もりもとまきのアーキビストの目 No.7
公害がうばった青春 -ある高校生の生徒手帳-
(資料館だより24号2009/05)
紹介資料:西淀川公害病患者・南竹照代さんの生徒手帳(1972~76年、谷智恵子弁護士資料No.50)
今回はエコミューズの展示資料、西淀川公害病患者・南竹照代さんの生徒手帳を紹介します(1972~76年、谷智恵子弁護士資料No.50)。
照代さんは、小学校2年生の頃に発病し、入退院を繰り返すようになりました。大阪福島女子商業高校(当時)に入学した照代さんの生徒手帳には、「5月13日喘息の為欠席致しました」「5月16日喘息の為2時間程度遅刻させていただきました」と、ほぼ毎日のように欠席や遅刻・早退の連絡が書かれています。苦しい発作と闘いながら、それでも懸命に勉強し、4年がかりで卒業を果たしました。照代さんの当時の日記に、こんな言葉が残されています。「明日から12月。あと11日で期末考査が始まるというのに、入院するとは…本当になさけない。苦しくて身体が思うようにいかない。呼吸が苦しいので、しゃべることもできないし、意識が戻ってからの方がなお苦しい思いをするなんて…くやしいなあ。(1975年11月30日)」(西淀川公害訴訟原告団・弁護団監修,新島洋著『青い空の記録 大気汚染とたたかった人びとの物語』p.35)
照代さんは、その後さらに症状が進行し、大学進学の夢は叶わないまま、1981年7月、24歳の若さで生涯を閉じました。高校卒業の年から、ほとんどの時間を病院のベッドで過ごしたそうです。
エコミューズでは、公害病患者の方々の、さまざまな生き方を知ることができる資料をたくさん所蔵しています。照代さんの生徒手帳は、その貴重なひとつです。
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(もりもとまき・エコミューズ資料整理スタッフ)