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大阪市大「都市基盤計画特論」西淀川を題材にした授業の実施(11/16)

11月16日(火)に大阪市立大学「都市基盤計画特論」(吉田長裕准教授)の授業があおぞら財団で行われました。参加者は12人です。2020年度も今年度と同じように「西淀川のまちづくり」を題材にして授業が行われ、最後には西淀川に関する様々な提案を行ってもらいました。今年度も最後に提案が行われる予定です。

授業についての説明

授業についての説明

最初に過去の西淀川大気汚染公害の写真を用いてフォトランゲージを行いました。フォトランゲージでは、写真やイラストからそこに込められた意味をさまざまな角度から推察します。

IMG_1615

西淀川公害の写真を用いたフォトランゲージ

次に、大気汚染公害を題材としたロールプレイ「もしあなたのまちで公害が起きたら?」を行いました。このロールプレイでは、グループで次の4つの役割になりきってもらって、公害解決に向けての話し合いをします。役割になりきることで、公害問題を模擬的に体験できる教材です。

1.市役所の環境担当係長
2.住民A(子どもが病気に)
3.X工場の経営者
4.医者

みなさん、役割になりきってくれて、白熱した議論が行われました。立場が異なる人同士の話し合いで、妥協せずに何らかの解決策を探ることに難しさを感じたようです。

(ロールプレイの感想)
・(被害を拡大させないためには)まず原因は分からないが、公害が発生しているということを広く認知してもらい、正しい状況を伝えることに注力する。そうすれば、工場側、行政、地域住民が問題にしっかり向き合うようになると考えた。しかし、原因究明をしないことには解決に向かうことはできないので、調査機関の設置と迅速な原因究明が行われなければならない。さらに、現在進行形である被害の抑制のために、地域の医師以外に応援を要請することも求められるだろう。
・(対立が起きるような問題がおきたとき、解決に向けて心がけることとして)相手側の意見とその理由をしっかりと聞き、理解すること。その上でお互いが出来るだけ納得のいく結果を導くことが必要。
・ロールプレイ形式のWSは初めて体験したので新鮮でした。普段関わることのない立場の人間の当事者意識が少し分かったような気がして、いいWSの手法だと思いました。
・対立関係上でお互いの意見をぶつけ合う機会は少ないので新鮮だった。

市役所係長役の人が話し合った内容を発表

ロールプレイで話し合った内容を共有します

 

その後、当財団の藤江から「西淀川地域の現状と課題 ーあおぞら財団の地域づくりー」と題して、西淀川大気汚染公害など過去の経緯や現在の課題、あおぞら財団の取組みなどについてお話ししました。
最後に、今日の授業を通して、この西淀川のまちづくりで関心のあることを自由に紙に書いてもらい、最後に共有しました。

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次回は11月30日に、タンデム自転車で西淀川を視察した後に、公害患者さんのお話を聞く予定です。

——–

2021年度 大阪市立大学 授業「都市基盤計画特論」における西淀川区でのプログラムは下記のようなスケジュールで行います。西淀川から様々なことを学んでもらえたらと願っています。また、最後にはどんな提案がなされるか楽しみです。

日時 内容
11月16日 ロールプレイ、小講義「西淀川地域の現状と課題/あおぞら財団の地域づくり」
11月30日 西淀川地域の現状視察(タンデム自転車を活用)、ヒアリング 西淀川公害患者と家族の会
12月7日 市民参加に関するワークショップ、ヒアリング 西淀川区役所職員のみなさん
12月21日 中間報告&意見交換
1月~2月 各グループで最終の提案づくりに向けた活動
3月 西淀川への提案を発表

 (谷内)

Filed under: イベント報告・ホームページ更新,視察受入 — aozorafoundation 公開日 2021年11月26日2:30 PM

寝屋川人権教育研究協議会の研修で、オンラインで語り部と交流(8/17)

コロナ禍が続く中、当初、フィールドワークを予定していた寝屋川市人権教育研究協議会の夏季一日研修会について、「公害患者さんとの大切な出会いの場としたい」という主催者のご要望を受け、オンラインに変更して8月17日に開催しました。20人の教職員の方々が参加されました。

西淀川公害患者と家族の会から池永末子さんと上田敏幸事務局長にお話していただき、質疑応答にも多くの時間を割くことができたのは、オンラインの良い側面だと感じました。

参加者と当日同席したインターン生の感想をご紹介します。多くの方に患者さんの声を聞いていただきたいです。

「公害患者さんのお話を直接、お聞きして、黙っていては問題は解決しない、理不尽なことが起きたとき、みんなで立ち向かうことが大切だという強い思いを感じました。5年生で公害について学ぶとき、ぜひ参考にさせていただきます。」(参加者)

「娘の世話を最優先して自分ことを後回しにした母・池永さん。国はしっかり支援し、すべての人が手頃な価格で医療にアクセスできるようにするべきだと思いました。」(インターン生)

患者会の上田さん(事務局長)、池永さん、インターン生2人

オンラインで西淀川の患者さんと寝屋川をつなぎました

動画画像

動画「手渡したいのは青い空(全面解決編)」のワンシーン

あおぞら財団のYouTubeチャンネルで、西淀川公害裁判を紹介した動画を公開しています。ぜひご活用ください。
『手渡したいのは青い空(全面解決編)』
https://www.youtube.com/watch?v=qJe6z_qzMZA

Filed under: イベント報告・ホームページ更新,視察受入 — aozorafoundation 公開日 2021年11月12日4:41 PM

西淀川公害=資料の紹介(2) 中津コーポ高速道路反対ニュースビラ 

※機関誌りべらで連載をしている所蔵資料紹介コーナーの転載記事です。

写真は、大阪市大淀区(現在北区)中津コーポ住民による高速道路反対のニュースビラの一部です。1971年5月から72年8月31日まで全95号がまとめられています。書き手は、のちに大阪空襲の研究やその被災者運動で知られる故小山仁示関西大学教授。当時40歳になったばかりで、B4版の紙面いっぱいを使い、大量の字数になることもしばしばでした。

ニュースでは、号を追って道路公害に関する認識を深め、解決すべき課題を明確にしています。当局や府・市議会、そしてマスコミ等との交渉を通じ問題の所在を明らかにし、その解決の社会的意味を論じていきます。また、道路で結ばれる関係地域の住民運動に何度も連帯のエールを送っています。そのなかには西淀川公害反対運動を進める人びとも含まれていました。運動を点から線へ、線から面へと広げる意義が何度も語られています。

今回見つけ出された資料は、その運動の実際を再現する根本資料です。西淀川公害反対運動も、こうした広い背景を持って展開したことが確認できます。

エコミューズ館長 小田康徳

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井上善雄弁護士資料No.118

りべらVol.157(2021年10月発行)より抜粋

西淀川公害=資料の紹介(1) 第1回公害問題講座のポスター

※機関誌りべらで連載をしている所蔵資料紹介コーナーの転載記事です。

– – – – –

1970年10月、日本科学者会議大阪支部・新日本医師協会大阪支部・大阪民主医療機関連合会はそろって公害問題講座を開きました。これはそのときのポスターです(エコミューズ保管)。参加者は4日間で延べ1,000人以上。うち384人に上ったアンケートのまとめもガリ版刷りで残っています。公害問題を知りたい、理解したいという願望は大阪でも広がっていたのです。

講座の主催者たちも知らない多様な人びとがこの講座を聴講しました。10歳代34人、20歳代243人、30歳代50人と圧倒的に若い人が多く、参加のきっかけは、8割以上がポスターやビラを見てと答え、もっと早く知りたかったとも語っています。公害問題は日本を揺るがす大問題で、自分にも関わると広く認識されていたのです。翌年1月には第2回の講座が実施されています。

公害をなくそうとの声を一つにまとめ、公害を押し付ける大阪府や市などの行政と渡り合おうとする永続的な組織「大阪から公害をなくす会」が結成されるのは、1971年2月17日のことでした。

エコミューズ館長 小田康徳

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大阪から公害をなくす会資料No.318-2

西淀川公害がわかる資料集をつくろう

あおぞら財団付属の西淀川公害と環境資料館エコミューズでは、資料集編集の取り組みをしています。機関誌りべらで連載をしている所蔵資料紹介コーナーをブログでも紹介していきます。

– – – –

1970年2月「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」が制定されたとき、西淀川区でこの年末までの公害病認定数は1,241人。1978年4月の西淀川公害裁判提訴の直前、救済法を引き継いだ公害健康被害補償法による累計の認定患者数は5,621人。死亡者を除くと4,242人が認定患者でした。この激烈な健康被害は、1970年11月公害国会後の公害対策の進展下に起きていたのです。裁判は住民の健康無視の工場操業から出るSOx、道路政策の中で新たな公害源として猛威を振るっていたNOxとSPMの環境基準以下までの排出差し止めを求めました。西淀川公害訴訟は同じ大気汚染に苦しむ千葉・川崎・倉敷・尼崎・名古屋南部・東京の裁判と連携してたたかわれました。

いまエコミューズの資料調査活動が進み、裁判の記録はもちろん、公害患者たちのくらしから裁判後の活動に至るまで、無数の資料の中から歴史に残る活動の跡を選び出す条件はようやく整い始めています。過去の事実が意図的に消されないため、記録を、それも第一級の記録をもれなく集めた資料集を編集することになりました。

エコミューズ館長 小田康徳

No.7308 検甲第14号証の29 昭和39年2月7日 西淀川区出来島付近上空から大阪製鋼の方向を撮影

西淀川の空を覆う工場排煙―1963年2月7日大阪気象台撮影。裁判の証拠として提出

 

No.1270

合同製鐵との交渉。1991年3月29日の第一次判決後被告側が控訴。白紙に患者の願いが

 

 

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