西淀川社会福祉協議会で研修を実施しました(8/31)
8月31日(水)に西淀川区社会福祉協議会で、研修を行いました。
今回は西淀川区の歴史がテーマの研修となりました。13:30からの研修には23人、15:30からの研修には8人、参加者は合計31人となりました。
1時間半の研修を今回は2回行うという形です。
研修として使用した会議室には、あおぞら財団5階にあるエコミューズに展示してあるパネルと同じものを展示していただきました。ずらりと並ぶパネルを参加者の方々は研修の始まる前や、終わった後に読んでいました。パネルは研修が終わった後も、しばらく西淀川区社会福祉協議会で展示をしてくださるそうです。
講師であるあおぞら財団の林さんの自己紹介が終わると、クイズが行われました。
「江戸時代、西淀川区には「村」はいくつあったでしょうか?ただし、新田は除きます!」
テーブルごとにグループになってみんなでいくつ村があったのか書き出し始めました。各グループに数とどんな村があったか名前を上げていってもらうと、他の参加者から「そんな村はないわ~」や「あ、その地名は忘れてた!」と声が上がりました。
実は新田だったと思われる村を含め、10つの村があったのだと林さんから説明をされると驚いたり、納得の声が上がったりしました。
古代から戦国時代までの西淀川の話には、全く知らなかった西淀川の歴史に驚いた表情を浮かべている方が多かったです。中には、歴史のことに詳しい人もおり、楽しそうな雰囲気でした。また、その直後に再度行われたクイズ、
「御堂筋線には「西中島南方」と呼ばれる駅があります。その「中島」とはどこでしょう?」
地図を配られ、みなさん相談をしながら赤線で丸をしていました。これもまた難しかったようで、あちこちで悩んでいる様子が見てとれました。実際に私も地図を見てみましたが、確かに中島はどこまでかは判断が難しかったです。
近代の話になると、中島大水道を幕府ではなく農民が自分たちでお金を出して土木工事をしたという話から実際に中島大水道を知っている人がいるか参加者に問いました。そうすると数名の方が「碑が建っているから知ってる!」と言った声も聞こえました。中島大水道は農業用排水路を作ることで、江戸時代にお金になる綿を作っていたそうです。当時は農業不振だったようです。
また、新淀川の改修が1909年に行われた理由については
1.水害のため
2.大阪港のため
3.工業地帯をつくるため
3つの選択肢には大多数の人が「3.工業地帯をつくるため」に手を上げていました。ですが、実は「1.水害のため」と「2.大阪港のため」の二つが正解だと林さんが言うと、「ええ!!二つも?!」と会議室の中で笑い声が漏れました。
そして、最後の公害と水害についての話になると、参加者のみなさんは先ほどの盛り上がりから一転してとても静かな様子で話を聞き入っていました。
西淀川は川や水の堆積物で出来あがった弱い土地があり、また戦前からの工業化で地下水を利用したためにとても地盤が低いです。西淀川は歩いていると電柱に海抜何メートルか書いてあります。よく見ると実はほとんどがマイナスだったりするので、もし街中を歩く時はよく眺めてみてください。
台風での水害や大気汚染公害については、西淀川に住んでいても知らなかった人も多く、「西淀川についてまた一つ知れたなぁ」という反応がありました。
後半の部は参加者の数が少なかったのですが、みなさんは前半の部の参加者のみなさんのように楽しそうにクイズの答えを考えたり真剣な様子で話を聞いてくれました。
参加者のみなさんが少しでも西淀川について学んでもらえて、とても嬉しかったです。
また、私も西淀川区にあるあおぞら財団のスタッフとして、西淀川のことをまた一つと学べた研修になりました。こうしてもっと西淀川についても知っていこうと思っています。
(松ヶ平)