京都精華大学授業
2012年6月25日(月)に京都精華大学の環境思想論で西淀川公害のお話をさせていただきました。
市民運動の重要性を伝えてほしいと言うことでしたので、
患者会活動があって、環境対策が進んでいる事、
全国の公害患者が連携をして、昔から交渉を積み上げている事、
あおぞら財団の活動で、どういう事をしているのかをお話ししました。
70人のクラスだったのですが、なんとかこちらを向いてもらって、公害を理解してもらうためにはどうすればいいか
とっても難しいなぁと思いながらの講義でした。
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また、京都精華大学からは夏に集中講義の一つとして、西淀川にフィールドワークに来てくれることになっています。
準備と、心得を参加者へお伝えしました。
また、どんな化学反応を起こしてくれるでしょうか?
楽しみです。
感想を紹介します。
○「大気汚染が収まったのは、患者さん達が頑張ってくれたおかげ」ハッとした。たしかにそうだなあと思う。僕らが現在公害になやまされていてもおかしくはなかった。
○子どもたちのアンケートでせきが50%弱続くというのでたばこをかなり吸う人もせきがよくでるので原因とか物質は違うだろうけれど、常にそういう煙を吸っているというのはどれだか体に悪いか少し恐ろしいです。人が少ない場所ならいいというわけではないが。大阪という人の多い所で目に見える位の大気汚染が有ったのは想像できませんでした。今は飛行機のちゃんとした燃料かどうかまでは調べられて、基準を超えていたら、訴えられるのに、昔は平然と病人がでて問題が起きて、大事になるまで工場は動き続けるんだなと思った。昔の人が問題にして、法律が出来て、今があるので、昔、問題にならず今までずっと汚染が続いていたら、普通にそこで暮らせるのか、マスクをかぶらなければ外に出られないような場所になっているのかと想像してしまいこわかったです。話し合える関係が築かれているなら、裁判で何十年も争うことなく、解決できると思いました。あおぞら財団はすごいなと思った。
○保育園児への影響のせきが出たり、扁桃腺がはれたり、という症状の割合が高くておどろきました。後に出てきた裁判とかをおこす人たちをよくみていたので、子どもへの影響というのをあまり考えたことがありませんでした。小さい頃は走りまわったりだとか、外で遊ぶことが多いし、せきが出たりするのは本人自身とても気になるんじゃないかと思いました。裁判をおこした人726名というのはすごいけれど、患者さんの数にくらべて少ないんだな、と思いましたが、おこすことで白い目で見られたりする、ということにおどろきました。今までニュースでしか見たことがなかったし、患者さん全てがおこしているようなものだと勝手に思っていました。たしかに、原因になっている企業とかで働いている人がいてもおかしくないということに気付けて良かったです。
○公害の問題というものは、裁判に勝ってすぐに終わりとはいかない。それですぐに環境がもとに戻るわけではないし、公害の被害を受けた人は、身体的・精神的な問題を一生背負っていかなければならない。単純な問題ではないことを改めて考えさせられた。 「公害=もう昔のこと」というイメージが強かった(足尾銅山にしても、四大公害にしても、教科書に載る=昔のこと、というイメージはぬぐいきれない)。しかし今回のことで、直接的にも間接的にも様々な活動が行われていることが知れた。私のように、特に若い年代や直接公害の被害を受けていない県の人などは、公害についてよく知らない。さらにこのような機会が増えるといいと思った。
○小学生の頃に4大公害病を学習したが、大阪で西淀川公害が発生していた事は初めて知った。複合大志汚染に含まれる硫黄が、京都の重要文化財の仏像を参加させるほど大量に排出されていたことにおどろかされた。大都市には人口が密集するため、公害が起きるのは、必然的なものかもしれない。人口が多いとその分、生産、消費、廃棄の量も増える。楽で尚且つ低コストで物事に取り組めば、対策は雑になるからだ。人間が地球に存在している限り公害は必ず起こるが、それを見放すのは間違っている。少しでも環境へ与えるダメージを軽減しながら生活することが、人間が最大限できる配慮だと思う。
○公害病というと四大公害のイメージしかなかったのですが、今日の講義で(複合)大気大汚染というまた別の公害について分かったし、対策や法律なども話されて1つや2つ以上勉強になることがありました。自動車の排気ガスが大気汚染の原因の1つとされていますが今はハイブリット車の普及、電気自動車、アイストップというシステムが開発されたり環境への配慮を考えながら自動車文化の進展も見られ良い方向へ進んでいけると思いました。ただ、それでもインフレなどの問題もあり環境や発展に対する課題を消化するには、イタチごっこのような感じでゴールも良い意味、悪い意味混ぜて見えてこないなあと思いました。逆うに言うと終わりが見えないからこそいろんな方向性に目を向けたり、自由性があるとおもったのでそれは大事にするべきではないでしょうか。
○「企業の意向を丸ごと受け入れたら、住民たちに好き放題やり放題をするかもしれない」そんな感じがする。政府にしても、企業にしても、やはり批判的に捉えないと大変な事になるし、1960年~1980年代のこうがいもんだいは企業主体の生産活動(住民の健康問題を二の次にした)は胡坐をかいていた日本社会に対する「しっぺ返し」であるし、中国もいずれ同じ目に遭うのではないかと思う。そして、企業側の法律潰しといった多数派の汚い手口は気味悪く感じるが、逆に何かに怯えている感覚や追い詰められている感覚もあるので、独り善がりであるのと同時に変化を恐れているような印象もある。
○大阪西淀川の空の写真が印象的だった。自分が思っていたよりも公害は多大な被害だったんだなと思った。大阪市に留まらず、京都にまで被害は広がっていて、仏像とかが錆びたというエピソードが一番衝撃的だった。他の県も他人事じゃなかったんだなと思った。よく時代時代のできごとと共にその時代のヒット曲を振り返る番組で、60年代の時に公害が取り上げられるだけあるなと思った。―このような公害の話を聞くと、どうしても環境をいかに復興させるのかの方へ目が行くけれど、エコのトラックや自転車の話を聞くとコミュニティも大切な環境保護に通じるものの一つなんだと思った。
○1960年代の空にびっくりした。地上から上を向いて撮ったものかと思うくらい雲のような煙がすごいと思った。こんなに煙が出ているのになぜ気付かないのかと思っていたが、煙が凄く出ているのが普通であったから気付かなかったということを言われ納得した。発展途上国等で体に害がある薬品等を素手で触ったりしていたのは、それが普通であった為かと理解することができた。西淀川の人々は気付いて声を上げ裁判を行ったりアグレッシブに活動していたが、発展途上国の人々はいつ気付いて声を上げるのか気になる。その時、その国の政府に声がつぶされないように今の自分には何ができるのだろうかと思った。
○1960年代の工場周辺は自分が想像していたより酷いものだなと思った。公害でも何でもそうだけど、こういう被害をまっさきに受けるのが子どもたちなのは理不尽だなと思った。企業の公害問題を裁判で訴えても、汚染物質の排出量をだらだらと公表しなかったり、政府の方が企業側が得するような動きをしたりと、最近の原発関連の電力会社や政府みたいにはっきりしないなと思った。そして、なによりも利益を優先する考え方は、昔も今も全然変わらない。さすがに今では、昔ほど、公害問題はあまり見なくなったけど、当時被害を受けた人にとってはまだ続いている問題なのだなと思った。当事者だけでなく、第3者の意見も聞く事で状況の変化が分かってくる。
○大阪の公害者数の実態は今まで気にした事もなかった。これも環境を犠牲にし、経済の飛躍的な発展をした結果であると思います。今の中国なんかも経済の発展に躍起になっていますが、後々、そのつけが大きく出てくると日本の公害裁判について聞いていて思った。表面化していないだけで、今でも日本のどこかで公害で苦しんでいる人がいる。企業が地球の人とよく話し合ってなにかをすることがこれからの時代求められてくるのではないかなあ。エコに関しては、節約にもなり、経済的にも環境的にも易しいものとなる。無駄で、切り捨てられるところは企業も、民間の人もどんどんエコに取り組むべき。僕も近所ならバイクや車を使わず、公共の乗り物や、自転車、徒歩で頑張ってます。
○大阪の西淀川区が昔大気汚染でたくさんの人たちを苦しめていたことは知らなかったです。そのために被害者の方が企業に大気汚染を廃止するようにさいばんを起こしたり、様々な運動をしていたことも知らなくて、大変なことだったこと知って驚きました。また、日本に公害健康被害補償法があって良かったと思ったのですが、どこまでの被害が補償されるのか疑問に思いました。もしかしたらその被害にあっているのに、症状が軽いと認定されない人も多いのではないのかとおもいました。一番心配なのは子どもたちです。今は、大気汚染といえば、放射能汚染です。症状が出るのには時間がかかると言われている放射能。これから体に異常が出てくる人もそのうちにいると思います。それらの被害は今後どのように対処されていくのでしょうか。これから将来ある子どもたちがとても心配です。また「あおぞら財団」という財団の存在もしれてよかったです。あおぞら財団という財団が環境被害による積極的な活動を行っていることで、身近にそういった財団があると、心強いし、こういった財団がもっと全国的に増えてほしいと思いました。
○今、学生運動を起こしても実りがあったなんて聞いたことがありませんが、何かを変えたいと思ったら待っているだけじゃだめですよね。しかも自らの被害を補償しろというものでもなく、区全体の改善をより良い結果を前例から学び、訴えて勝ち取った公害反対運動のみなさん。大変勉強になりました。温暖化進行は公害進行でもあるんですね。果たして、地球が先に朽ちるか。それとも、人間に多大なる悪影響が出るのが先か。そういう暗い未来になってほしくはないですね。ただ、他人事ではないなと再確認できました。
○あおぞら財団にかせられている課題はとても幅広いことに驚きました。行政と企業と住民がつながる場を提供するお仕事というのはすごく難しいのだなと実感させられました。「話を聞いてあげる」ことを大切にしている財団の活動はすごく素敵だなと思います。私自身、今、自主企画でイベントを行うため日々頑張っているのですが、つくづく自分には、行動力、実行力、プレゼン力もろもろが足りてないと実感する毎日なので、様々な公共イベントやゲームを企画、計画するのは本当にすごいな!と心底思います。地域、環境の活性化に取り組んでいる財団さんはとてもすてきですばらしいです。私も目標の実現に向けてさまざまな事にチャレンジしていこうと思いました。
○今の日本では「公害は終わった」という言葉すら聞くことがないほど、公害が過去のものであるかのようになっている。しかし、本当に「公害」が終わったのかというとそうは考えられない。公(おおやけ)の害と書く公害はかなり広い事柄を含んでいると考えることができ、何も大気・水質汚染に限られた話ではなくさまざまなかたちで存在しているし、それは環境基本法の定義からも明らかだ。今日話されている中でも少し出ていた沖縄米軍基地による騒音等の被害が現在でも存在し、さらに去年の福島原発事故は非常に広範囲で長い期間続く公害となっている。そこでは現在被害を受け続けている人々が自分や家族の健康を守るため、平穏な生活を取り戻すため、二度と同じ過ちを引き起こさないように活動をしている。
それらの被害とそれに対する活動は現在進行形で行われているのだが、それなのに公害が起こっている地域から離れた場所では、あくまでも主観だが別の場所で起こっている他人事だという雰囲気があるように思う。そして、その「雰囲気」は被害を受けている人々の願いがなかなか達成されないところに現れているのではないだろうか。沖縄では相変わらず米軍機の騒音被害が改善されず、墜落への危機感も残る。福島では福島市や郡山市などの放射能汚染を受けた地域で人々が生活している状況が続き、原発は再び動き出そうとしている。
そのような状況に対して他の地域に住む人々も他人事とは考えず、何が起きているのか。何が問題であるのか。どのような状況が望ましいのかを自分にひきつけて考え、被害を受けている人々と連携して声を上げていくことがあれば政府や企業を動かす力となる可能性がある。それは逆に言えば現状は多くの人がその可能性を放棄しているということなのである。
もし、沖縄や福島で起こっていること他人事だと考える人々が多くいるのだとしたら、そこには自分の生活への被害はないから関係ないという心理があるのかもしれない。しかし、原発による被害は多かれ少なかれ日本中の人が受けているし、沖縄意外はどこに住んでいても高い濃度の放射能が直接降り注ぐ危険性がある。沖縄の米軍基地問題にしても予測できないような流れで自分の生活地域の近くに移転される可能性が全くないとは言えない。また、これまで認識されてこなかった新しい公害の被害を受けることも考えられるのである。例えば実際に事が起こったとき、それ以前に他の公害被害地域とのつながりを作っていたのならそれは大きな力となるし、そもそもすでに起こっている公害の原因からどう対処すれば同じようなことが起こらないのかという対策をとることができていたのなら、自らが被害を受けるリスクが減るのである。
ただ、このことを考えていくうえで問題なのはどのようにすれば、他の地域で起こっていることを自分事とする意識を多くの人に持ってもらうかである。そのことについては西淀川公害に対する運動で行われた世論への訴え(100万人署名など)に、もしかしたらそのヒントのひとつがあるのかもしれない。
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それから、石けん教室に通ってくれていた学生から、「こんなんできました」とのお披露目がありました。
これは成功作。
こっちは、残念ながら失敗作。混ぜるのは足りなかったみたいです。
京都精華大学の学生さんは、こうやってスタディツアーや授業、インターンシップなどでお世話になる事が多く、
学生さんがあおぞら財団に関わってくれる機会が増えています。
そして、嬉しかった報告がこれでした。
卒業論文集を頂いたのですが、優秀論文に選ばれた4人のうち2人がスタディツアーの参加者だったのです。
西淀川公害の事がかかれているわけではないのですが、祝島の原発反対運動についての考察と
福島原発の放射能被害から子どもを遠ざける事を目的としたキャンプの報告と考察という
なかなか社会問題に深く切り込んだ作品でした。
公害を学ぶということで、社会を複層的に見つめることができればと思っているのですが、
こういうように実を結んでいるのを見ると、とてもうれしくなります。
これからも、頑張ろうと思いました。
(林)