんから、他ならぬ自分のこととして直接お話いただいたので、非常に勉強になった」という感想をいただきました。また、語り部の方も「北海道から来た若い人に元気を分けてもらったのでうれしかった」と仰っていました。(南 聡一郎、あおぞら財団特別研究員)
写真で知る倉敷大気汚染公害-『水島の公害』-
(資料館だより31号、2010/07)
紹介資料:倉敷医療生活協同組合編『水島の公害』(1991年)
エコミューズでは、西淀川だけでなく、四日市、千葉、川崎、倉敷、尼崎、名古屋南部など、全国各地の大気汚染公害の資料も所蔵しています。そのなかから今回は、倉敷医療生活協同組合編『水島の公害』(手帖舎、1991年)を紹介します。
倉敷大気汚染公害は、1960年代に本格的に操業、急速に規模を拡大した水島コンビナートからの排煙によって引き起こされました。製鉄所、石油化学工場、発電所などから排出される煤煙は、自然豊かな美しい瀬戸内のまちを一変させ、多くの住民が慢性的な呼吸器疾患に苦しむようになりました。この本は、そんな公害地域に生きる、当時のひとびとの姿を捉えた写真集です。背中をかがめ、息苦しさに耐える女性。発作の苦しさに、ベッドの柵を握り締める老人。煙がただよう空の下で、サッカーボールを追う少年たち。少しでも体力をつけようと、乾布摩擦を練習するぜん息児童。老いた体にタスキをかけ、法廷に向かう原告患者たち―。
水島では今、「(財)水島地域環境再生財団(みずしま財団)」が公害地域の環境再生に取り組んでいます。きれいな空気と澄んだ空の下で、すこやかに生きたい―そんな願いの原点を知ることができる1冊です。
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(エコミューズ資料整理スタッフ 森本)
新潟水俣病・阿賀野川と共に-映画『阿賀に生きる』-
(資料館だより30号、2010/05)
紹介資料:映画『阿賀に生きる』(1992年)
エコミューズでは、今年8月5~8日、新潟水俣病の現場を訪ねるスタディツアーを開催します。そこで今回はエコミューズ所蔵の映像資料のなかから、新潟水俣病の被害地域である阿賀野川流域に暮らす人々の生活を追ったドキュメンタリー映画、『阿賀に生きる』(佐藤真監督、カラー115分、VHS、1992年)を紹介します。
新潟水俣病は、昭和電工鹿瀬工場から阿賀野川に流された、メチル水銀化合物を含む排水によって引き起こされた公害病です。患者は手足のしびれや運動障害など、さまざまな症状に苦しみました。水質汚染による漁業への影響も深刻でした。
映画は、阿賀野川と共に生きる人々―米作りを続ける老夫婦、川風を知り尽くした川船頭、川舟を作り続ける老大工、餅つき職人の老夫婦に3年間密着して撮影されました。川筋に暮らす人々の、なにげない日常。そしてそのなかで、患者会活動や未認定患者問題など、新潟水俣病と向き合う姿が映し出されます。それは決して外側から眺めるだけでは伝えることの出来ない、公害地域の「今」を捉えた映像です。
現地を歩き、生の声を聞き、新潟水俣病の「今」を知って、伝えたい―スタディツアーを前に、そんな思いを新たにする映画です。
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(エコミューズ資料整理スタッフ 森本)