早く梅雨が明けないかなと思う今日このごろ
夏が待ち遠しいですねさて、来る7月30日に
西淀川道路沿道環境に関する連絡会がおこなわれます
年に1度の連絡会ですので、この機会に日頃思っていることや
意見を交換しませんか
詳しくはこちら↓のチラシをご覧ください
みなさんの参加をお待ちしています
(眞鍋)
西淀川交通まちづくり「意見交換会」とは?!
意見交換会は、「西淀川・交通まちづくりビジョン研究会(以下、研究会と示す)」によって運営されています。研究会は、大阪大学・京都大学・あおぞら財団の協働によって構成されており、住友財団の環境研究助成を受けて進められています。
研究会では、これからの時代には、地域に暮らす人たちが話しあいながら、まちづくりの方向性を決めていくことが重要だと考えています。このため、西淀川がもっと住み続けたいまちとなるように、専門家の知恵を借りながら、まちづくりの方向性を話す場を設けようということになりました。
意見交換会は、“交通まちづくり”をテーマにしています。
交通は、私たちの暮らしに欠かせない重要なものですが、交通事故、自動車の排ガスによる環境悪化、高齢者や障害者にとっての危険など様々な問題もあります。これらの交通問題を考えることは、私たちの暮らしについて考えることになります。また、交通問題を解決することは、私たちの暮らしを変えることです。
意見交換会の流れ
意見交換会に先立ち、研究会では、西淀川区にお住まいの方2000名を無作為抽出し、アンケート調査を実施しました。このアンケート調査において、「意見交換会」への参加意思をおたずねし、「参加してみたい」と回答のあった方を対象に、参加をお願いしました。
意見交換会は合計3回開催する予定です。
第1回(6月21日)「西淀川、こんなまちに住みたいな。夢を語ろう!」
第2回(7月26日)「難問解決?専門家にヒント、アイデアの源を聴く」
第3回(8月30日)「西淀川での実践にむけて!」
意見交換会終了後、広く区民の方に参加いただける「公開討論会」を秋に開催する予定です。ご期待ください!
第1回意見交換会
第1回の意見交換会は、20名もの方にご参加いただき、大阪大学新田先生から、意見交換会の趣旨説明が行われ、会がスタートしました!
まず始めに、西淀川の交通問題に関する住民意見の紹介や交通と地球環境の関わり、西淀川の現状について報告後、参加者全員で旗あげアンケートを実施しました。
全員が西淀川に10年以上お住まいのベテラン住民であること、自転車で会場までのこられた人が多いことなどがわかりました。
前半は、「なんとかしたい!この問題〜交通の困りごとあれこれ〜」と題し、意見交換を行いました。各班ともに活発な議論が行われ、発表では、さまざまな視点から西淀川の交通の問題について意見、提案がありました。
後半は、「10年度の西淀川〜こんなまちなら住みたいな〜」と題し、今度は夢を語りあいました。
各班共通して、“水と緑、自然豊かなまちに”と願われているようです。その中で、大阪市内の唯一の自然海岸が残る矢倉海岸をもっと活用したいという意見がありました。
また、子どもからお年寄りまで、快適に安全に、また世代間交流が活発なまちにしたいという意見も多くありました。そのために、商店街の活性化や交通の利便のよいまち、まちの歴史を大切にするなど、様々なアイデアが出されました。
今回は、問題点の指摘に留まらず、実行可能な解決策や、実現できたら楽しいなと感じる奇抜な(?)アイデアまで、本当にたくさんの意見をいただきました。皆さんの西淀川に対する“愛着と誇り”を感じる意見交換会でした。
次回は7月26日(日)に開催予定です。第1回の意見を踏まえて、(1)専門家から交通の問題を解決する手法の提案、(2)専門家の提案について、グループ討議と投票を行う予定です。
公害がうばった青春 -ある高校生の生徒手帳-
(資料館だより24号2009/05)
紹介資料:西淀川公害病患者・南竹照代さんの生徒手帳(1972~76年、谷智恵子弁護士資料No.50)
今回はエコミューズの展示資料、西淀川公害病患者・南竹照代さんの生徒手帳を紹介します(1972~76年、谷智恵子弁護士資料No.50)。
照代さんは、小学校2年生の頃に発病し、入退院を繰り返すようになりました。大阪福島女子商業高校(当時)に入学した照代さんの生徒手帳には、「5月13日喘息の為欠席致しました」「5月16日喘息の為2時間程度遅刻させていただきました」と、ほぼ毎日のように欠席や遅刻・早退の連絡が書かれています。苦しい発作と闘いながら、それでも懸命に勉強し、4年がかりで卒業を果たしました。照代さんの当時の日記に、こんな言葉が残されています。「明日から12月。あと11日で期末考査が始まるというのに、入院するとは…本当になさけない。苦しくて身体が思うようにいかない。呼吸が苦しいので、しゃべることもできないし、意識が戻ってからの方がなお苦しい思いをするなんて…くやしいなあ。(1975年11月30日)」(西淀川公害訴訟原告団・弁護団監修,新島洋著『青い空の記録 大気汚染とたたかった人びとの物語』p.35)
照代さんは、その後さらに症状が進行し、大学進学の夢は叶わないまま、1981年7月、24歳の若さで生涯を閉じました。高校卒業の年から、ほとんどの時間を病院のベッドで過ごしたそうです。
エコミューズでは、公害病患者の方々の、さまざまな生き方を知ることができる資料をたくさん所蔵しています。照代さんの生徒手帳は、その貴重なひとつです。
☆資料館だより24号はこちら
(もりもとまき・エコミューズ資料整理スタッフ)
おとなりのまちを知る -「アマ」のあの顔・こんな顔-
(資料館だより23号、2009/03)
紹介資料:尼崎南部再生研究室『南部再生』(A5冊子カラー22頁、隔月発行)
西淀川区の西側に隣接するのは、兵庫県尼崎市です。今回は、そんなおとなりのまち・尼崎の情報誌『南部再生』(A5冊子カラー22頁、隔月発行)をご紹介します。発行元は「尼崎南部再生研究室」、通称「あまけん」です。あまけんは2001年3月、尼崎公害訴訟の和解金を活用して設立した団体です。あおぞら財団と同じく、公害地域再生のためのさまざまな活動をしています。
『南部再生』が取り上げる「アマ」の顔は、驚くほどにバラエティ豊か。毎号組まれる特集テーマのタイトルは、例えば、「メイドインアマガサキ」(13号、2004.2)、「食在尼崎 食は尼崎にあり」(16号、2004.12)、「オール阪神阪急」(23号、2006.10)、「アマのウチナー」(26号、2007.8)、「尼崎の歌 ザ・ベストテン」(30号、2008.9)…こんどのアマは、どんなアマ?と、毎号ワクワクさせられます。また、連載コラム「マチノモノサシ」では、「1年で1センチ沈む地盤(臨海地域の年間地盤沈下量)」(26号)や「バッタの生息地10.7%増加」(30号)など、尼崎にまつわる数字から、まちの課題や希望が描かれています。
知っているようで知らない、おとなりのまちのさまざまな顔を、楽しみながら、時に考えさせられながら、知ることができるフリーペーパーです。
☆資料館だより23号はこちら
(もりもとまき・エコミューズ資料整理スタッフ)
5月29日(金)12:30〜西淀川高校で菜の花の刈取り作業を行いました。
メンバーは、西淀川高校エココミュニケーションクラブの生徒やそのお友達で、お手伝いをしてくれた生徒12人を中心に、西淀川高校の教職員、菜の花プロジェクトみのお、大阪経済大学緑のまちづくりサークル「ミアイ」、あおぞら財団などから、約20名で作業を行いました。
まずは、菜の花の刈取り作業です。3本しか用意されていなかった鎌でしたが、生徒たちは率先して、やっていました。希望者多数のために、じゃんけんで刈る係りの人を決めていました。
刈る係りになった生徒の中でも慣れた手つきでサクサク刈っていく生徒もいれば、不慣れでなかなか刈れない生徒など様々であったことも印象的でした。
刈った菜の花は一度、大きなゴミ袋の中に集められ、20~30袋と相当な量となりました。
ゴミ袋に集められた菜の花は、ブルーシートの上に出され、種の入った穂の部分を竹の棒でバンバン打ちつけて種を取り出しました。生徒たちは菜の花プロジェクトみのおの木村さんの指導の下、菜種と砂が混じらない様に靴を脱いで、作業を行っていました。この作業は、道具が多く用意されていたので、生徒達も皆、バンバン叩いて菜種を取り出していました。しかし、途中から強風が吹き、それには皆難儀していました。
一旦、交流会を兼ねての休憩時間となりました。そして、各団体や個人の活動などの報告を行いましました。その際に、西淀川高校での環境の取組みが世界へ発信されていることも報告されていました。
休憩を終えて、15:00ごろになって、近くにある淀川中学校に菜種の収穫作業へ出発しました。
淀中学校では生徒会の生徒が6人待っていてくれました。先ほど、菜種の収穫作業をした西淀川高校生が今度は教える番です。
淀中学校では3鉢での栽培のため、西淀川高校から生徒たちが分担して菜の花を持って行きました。それらの菜の花と淀中学で大切に育てられた鉢の菜の花とを合わせて、菜種を取り出すことになりました。
鉢で育てられた菜の花は、淀中学校の生徒たちに刈取ってもらいました。そこから、西淀川高校での作業と同様にブルーシートの上で菜の花の穂の部分をバンバン叩いて菜種と穂の部分を落とす作業を行いました。西淀川高校の生徒が見本を見せて、一緒に菜種を取り出す作業を行いました。
次に、先ほど叩き出した菜種と穂の部分から、菜種のみを荒いふるいにかけ、またさらに細かいふるいにかけていく作業です。ここからは、今日、西淀川高校ではやっていない作業です。しかし、菜の花プロジェクトみのおの皆さんに教えてもらいながら作業を進めました。淀中学校や西淀川高校の生徒だけでなく、中学校の先生なども参加して、みんなで交代しながら作業をしました。
ふるいにかけられた菜種の精度を高めるために、次は軽いゴミ(穂の残りかすなど)を吹き飛ばす作業です。大きなちりとりの様な農具の上に先ほど、ふるいをかけた菜種をのせ、うちわで比重の軽い穂の残りかすを飛ばします。あまり強く扇ぐと、菜種まで飛んでしまうので、要注意です。こちらの作業は、西淀川高校で昨年も同じ作業を行っていた生徒を中心に行っていました。この作業は、カン箱のふたなどでもできると言うことで、淀中学の生徒はカン箱のふたで各自、精製作業を行っていました。
菜種のみになったところで、淀中学校の先生が理科の実験でよく使う集気ビンを持って来られました。「さすが、学校だな。」と思いながら、この日の成果をビンの中に入れました。
このビンを中心に記念撮影を行いました。高校生と中学生が一緒になって行った菜の花の刈取り作業と菜種の取り出し作業は、最後に、掃除をして、これで終わりました。
大阪経済大学4年
波部 碧