対話の重要性を学ぶ IATSSフォーラム受入(6/16~18)後編
引き続き、IATSSフォーラム受入の後半をご報告します。
前編の記事はこちら
2日目は座学を離れ、終日、西淀川のフィールドワークです。
午前中は、企業訪問。今回は、中島工業団地の中にある(株)山崎シャーリングを訪問しました。
あおぞら財団の理事も務めていただいている会長の山崎光信さんに、創業当初から現在にいたるまでのお話を伺いました。
1965年の創業時のシャーリング・マシーンは鉄板を大きなハサミで切るようなもので、ガシャーンガシャーンと大きな音がしました。その頃、工場は住宅街である歌島にあったため苦情が出たため、工業団地として整備されつつあった中島に移転しました。
しかし中島でも別の問題が発生。当時、大きなトラックが三角州である中島地域に入ってくる道は堤防沿いの一本しかなく、たくさんのトラックが走ることで堤防の壊れることを懸念した住民から反対の声があがりました。住民と話し合いを重ね、府市へ働きかけ、10年かけて堤防を頑丈にすることと、新たに橋を架けることを実現しました。
住民との対話を続けてきた山崎さんは、研修生のみなさんにご自身の経験を次のように語ってくださいました。
「企業側は利潤を追求する。安くしないと競争できない。50年前は『そこで働いて食べているんだから仕方がない』と思っていた。けれどがまんしていると下手をするとみんな死んでしまう。空気や水をきれいにする装置をつけるとコストは高くなるけれど、みんな同じ条件。他のことでコストを下げる努力をすればいい」
昼食の後は国道43号線で国土交通省大阪国道事務所のみなさんから道路対策のお話を伺い、その後、デイサービスセンター「あおぞら苑」を見学しました。
盛りだくさんな2日目の最後は西淀川高校訪問です。
西淀川高校のエコ・コミュニケーション部(愛称:エコ部)のみなさんから、日々の清掃活動や菜の花プロジェクトの活動報告がありました。
研修生からは「私がみなさんの年頃には、環境問題を知らなかった。すばらしい活動だと思う。自分の国でも伝えたい」といった感想が出されました。
3日目はまず、これまで2日間の学びをふりかえり、3つのグループにわかれてまとめ、発表してもらいました。
ちょうどこの日はあおぞら財団に歌島中学校の生徒さんたちが職場体験実習に訪れていたので、研修生のみなさんの発表を聞いてもらいました。(そのときの様子はこちら)
どのグループでも注目されたのは、多様な世代、セクターの人々の対話と行動についてです。
高齢の公害患者さんが経験を若い世代に伝えていること、西淀川高校やあおぞら苑などで公害の知識が共有されていること、企業が住民と話し合い環境問題に取り組んでいること、国も技術力をもって公害対策に取り組んでいることなど、地域に関わる人々の気づきと努力によってまちづくりが行われていることが、発表の中で挙げられていました。
午後からは、各グループをひとつの国と想定して、持続可能な地域づくりについて考えました。
IATSSフォーラムではこの後、まだ約1ヶ月、学びを重ね、持続可能な地域づくりについての研究を深めるとのことでした(研修生のみなさんがフェイスブックでその様子を発信されています。ご関心のある方はコチラをご覧ください。ただし英語です)。
この日まとめられた3つのグループの成果と、西淀川での3日間を終えた研修生のみなさんの感想を最後にご紹介します。
研修生のみなさんがそれぞれの持ち場で活躍されることを願っています!
○研修を通じて印象に残っているのが、将来の子ども達へよりよいまちを手渡そうという、西淀川の人々の「情熱」だ。自分達の為だけでなく、将来の子供たちが安全で健康的な環境で過ごせるように、地域の清掃活動や、環境への意識を高める取り組みをしたり、公害患者だけでなくお年寄り皆がつながりを持って暮らせるように考えたりと、個人個人が地域への思いを行動に移し、地道な努力を続けていることが素晴らしかった。
○持続可能なまちづくりを実現するには、あらゆる立場の人の視点を入れることが必要。その為には「あおぞら財団」のような中間組織が、各関係者をつなぎ、話し合いの場を設けたり、意思決定や実施の過程でリーダーシップを取っていくことが大切だと感じた。
○西淀川での研修は、公害が環境や人々の生活に与える負の影響について学ぶことができ、私たち皆にとって非常に重要な研修になったと思う。公害は、短期的で視野の狭い考えに基づいた行動がきっかけで起きたことだと思う。ヤングリーダーとして、最初に間違った決断をすると、後で大きな負債を背負うことになるということ、それ故に長期的な視点に立ってバランスの取れた決断をすべきだということを学んだ。
○ASEAN諸国のような発展途上国にとって、環境問題は二の次にされてしまうが、西淀川研修を通して、日本に続くのではなく、日本の失敗から学び、同じ失敗を繰り返さないようにすべきだと感じた。