中島大水道の跡をたどる
昔、東淀川区~淀川区~西淀川区にかけて大阪湾へつながる『中島大水道』という農業用の排水路がありました。江戸時代の農民が自力で掘ったもので、全長約9.2kmあります。
低地だった為、雨が降ると農地に水がたまってしまい、排水に悩む当時の農民達が幕府に排水路建設を訴えました。
ところが、幕府の許可が下りず、困り果てた農民達は、無許可のまま自分達でりぬきました。
指揮をした庄屋さん3名が幕府に抗議をし自害をしたと伝えられています。
中島大水道についての説明 詳しくはこちら
*東淀川区HP中島大水道跡説明
今は中島大水道の流路は埋め立てられています。
西淀川区を通る一部は大野川緑陰道路になっていますが、殆どが道路になったり建物になったりどこに流れていたのか、激変した町の中ではなかなか分かりません。
中島大水道を多くの人に知ってもらうために、ウォーキングマップをつくろうという取り組みをすすめています。
緑陰道路サロン、ECOまちネットワーク・よどがわ、あおぞら財団が協力し、すすめていたのですが、今回、中島大水道に詳しい落語家の笑福亭仁勇さんに案内をしてもらいました。
笑福亭仁勇さんは、あおぞら財団の会員にもなっています。(ありがとうございます)
*仁勇さんのブログ「にゆう・わーるど」の「街道以外をもゆく」のページの中に、仁勇さんが中島大水道のことをまとめています。
10月24日(月)、中島大水道に関心のある人たち、10人で歩きました。
明治18年の地図
今の淀川の開削の前です。
青線が中島大水道です。この時代の地図にはしっかり残っています。
農地がひろがっている様子がわかるでしょうか。
現在の地図
明治の地図と重ねたところ、少々ずれているので中島大水道跡を点線(青線)にしてます・・・
◆東淀川区(淡路)
②中島大水道を開削を指揮した農民代表の庄屋さんをまつる「さいの木神社」で記念撮影。
中島水道開削工事の責任者、澤田久左衛門・一柳太郎兵衛・西尾六右衛門の三庄屋の冥福を祈って建てられた社です。
④淀川区・区民センター前の交差点。この道をまっすぐ中島大水道が通っていました。
⑤土手の堤防にあがる階段の跡(十三)。今は十三バイパスの高架下になっています。
中島大水道はもうすこし続きますが(福村〈今の西淀川区福〉と伝法村〈今の此花区伝法〉の間を通り大阪湾へぬけていました。今は中島大水道の終点は、淀川〈明治時代に開削〉の中です)今回は、ここまで。
約8kmを歩きました。1時30分に集合し、終了は5時近く。
3時間半のウォーキングです。
みなさんお疲れさまでした。
<参加者の感想>
・仁勇さんのお話はとても興味深く、結構長い距離でしたが、あっという間に過ぎました。
どちらというと、今までは西淀川区の歴史を勉強しており、中島大水道と淀川区東淀川区の人達の関わりが、理解できていませんでしたが、今回、三義人のこともわかり、人と川のつながりなど、よくわかりました。
・今は水辺というと大きな淀川
中島大水道があった時代は、水辺の子ども達の遊び場もたくさんあったんだろうと思いを馳せてあるいた。
・いろんな人の話が聞けて良かった。健康にもよかったでしょう。
西淀川区の史跡も歩きたい。
・学習しないと気がつかない町の中の歴史にふれることができた。
・水害などの防災と絡めて現在に伝えられるのではないか。
この日歩いた結果は、西淀川高校文化祭(11月5日)や、あおぞらイコバで紹介いたいと思いますので、お楽しみに。
*参加した野里ヒクイナ会の井川さんも、まち歩きの様子をブログに掲載しています。
コチラ→ にしよどBlog
よどっ子さんのコメント — 2016年6月20日 @ 10:58 AM
此花区に小さい頃から住んでいて高校は西淀川区に行き現在は淀川区に住んでいます。
御縁を感じます。
aozorafoundationさんのコメント — 2016年8月2日 @ 2:12 PM
コメントありがとうございます!中島大水道跡をたどる活動を積み重ね、まち歩きマップを作成しました。機会がありましたら、こちらもぜひご覧ください!
http://aozora.or.jp/katsudou/manabu/nakajimadaisuido