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ブログカテゴリー » もりもとまきのアーキビストの目

もりもとまきのアーキビストの目 No.16

教育現場で、公害と向き合う-出来島小学校の取り組み-
(資料館だより33号、2010/11)
紹介資料:『大阪市立出来島小学校 昭和45年度公害対策研究指定校 研究発表紀要』

今回は、エコミューズ所蔵資料『大阪市立出来島小学校 昭和45年度公害対策研究指定校 研究発表紀要』(谷智恵子弁護士資料No.84)を紹介します。同小学校は’70年度・’71年度に、大阪府・市、両教育委員会から「公害対策研究学校」の指定を受け、教職員は児童に対する保健指導や公害学習の指導方法を研究・実践しました。この紀要は’70年度の取り組みがまとめられたものです。

教職員の熱意が伝わる 教職員の熱意が伝わる 

大気汚染から児童を守るため、学校独自で大気汚染注意報(二酸化硫黄0.25ppm以上)・警報(0.4ppm以上)の基準を作り、警報時には、体育は講堂内・教室内で実施または中止、休憩時間は屋外に出させない等のルールを設け、空気清浄機の設置やうがい施設の整備など施設面での対策も図られました。また、ぜん息児童の保護者を対象に健康相談を開いたり、「ぜん息日記」や「ぜんそくカルテ」を作ったりして、一人ひとりの症状の把握と改善に努めました。さらに大気汚染に関する学習を、道徳、社会科、体育、学校行事、学級指導などで実施するなど、公害教育にも積極的に取り組んでいます。

学校教育の現場が、公害から児童を守り、そして立ち向かう力を育てるために奮闘するようすを伝える資料です。

☆資料館だより33号はこちら

(エコミューズ資料整理スタッフ 森本)

Filed under: もりもとまきのアーキビストの目,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2011年5月20日5:12 PM

もりもとまきのアーキビストの目 No.15

若い力で、伝えていく。-『四日市環境情報誌 なたね通信』-
(資料館だより32号、2010/09)
紹介資料:四日市再生公害市民塾『四日市環境情報誌 なたね通信』

今回は、エコミューズに届くたくさんのミニコミ誌のなかから、「四日市再生公害市民塾」の20代の若手メンバーが発行している『なたね通信』(偶数月1日発行)を紹介します。

若い感性が光る 若い感性が光る 

四日市大気汚染公害は、1960年代に本格的に稼動、急速に規模を拡大した、発電所、石油精製工場、化学工場からなる四日市コンビナートの排煙によって引き起こされました。多くの住民が呼吸器疾患に苦しみ、小学校には「うがい場」が設置され、児童たちが一日6回のうがいを行うほどでした。「四日市再生公害市民塾」は、こうした公害の経験を風化させることなく、後世に教訓を伝えていこうと活動している市民グループです。その若手メンバーの取材・編集による『なたね通信』の誌面は、「語り部養成プログラム」や「四日市公害を学ぶスタディツアー」の企画・実践報告、また地元特産の小女子(こうなご:イカナゴの別称)漁に同行取材、そして市内企業のヒット商品をレポートと、とてもアクティブ。

次世代の若者たちが、公害の記憶・まちの記憶を語り継ぐためにチャレンジする姿が、いきいきと伝わってくるミニコミ誌です。

☆資料館だより32号はこちら

(エコミューズ資料整理スタッフ 森本)

Filed under: もりもとまきのアーキビストの目,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 5:07 PM

もりもとまきのアーキビストの目 No.14

写真で知る倉敷大気汚染公害-『水島の公害』-
(資料館だより31号、2010/07)
紹介資料:倉敷医療生活協同組合編『水島の公害』(1991年)

エコミューズでは、西淀川だけでなく、四日市、千葉、川崎、倉敷、尼崎、名古屋南部など、全国各地の大気汚染公害の資料も所蔵しています。そのなかから今回は、倉敷医療生活協同組合編『水島の公害』(手帖舎、1991年)を紹介します。

写真が伝える、水島の願い 写真が伝える、水島の願い 

倉敷大気汚染公害は、1960年代に本格的に操業、急速に規模を拡大した水島コンビナートからの排煙によって引き起こされました。製鉄所、石油化学工場、発電所などから排出される煤煙は、自然豊かな美しい瀬戸内のまちを一変させ、多くの住民が慢性的な呼吸器疾患に苦しむようになりました。この本は、そんな公害地域に生きる、当時のひとびとの姿を捉えた写真集です。背中をかがめ、息苦しさに耐える女性。発作の苦しさに、ベッドの柵を握り締める老人。煙がただよう空の下で、サッカーボールを追う少年たち。少しでも体力をつけようと、乾布摩擦を練習するぜん息児童。老いた体にタスキをかけ、法廷に向かう原告患者たち―。

水島では今、「(財)水島地域環境再生財団(みずしま財団)」が公害地域の環境再生に取り組んでいます。きれいな空気と澄んだ空の下で、すこやかに生きたい―そんな願いの原点を知ることができる1冊です。

☆資料館だより31号はこちら

(エコミューズ資料整理スタッフ 森本)

Filed under: もりもとまきのアーキビストの目,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2010年10月18日3:13 PM

もりもとまきのアーキビストの目 No.13

新潟水俣病・阿賀野川と共に-映画『阿賀に生きる』-
(資料館だより30号、2010/05)
紹介資料:映画『阿賀に生きる』(1992年)

エコミューズでは、今年8月5~8日、新潟水俣病の現場を訪ねるスタディツアーを開催します。そこで今回はエコミューズ所蔵の映像資料のなかから、新潟水俣病の被害地域である阿賀野川流域に暮らす人々の生活を追ったドキュメンタリー映画、『阿賀に生きる』(佐藤真監督、カラー115分、VHS、1992年)を紹介します。

川と共に生き、公害と闘う 川と共に生き、公害と闘う 

新潟水俣病は、昭和電工鹿瀬工場から阿賀野川に流された、メチル水銀化合物を含む排水によって引き起こされた公害病です。患者は手足のしびれや運動障害など、さまざまな症状に苦しみました。水質汚染による漁業への影響も深刻でした。

映画は、阿賀野川と共に生きる人々―米作りを続ける老夫婦、川風を知り尽くした川船頭、川舟を作り続ける老大工、餅つき職人の老夫婦に3年間密着して撮影されました。川筋に暮らす人々の、なにげない日常。そしてそのなかで、患者会活動や未認定患者問題など、新潟水俣病と向き合う姿が映し出されます。それは決して外側から眺めるだけでは伝えることの出来ない、公害地域の「今」を捉えた映像です。

現地を歩き、生の声を聞き、新潟水俣病の「今」を知って、伝えたい―スタディツアーを前に、そんな思いを新たにする映画です。

☆資料館だより30号はこちら

(エコミューズ資料整理スタッフ 森本)

Filed under: もりもとまきのアーキビストの目,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 3:10 PM

もりもとまきのアーキビストの目 No.12

みんなで決めて、みんなで闘う-「西淀川公害患者と家族の会」班長役員会議-
(資料館だより29号、2010/03)
紹介資料:昭和63年度班長役員合同会議(1988年)

「西淀川公害患者と家族の会」は、毎月欠かさず「班長役員会議」を開いていました。エコミューズでは、その会議で毎回配布された議事進行レジュメを多数所蔵しています。今回はそのなかから、’88(昭和63)年10月14日の会議のようすを見てみましょう(「昭和63年10月度班長役員合同会議」岡崎久女氏資料No.372)。

毎回欠かさず作られ、配られたレジュメ 毎回欠かさず作られ、配られたレジュメ 

会議には役員と各支部の班長43名が出席し、まず事務局から、レジュメに掲載された「活動日誌」をもとに、前月の会議以降の出来事が、ひとつずつ報告されます。そして討議に移り、翌月26日に開かれる西淀川公害裁判第89回公判について、「一人でも多くの原告の傍聴参加をお願いし、支部別の参加割当をやりきることを確認」しました(同会機関紙『青空』No.90)。原告や患者に、裁判の傍聴を積極的に呼びかけることは、班長の大切な役目でした。このレジュメにある「福10、姫島14、大和田5…」は、各支部の目標参加人数です。

会議は、出席者が過半数に達しなければ中止されました。そして互いに声をかけ合い、必ず過半数以上が出席して開催し直したそうです。「みんなで決めて、みんなで闘う」という姿勢が貫かれた運動のようすを伝える資料です。

☆資料館だより29号はこちら

(エコミューズ資料整理スタッフ 森本)

Filed under: もりもとまきのアーキビストの目,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 3:07 PM
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