2010年3月24日
四日市公害スタディツアーに参加してきました。
このツアーは四日市再生公害市民塾の若手メンバーである榊枝さんが企画したものです。
午前中は化学会社OBの米屋倍夫氏から「四日市コンビナートと環境対策」と題してお話がありました。
巨大な四日市のコンビナートの中で何が作られているか、ということをわかりやすく解説してもらいました。
午後は塩浜地区へのフィールドワークです。
雨が降る中、車に2台に分乗して塩浜小学校へ。
その途中に三菱化学の巨大工場を横切ります。
途中にはこんな看板も。
塩浜小学校に到着したとたん、
目が痛くなりました。
学校のすぐそばにコンビナートがあります。
余りにも近いので本当にびっくりしました。
塩浜小学校の部屋で澤井余志郎氏、山本勝治氏、伊藤三男氏から解説がありました。
塩浜小学校の児童は、活性炭入りの黄色いマスクをつけて通学していたら
その黄色いマスクが四日市公害の象徴となったこと、
保健室には養護教員が複数配置されて、6台のベットには発作を起こした子どもが寝ていたこと
一日6回うがいをしたことなどが述べられました。
うがい場では実際にうがいをしてみました。
一日6回のうがいとなると、休み時間中ずっとしていたことになります。
このときの児童は大変やったやろうなぁと思いました。
また、展望台となっているテラスから、コンビナートを一望します。
その後、磯津地区へと行きました。
鈴鹿川の対岸には、工場がずらり。
ここでも目が痛くて、においがして、びっくりしました。
澤井さんたちに訴えると
「私らはにおいが気がつかない。慣れてしまっている」
とのこと。
私も西淀川でにおいや、音などは慣れてしまっているけれど、
四日市は化学のにおいがして、西淀川との違いを感じました。
現地に行くと、コンビナートと住民の近さに驚きを受けました。
これだと公害を受けるのは当然だと納得しました。
四日市の市民もなかなかこの場所には来ないとのこと。
多くの人に現地を見てもらいたいと切に願います。
そのことによって、わだかまりや誤解が少しでもなくなるのではないかと思います。
当時のことを知っている人たちから語られると、当時の風景がよみがえってくるようです。
当時を体験しない世代が公害のことを伝えるにはどうすればいいか
私達も悩んでいるところですが、
こういう「伝える」取り組みを増やして経験をつむことしかないのかなぁと思いました。
(林美帆)