北京大学現代日本研究センター博士の研修受入を実施しました(5/19)
5月19日に国際交流基金から北京大学現代日本研究センター博士第11期生の研修受け入れを行いました。
受入を行った学生は大学でもさまざまな分野の専攻をしている学生の方々でした。
研修は、いつもと違ってあおぞら薬局の2階会議室をお借りして行われました。
今回の研修では博士課程の学生が17名、随行幹部の方が4名、国際交流基金の随行の方が4名で合計25名の大人数の研修となりました。
あおぞら薬局の会議室は満員の状態で研修が始まりました。
まずあおぞら財団の林さんから、「日本の大気汚染公害の歴史、西淀川公害と地域再生について」お話がありました。
西淀川公害の説明を行っている時に、スクリーンに映った昔の煙のひどい大阪の上空の写真には学生の皆さんは食い入るように画面を見つめていました。その画像を流しながら、林さんが「今の中国と同じようでしょう?」と言うと、学生の方からは納得したような表情を浮かべている方がいました。また、現在の中国とよく似ている状況の画像に写真を撮っている方も目立ちました。
続いて、現在西淀病院 副院長でもあり、西淀川公害裁判での医師でもある穐久英明さんから「公害発生した時に医療関係者が果たした役割」についてお話をしてもらいました。
大気汚染からなる病気についての説明や、ばい煙・ばいじんといった大気汚染物質についての説明も行われました。また、工場だけではなく車からの排気ガスも病気の原因となったことをどのように突き止めたかといった、専門的な話となりました。
医師団が喘息患者のサマーキャンプを行っていたり、集会でも医療班として参加してきたといった当時の話も聞けました。また、裁判の際には有名な呼吸器の医師が国側の証人となり、「ニセ患者だ!」と言われていた話など医療関係者だからこそのお話もありました。
質疑応答になると参加者からは多くの質問が飛びかいました。
・国や企業相手に裁判を行い、報復などはなかったのか?
→特に報復などはなかった。有名な医師相手に弁論を行ったが、医師会の中でも特にはなかった。
・患者さんへ行われているサポートは無償で行われているのか?
→病院で行われている診察は有料だが、医療班として集会についていったりする時は自分たちで負担をしていた。
・裁判の際、相手の証人は有名な呼吸器の医師だったが、何故勝てたのか?
→どのようにして裁判官に分かってもらうか。また、世論を自分たちの方へと流れが引き寄せられるか。だが、それ以上にやはり患者さんを自分たちが診ていたからこそ証明が出来、勝てたのではないかと思う。
公害患者の語り部さんには西淀川公害患者と家族の会会長の森脇君雄さんに来ていただきました。
森脇さんはぜん息の苦しさを水の張ったバケツに無理矢理顔を突っ込んだ状態と表現した上で、当時の様子を話してくれました。また、森脇さんからの言葉で「患者の救済と公害をなくすこと、転地療養が仕事だった。」との言葉がとても印象的でした。また、全国の公害患者が集まって官庁交渉を行う全国公害被害者総行動 についての話もしてもらいました。お金のない中、重症な患者さんが前面で闘い続けている姿を見ていたからこそ長く続いた裁判を闘えたのだと森脇さんが言っていました。被害にあった人が声を上げないと裁判にはならないという言葉を参加者は真剣な表情で聞き入っていました。
森脇さんとの質疑応答はとても多く、その中の一部はこういって質問が出ました。
・中国では1992年に環境に関する法律が出来たが、日本は被害者に立証責任があるが、中国では加害者側である企業に立証責任がある。そのため、被害者が訴えたり、代理の方が訴えたりする。西淀川の場合も代理の方が良かったのではないだろうか?
→私は代理人が訴えるべきだとは思わない。弁護士は忙しいし、自分が納得できるようにするべきだと思ったので代理人を立てようとは思わなかった。また、企業側に立証責任がある場合、企業側の立証が真面目に行われているとは信じられない。だが、環境健が進んでいるのはすごいと思う。訴えられない人(物)の代わりに訴えられるというのは良いことだと思う。
・今のあおぞら財団での和解金の運用はどうなっているのか?
→助成金や国との委託事業などで運営を行っている。その中で、足りない部分がある場合は和解金の一部を利用している。
質疑応答が終わると、バスで尼崎や西淀川の工場や町の中の様子を見学しました。
今回は時間の関係でバスの中からの見学となってしまいましたが、淀川の河川敷では一度降りました。そこで昔の淀川や大阪の写真と、今の様子を見比べてみたりしました。また、淀川の写真を撮っている姿も目立ちました。
その後、あおぞら財団に戻ると最後の質疑応答の時間を取りました。
・何故1988年から公害患者の認定が出来なくなったのか?
→1988年から新規で公害患者の認定は受け付けられなくなったが、訴訟は出来る。公害患者の認定が受け付けられなくなった理由には、経団連からの圧力などがあった。
・1988年からは公害患者の認定はされたのか?
→公害患者の認定がされていないので、未認定についての裁判が行われている。
・今現在、あおぞら財団で環境問題を取り扱っているが専門的にやっている方はいるのか?
→専門でやっている職員がいる。職員の専門自体は多種多様だが、それぞれが関わっている人や、他のNPOや団体と活動を行っている。
・裁判の過程で、何が一番難しかったのか?
→煙がどのように西淀川に到達するのか証明をするのが難しかった。西淀川にある企業だけではなく、大阪府内の工場企業を相手にしていたために風向きや気候の変動について証明するのがとても大変だった。
・現在の課題について、何かあるか?
→地域の再生というとてもむずかしい課題をあおぞら財団に任せてしまったことは悪かったなと思っている。また、公害患者は新たに認定をされておらず、今認定されている公害患者が高齢化して減っていることで運動を続けていくのが大変難しくなっている。
最後に、あおぞら財団の事務局長の藤江徹さんからは、「3月に北京に行った時に昔の西淀川のようだと思った。空はつながっているので一緒に大気をきれいにしていくために頑張って行きたい。」と参加者の皆さんに話をされていました。
今回の参加者の皆さんはとても真剣な様子で質疑応答も時間いっぱいまで行われ、質問したりない人が最後に森脇さんに個別で質問をしていたりと、とても有意義な時間だったと思います。聞いたことや感じたことが少しでも中国に帰って共有をしてくれたらいいなと思いました。
また、中国の大気汚染も空はつながっていて、決して中国だけの問題ではなく私たちも何か考えていけたらいいなと思いました。
(松ヶ平)