毎月第一金曜日は、あおぞら財団ボランティアの日です。
4月2日(金)のボランティア日は、配布用の菜種を袋詰めする作業をしました。
袋詰めした菜種は3000個以上!!
浅井さん、小坂さん、淀中学校の生徒会長山本さんが参加をしました。

作業中には、環境の話はもちろんのこと、野球の話、コーヒーの話・・・
色々な話に花が咲きました。
袋詰めした菜の花は、4月18日の緑の募金活動で配布する予定です。
参加者の小坂さんのブログでも紹介されています。
茂爺の日常と呟き
ぜひご覧下さい。
4月2日(金)のボランティア日は、配布用の菜種を袋詰めする作業をしました。
袋詰めした菜種は3000個以上!!
浅井さん、小坂さん、淀中学校の生徒会長山本さんが参加をしました。
袋詰めした菜の花は、4月18日の緑の募金活動で配布する予定です。
参加者の小坂さんのブログでも紹介されています。
茂爺の日常と呟き
ぜひご覧下さい。
淀協とは、西淀川に密着した医療機関・施設のネットワークで、
安心して住み続けられるまちづくりをすすめられている団体です。
まず、財団職員の眞鍋麻衣子より西淀川公害についての説明と
あおぞら財団の紹介を行った後、公害患者さんの語り部である、
永野 千代子さんと和田 美頭子さんのお話を聞きました。
永野さんからは、家族がぜんそくになり裁判に参加する経緯や
ご自身も公害病に認定されたお話がありました。
話の締めくくりに「私たちはもう歳もとったし、やりたくても
できない。若い人たちが西淀川の空気をきれいにしてほしい」と
熱いメッセージをおくられました。
続いてお話をされた和田さんは、公害病から裁判にかけての
心情の変化を語られました。
公害病がひどくなるにつれて
「こんなことで死にたくない」と思っていたのが、
病気のしんどさ、つらさから
「こんなことで生きてられない。死にたい」
となげやりになっていったそうです。
しかし、裁判の運動に関わるうちに
「こんなことで死んでたまるか!」と
思うようになっていったそうです。
お二人のお話に対する質疑応答では、
「西淀川を離れようと思わなかったのか」との質問に
「ほかに行っても看てくれる医者はいない。ここでの治療が1番。
そして西淀川の空気をきれいにしたい」と答えれました。
次にあおぞら財団名誉理事長で、西淀川公害患者と家族の会会長である
森脇 君雄さんがお話をされました。
森脇さんは淀協の職員として病院建設に関わった経緯や西淀川の現状に
ついてお話されました。
約束として孫・子のためにきれいな空気を取り戻すことを熱く語られました。
公害と戦ってきた三人のお話は、公害が過去のものではなく今も続いていると
改めて感じました。そしてきれいな空気を取り戻していく意義を再認識しました。
(北中)
今回のつどいは、テーマを環境学習に絞って行ない、18名の方が参加されました。
(第1部)
第1部では環境学習の分野で財団と一緒に活動している方々に
それぞれの活動内容などなどについて発表していただきました
◆西淀川ESD(伊藤司さん:大阪市立佃中学校教諭)
◆子どもの参画べんきょう会(山本康子さん:ガールスカウト大阪支部26団)
◆フードマイレージ教材化研究会(平尾真理子さん:大阪市立川北小学校教諭)
◆緑陰道路サロン(西口勲さん:元大阪市立歌島中学校教諭
天野憲一郎さん:大阪市立四貫島小学校教諭)
◆ECOまちネットワーク・よどがわ(一栁正義さん:ECOまちネットワーク・よどがわ会長)
それから、あおぞら財団事務局長の藤江が、財団の活動全体について報告しました。
普段環境学習で関わる皆さんには新鮮な話だったかも?です。
(第2部)
第2部では、「みんなでやろう 地域ですすめる環境学習」と題して、
環境学習についてわかった事や思った事、提案や質問それから財団の活動全般に対しての意見などを出し合いました
−会員のつどいに参加しての感想−
◆1部の時間が少し短かったのでは。
◆毎回ちがったやり方で進められているので、毎年参加してもあきません。
本年は地元で活動している皆様が話して頂けたので短かったけど、わかりやすかった
です。
◆他の団体の方々のお話を聞くことができて、有意義な時間でした。
◆多様なメンバーでしたが、ここに地域の企業、店、地域の役員etcが入っていないなぁ〜と
思いました。難問でしょうが財源とかも考えると、メンバーに入ってもらえれば・・・と!!
継続発展していくことを願います。
◆初めての参加でつどいのようすがわかりました。
今後も積極的に参加できればいいと思っています。
などなど、皆さんのおかげで、素敵な会員のつどいにすることができました。
今回得られた課題をまた皆さんと考えて、よりステップアップできればと思います。
参加された皆さん、それからメッセージを寄せていただいた皆さん、どうもありがとうございました。
(眞鍋)
西淀川公害のビデオと、資料館の展示パネルとみてもらい、わかった事をレポートしてもらいました。
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「公害問題について」
私は、ビデオを見て、公害問題が大変だったことを知りました。小学校の時の授業で、たくさんの人達がぜんそくで苦しんでいることは知っていましたが、裁判が行われたこと、多くの人が亡くなったことは知りませんでした。昔のぜんそくの患者さんたちの治療法はなく、発作を少しおさえるための吸入器をつけていたそうです。今とはずいぶんちがうんやなぁと思いました。印象に残ったことは、大野川がずいぶんと昔は汚れていたということです。ビデオにでていた人の話では、50年くらいまでは水がすんでいてとてもきれいだった、もっときれいで泳げるくらいだったと言っていました。汚染されていた当時の川は異臭がし、川の魚たちも死んでいたそうです。工場が川に流していた水も公害をおこしていたそうです。昔の人達が裁判をしたり、がんばってくれたおかげで、大野川は緑陰道路に生まれ変わり、自然があるきれいなところになったんだと思いました。私は、もし、ぜんそくの人達が裁判を工場や国を相手に裁判をおこさないままだったら、今も、たくさんの人達が亡くなっていったり、しんどいままだったと思います。昔の人達がいろんなことをがんばってくれたおかげで、私達が健康にくらせることがわかりました。だから、私も自分にできることを少しずつやっていきたいと思いました。
【S・T】
「大気汚染のビデオを見て」
大気汚染のビデオを見て分かったことは、今の西淀川区はとても清潔で楽に暮らしているのに対し、昔の西淀川区はあんなによごれていたのをビデオでしりました。昔のいりょう器具はあんまり発達していないので、その病気はすぐになおらないものになって、昔の人はとても大変だと思いました。昔の大野川は、とてもきれいな川で、魚つりをしたり、泳げる川なのに工場の排水や生活のゴミで、とてもきたなくなり、うめ立てになりました。昔の人はその大気汚染に反対し、裁判をおこしたのにあまりみとめられませんでした。印象に残ったことは、昔は大気汚染になやんでいましたが、今の生活ではとても楽な生活をしています。私たちのすんでいるこの西淀川は、昔あのようにことがあったんだと思いました。もっとこの環境を大切にし、一人一人が注意していけば、これ以上地球をよごさずにすむと思いました。大気汚染のせいで、学校にかよえない人もいます。大気汚染がきえても、まだぜんそくの人たちがいるので、少しでもその人の役にたてるようになりたいです。大気汚染のせいで差別がおきて、仕事ができないということがありました。このような大気汚染はくりかえさないように注意し、川がどろでよごれないようにしたいです。
【T・B】
「環境と公害」
私は、環境のビデオを見てわかったことは、緑陰道路(大野川)は、昔、50年くらい前までは、大野川はとても「きれい」だったのに、いつのまにか大野川はきたなくヘドロとなってたまり、メタンガスが発生して西淀川区住民の人がくるしんでるなんてかんがえもつきませんでした。昔の大野川は、工場の輸送水路として活躍した大野川は工場の廃水や生活ゴミがたまり、水質汚染になったから1970年にうめ立てられました。約40年後あんなにきたなかった大野川が自転車歩行者専用道の大野川緑陰道路となり、約13万本の樹木が植えられ区民の宝になっているなんてしって、西淀川区住民の人々は「すごいんだなぁー」と思いました。次に私が一番印象にのこったことは、病気で学校に行けない、それから食事や入浴が困難、それから医療費がかかるなどで西淀川区地域の人は治療費がたかくて多くの人が、病院にいけなかったりする人がたくさんいました。ぜん息にかかるとせきがでたり、たんがでたりして、ぜん息にくるしみ眠ることができないほど、おもい病気ってことをあおぞら財団にきてはじめてしりました。西淀川区が一番ぜん息になっている人がいるのをはじめてしりました。なので本当にあおぞら財団にこれてよかったと思います。最後に、あおぞら財団でどんなことに「とりくんでいきたいか」というと、環境のことをもっとしって、それをまた環境のことを人につたえられたらいいなぁー、と思います。なのであおぞら財団で見た公害のこと、それから環境のことをもっとしりたいです。
【N・S】
「公害」
私は、今日初めてあおぞら財団の職場体験をやらせてもらい、まず最初に公害についてのビデオを見させてもらいました。そのビデオに映っていたのは、私達が今住んでいる町でした。けれども、私達が今住んでいる町とビデオに映っていた町は、全然違う町に私は見えました。建物がほとんど洋風になり、町が違う風に見えたのもあったと思いますが、一つだけ技術が進んだとしても変わってはいけないのは空だと思います。しかし、ビデオに映っている町は空の色が黒かったです。空が黒いと朝か夜かもわからなくなり、西淀川区に住んでいる人達の気持ちまで暗くなってしまいます。しかも、空の色が黒いだけではありませんでした。ビデオに映っている人は、自分や家族がぜんそくというとても恐ろしい病気にかかったり、身近な事では私達がしている洗たくというのは“服を洗って外にほす”というのが一般的だと思いますが、当時の人は服を洗って外にほすと『服が真っ赤っかっ。』と言ってて正直びっくりしました。その他にも季節が夏になると私の家はクーラーをあんまりつけないので窓を開けっぱなしにします。しかし、当時の人は窓を開けると『たたみまで真っ赤っか』と言っていました。けれども、どうして2〜30年くらいしか変わらないのにこんなに環境が変わったのか
私は疑問になりました。そして、その後もビデオを見ていくと空が黒色になったのは工場や車などから出る排気ガスのせいでぜんそくの原因もその排気のガスのせいだという事がわかりました。しかし、その排気ガスを出している工場は西淀川区の住民が苦しんでいるのに平気で排気ガスを出し続けました。それに怒った住民達は裁判を起こしました。けれども、その裁判で原告の言い分をなかなか受け入れてくれなかったそうです。しかし、21年たった1995年、やっと裁判に勝てたそうです。もし、その裁判で勝っていなかったら、西淀川区に住んでいる人達が裁判を起こしていなかったら私達の町の空は今も黒く、そして自分自身ぜんそくにかかっていたかもしれません。公害のビデオやパネルを見て思った事は、私達にきれいな環境を作ってくれた人達みたいに、私もなりたいです。公害などに直接関係はないけれど、ゴミの出す量を減らすとか、自分が今から出来る事を全てやりたいです。
【M・M】
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その他、4月に行われるタンポポ調べのチラシの作製や、リベラ発送作業の手伝い、大阪府地球温暖化防止活動推進員が講師として実践するフードマイレージ買物ゲームの生徒役をしてもらいました。
(小平 記)