京都教育大学社会学ゼミ フィールドワーク受け入れ(11/18)
11月18日に京都教育大学 土屋ゼミ(学生12名)を対象にフィールドワークを行いました。
テーマは「西淀川大気汚染公害」です。フィールドワーク後には公害患者さんのお話・ワークショップ「あなたのまちで公害が起きたら」を実施し、一日を通して西淀川を学んでもらう構成となっています。
13時に出来島駅を出発し、国道43号線を目指します。
国道43号線は、当時大型車の通過交通が多く、その自動車排気ガスと工場の煙が西淀川における複合大気汚染の原因となりました。現在は遮音壁や、高活性炭素繊維で排気を浄化するパネルの設置、街路樹など様々な公害対策がなされています。
出来島小学校を通って千北診療所、あおぞら苑へ向かいます。国道43号線から道を外れ、住宅地に入ると自動車の移動音が気にならなくなりました。43号線ではスピーカーを使用して説明してましたが、ここからは外しての説明です。静かな住宅地と比べれば道路沿いは対策がなされていても、今でも音が気になります。それを考えれば当時、生活への影響がどのようなものであったか想像できました。
千北診療所は初代の公害医療センターが設置された診療所です。西淀川公害患者と家族の会の事務所も併設され、公害病患者の治療の拠点だった病院です。拠点であったこの診療所は、患者さんたちにとって医療面でも精神面でも支えになっていたのではないでしょうか。
あおぞら苑は公害患者の高齢化に伴う日々の生活援助を目的として2006年にオープンしたデイサービスセンターです。公害患者だけでなく地域の方々も利用し、人気があるそうです。そばの記念碑には「公害と闘い環境再生の夢を」という滋賀大学前学長の宮本憲一先生の文字と、公害裁判についての文面が記されています。
途中、千北橋から神崎川を眺め、川の水位を確認しました。
橋から住宅地と川の水位を見比べると、住宅地が川より少し低い位置にあります。西淀川は海抜ゼロメートル地域が多く、水害に弱いことがここでわかります。
大和田街道を進み、大野川緑陰道路へ。
大野川緑陰道路は、大野川と中島大水道の一部が埋め立てられてできた自転車・歩行者専用道路です。自転車路は川を想起させる水色、歩道は暖色となっています。緑蔭道路から上を見ると橋が架かっているのがよくわかり、かつて川であった名残が各所にあります。大野川は工業化に伴い、汚染されドブ川となりました。一時はこの川を高速道路にするという動きもありましたが、住民運動により今の緑あふれる緑陰道路となりました。
緑陰道路を少し散策し、財団へ向かいます。
14時30分過ぎに財団5階にある公害と環境資料館「エコミューズ」の見学を行い、当時の資料などを見てもらいました。
見学の様子
資料を熱心に見てくれました
15時に3階へ移動し、公害患者である岡崎久女さんのお話を伺いました。上田敏幸さんも同席されました。
久女さんは14~15歳で高知県から尼崎市に働きに出、23歳での結婚を機に西淀川に越してきたそうです。
高知にいた時より風邪をよくひくようになったそうです。3年が経った頃、なにをしているわけでもないときに息がしにくくなり、その夜の12時頃千北診療所へ行き、公害病だとわかりました。薬の副作用がひどく、歩くことすらままならない状況で子育ても重なり、苦しかったといいます。現在でも最低でも週に一度は通院しており、「苦しみと闘い、今も闘っているけれど、今は上手くつきあっている」と久女さんは言います。
質疑応答では、以下のやり取りがありました。
Q地域に対しての忌避感はありましたか。土地を変える(引っ越す)という選択肢はありましたか。
久女さんの回答:ここ(西淀川)に嫁いできたわけだから(ここで暮らそうと思っていた)。土地を変えたら自分の症状に対応してくれる新しいお医者さんを探さないといけないのも残った理由。ただ、子どもが高校に進学する際、ここを出たいか聞いたら「おかんには別にふるさとがあるけど、おれのふるさとはここや」と答えられ、思いとどまった。
上田さんの回答:患者全体の傾向として引っ越さない理由は2つある。1つは経済的な理由で患者さんはお年寄りや子どもが多いし生活が目一杯だった。もう1つは医療体制。喘息など、公害病に対応できる医療機関がある場所がなかなかない。西淀川は医療体制がしっかりしていた。
Q公害患者ということに関して、何か周りからされて嫌だったことや良かったことはありますか。
久女さんの回答:そもそも「公害病」ということは当時まわりに黙っていた。
上田さんの回答:公害患者であることが不利益であると考え、認定を受けなかった潜在患者は多いし、普通だった。また学校で子どもたちが体育や林間学校、修学旅行に参加しづらく苦労していた。
西淀川大気汚染公害に関する講義のあと、学生さんにワークショップ「あなたのまちで公害が起きたら」を体験してもらいました。これはあおぞら財団の開発したロールプレイ教材で、「多様な立場から社会課題を捉える」ことをテーマに203x年に自分のまちで公害が起きたことを想定に、与えられた役割を演じ、話し合うものです。(詳細はコチラ)今回は6人でグループに分かれ、与えれた役割を演じ、公害対策に向け合意形成を図りました。
ワークショップのまとめとして話し合いで出た意見を簡単にご紹介します。
・調査はX社のデータに基づいていたので第三者による調査をする。
・公害の原因がわからないこと自体が不安を生んでいるのではないか。
・今まであった公害にとらわれず、もう一度調査をしてみてはどうか。
など、実際にシミュレーションをすることで当時の様子を想像することができました。
学生のみなさんの感想からいくつかご紹介します。
・学校教育では主に四大公害しか教えることがないので、今後教員として働く身として、よりローカルな公害問題にも注目して子どもたちには教えていきたい。
・実際に、被害者のお話を聞くことができて、辛さというものを実感することができました。
・様々な人が住む地域で実際に苦しんだ人、苦しみを知らない人が共に生活をしている。平凡な毎日と思って日々を過ごすのではなく、みんなにとってよりよい街にするために考え続けることが必要だと思う。
・社会の中には様々な立場の人がいる。強い/弱いなどそれぞれの立場があるからこそ問題も複雑になる。だからこそ社会を動かす責任をもつ立場である政府には慎重に議論してもらいたい。
・ロールプレイで起こった疑問から、実際に起こった過去の事例につなげることで、生徒の興味を引っぱれるなと思ったので、活用したい。
以上、京都教育大学社会学ゼミフィールドワーク受け入れの報告でした。
(学生アルバイト 東)