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ブログカテゴリー » もりもとまきのアーキビストの目

もりもとまきのアーキビストの目 No.11

「公害指定地域」を守れ ―「西淀川公害患者と家族の会」の学習会―
(資料館だより28号、2010/01)
紹介資料:西淀川公害患者と家族の会昭和59年度春季学習会資料(1984年)

今回は「西淀川公害患者と家族の会 昭和59年度春季学習会資料」を紹介します(エコミューズ所蔵岡崎久女氏資料No.106)。

補償法を守り抜くために、学び、考え、動く 補償法を守り抜くために、学び、考え、動く 

1974(昭和49)年9月、公害健康被害補償法が実施され、指定地域の公害病認定患者に対し、汚染原因物質の排出者から補償費が給付されることになりました。しかし企業にとってその負担は重く、財界は政府に対し、その廃止を求める動きを強めていきました。そして’83(昭和58)年11月、環境庁は、解除を含めた指定地域の見直しを中央公害対策審議会に諮問するに至ります。

指定地域が解除されれば、補償費が給付されず、公害病に苦しむ被害者の生活が脅かされることになります。その危機感のなかで、患者会は「昭和59年度春季学習会」を開きました。その際に配布されたこの資料には、「公害指定地域の解除を許さず補償法を守り抜く課題は、公害患者の生きる道を守るにとどまらず、全国総ての公害運動つぶしを許さず、総ての公害対策を放棄させない、正に全国民的でしかも緊急の課題」とあり、政財界の動向や制度上の問題点を学び、これからの運動の進め方が話し合われました。後退する公害対策に立ち向かう、患者会の懸命な姿を伝える貴重な資料です。

☆資料館だより28号はこちら

(エコミューズ資料整理スタッフ 森本)

Filed under: もりもとまきのアーキビストの目,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2010年10月18日3:05 PM

もりもとまきのアーキビストの目 No.10

大阪公害患者の会連合会の結成 ―みんなで手を携えて―
(資料館だより27号、2009/11)
紹介資料:大阪公害患者の会連合会写真資料(1978年)

エコミューズでは、さまざまな公害患者団体の資料を所蔵しています。今回は、大阪公害患者の会連合会(以下、連合会)の写真資料を紹介します。

2,000名が集い熱気に満ちる(’78.4.20) 2,000名が集い熱気に満ちる(’78.4.20) 
NO2基準緩和反対を訴える(78.11.10) NO2基準緩和反対を訴える(78.11.10) 

連合会は、1977(昭和52)年4月に結成されました。西淀川公害患者と家族の会(’72.10)を皮切りに、府内各地で患者会が発足し、それぞれがさまざまな運動を進めるなかで、患者会同士の交流や連携によって、共通の課題に取り組んでいく必要性が高まっていたのです。結成大会には、17の地域患者会から約1,000名が参加したといいます。翌’78年4月の第2回総会は(写真上)、西淀川公害裁判提訴と同じ日に開かれ、中之島公会堂に大勢の人々が集いました。

同年7月に環境庁は、大気汚染の原因のひとつである二酸化窒素(NO)の環境基準を緩和しました。産業発展を重視する政府や財界の、強い意向が働いたのです。連合会は、この動きを厳しく批判しました。写真下は、大阪市公害対策審議会大気部会NOX小委員会への抗議行動のようすです。

現在もなお、公害対策や環境行政に対して積極的な提言を続ける連合会の、結成当時の熱気を伝える貴重な資料です。

☆資料館だより27号はこちら

(エコミューズ資料整理スタッフ 森本)

Filed under: もりもとまきのアーキビストの目,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 3:02 PM

もりもとまきのアーキビストの目 No.9

「イタイイタイ病」を知る―清流への願い新たに―
(資料館だより26号、2009/09)
紹介資料:『イタイイタイ病』第32号(イタイイタイ病対策協議会発行、1975年1月)

エコミューズでは、全国各地の公害に関するさまざまな資料を所蔵しています。今回は、『イタイイタイ病』第32号(イタイイタイ病対策協議会発行、1975年1月)を紹介します。
ecomuse

ecomuse 病の苦しみ、土壌復元への願いが溢れる 

イタイイタイ病(イ病)とは、三井金属神岡鉱業所(現・神岡鉱業㈱)から長年神通川(じんづうがわ)に流された、カドミウムを含む鉱廃水による公害病です。患者の多くは中高年の女性で、腎障害の悪化による骨の異常に、「痛い痛い」と苦しみました。土壌汚染による農業被害も深刻でした。紙面では、一人の女性患者の声が紹介されています―「私の体は毛頭昔のようには治らないでせう。私は我慢します。しかしこれからの若い人だけには絶対にイタイイタイ病にならないようにして下さい。田んぼの復元工事が出来て、安心して米が作られ、イ病の心配がなくなる日が一日も早くくることを心から願っています」。イ病訴訟完全勝利(1972年8月)から37年の月日が経った現在、土壌復元事業は2011年度完了予定となり、このような被害が二度と繰り返されないよう、公設資料館の建設も目指されています。この女性の悲痛な願いを、決して忘れてはならない―、神通川の清流を前に、その思いを新たにさせられる貴重な資料です。

☆『資料館だより』第26号はこちら

(もりもとまき・エコミューズ資料整理スタッフ)

Filed under: もりもとまきのアーキビストの目,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2009年9月25日2:06 PM

もりもとまきのアーキビストの目 No.8

1.31結審総行動デモ行進 -雪の降る日に願いを込めて-
(資料館だより25号、2009/07)
紹介資料:「1.31結審総行動」写真アルバム(1990)

エコミューズでは、「1.31結審総行動」の写真アルバムを所蔵しています。1.31結審総行動とは、1990年1月31日、西淀川公害裁判一次訴訟結審の日に行われた、街頭でのビラ配りや集会、デモ行進などのことです。

ecomuse 雪のなか、約1時間歩く 

この一枚は、原告団・弁護団、そして全国から集まった大勢の支援者ら約2,000名が、「手渡したいのは青い空 西淀川公害裁判の早期・公正判決を」の横断幕をかかげ、デモ行進するようすです。冷たい雪の降るなか、ある人は公害病の不調をおし、体力を振り絞り、ある人は患者の遺影を抱き、杖をつき、傘をさし、中之島野外音楽堂から大阪地裁前までを歩き続けました。長蛇の列は裁判所を二重三重に取り囲み、青い空ときれいな空気、そして公正な判決への願いを込めて、色とりどりの風船を飛ばしました。風船は、「寒さに震える患者のようにヨタヨタとしながらも一生懸命にこの願い天までとどけと空高く上がって行った」そうです(西淀川公害患者と家族の会『青空』No.104、1990年2月)。

西淀川公害裁判のなかでは、患者の方々や弁護団、そして支援者の皆さんが、力を合わせてさまざまな行動を起こしました。これは、そのひとつを伝える貴重な一枚です。

☆資料館だより25号はこちら

(もりもとまき・エコミューズ資料整理スタッフ)

Filed under: もりもとまきのアーキビストの目,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2009年7月17日3:26 PM

もりもとまきのアーキビストの目 No.7

公害がうばった青春 -ある高校生の生徒手帳-
(資料館だより24号2009/05)
紹介資料:西淀川公害病患者・南竹照代さんの生徒手帳(1972~76年、谷智恵子弁護士資料No.50)

今回はエコミューズの展示資料、西淀川公害病患者・南竹照代さんの生徒手帳を紹介します(1972~76年、谷智恵子弁護士資料No.50)。

欠席や遅刻・早退がつづく 欠席や遅刻・早退がつづく 

照代さんは、小学校2年生の頃に発病し、入退院を繰り返すようになりました。大阪福島女子商業高校(当時)に入学した照代さんの生徒手帳には、「5月13日喘息の為欠席致しました」「5月16日喘息の為2時間程度遅刻させていただきました」と、ほぼ毎日のように欠席や遅刻・早退の連絡が書かれています。苦しい発作と闘いながら、それでも懸命に勉強し、4年がかりで卒業を果たしました。照代さんの当時の日記に、こんな言葉が残されています。「明日から12月。あと11日で期末考査が始まるというのに、入院するとは…本当になさけない。苦しくて身体が思うようにいかない。呼吸が苦しいので、しゃべることもできないし、意識が戻ってからの方がなお苦しい思いをするなんて…くやしいなあ。(1975年11月30日)」(西淀川公害訴訟原告団・弁護団監修,新島洋著『青い空の記録 大気汚染とたたかった人びとの物語』p.35)

照代さんは、その後さらに症状が進行し、大学進学の夢は叶わないまま、1981年7月、24歳の若さで生涯を閉じました。高校卒業の年から、ほとんどの時間を病院のベッドで過ごしたそうです。

エコミューズでは、公害病患者の方々の、さまざまな生き方を知ることができる資料をたくさん所蔵しています。照代さんの生徒手帳は、その貴重なひとつです。

☆資料館だより24号はこちら

(もりもとまき・エコミューズ資料整理スタッフ)

Filed under: もりもとまきのアーキビストの目,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2009年6月22日2:02 PM
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