国と自治体公害対策に取り組む
被害者、住民、世論に押され国がやっと本格的な対策を
公害規制法をつくる
●公害に対する世論の高まりから国は1967年7月に「公害対策基本法」をつくり、国・地方自治体・事業者のやるべきことや、環境基準を定めることなどをきめました。しかし、この時は「経済の健全な発展との調和」という条項にしばられ、十分な成果をあげることはできませんでした。1970年12月「公害国会」が開かれ、「公害対策基本法」から「経済との調和条項」を削除し、14の関連法規を制定・改正して、その後も法的には過失がなくても責任を問える無過失責任の制度を導入し公害企業の責任を厳しくするとともに、汚染の削減につとめました。
公害被害者の救済制度をつくる
●三重県四日市市では1965年から市費による公害患者への医療費給付が行われていました。国は「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」をつくり、1970年から公害病患者に医療費を給付しました。最初、大阪市西淀川区など、全国で3箇所が公害指定地域とされました。
●1972年7月の四日市公害判決で企業の責任が明確になると、国は汚染者負担の原則(PPP)にもとづいて、「公害健康被害補償法」をつくり、汚染企業の拠出金をもとに、1974年9月から医療費だけでなく、生活費等も給付することにしました。しかし、財界はこの負担を嫌い、国はそれを受け入れて、1988年には公害指定地域を解除し(第1種のみ)、公害患者の新規認定を打ち切りました。