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私の生い立ち 1


あおぞら財団理事長の森脇君雄です。
今年、古希になります。
夢追い続けた男のロマンを読んでください。

(この絵は自画像です)

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私の生い立ち

 私の生まれは、中国地方の、備中高梁から4里程有漢川に沿って山奥に入ると(有漢)と言う地名の村がある、その村の中心から1里ほど坂を登ると大石部落に着く、この部落には鎌倉時代の石碑や京都の地名が多く出て来る、石碑を見ながら更に奥に登ると太平山の中復で一番上にあるのが常用(ジョウヤ)の上「屋号」、そこが私の生まれ故郷の早川家です。
 大石の地名は大きな石がめだって多く良質な石材「花崗岩」で鎌倉末期の仏教と結びつき石造美術品が残されており、平安時代の書物「和名妙」の中に大石郷と記されている。
 この部落は大石の姓が多く、早川の姓は「常用の上と中」2軒があるのみで、何れも屋号があり氏名を呼ぶより、屋号を頭につけて人の名前を呼ぶ習慣がある。例えば私を呼ぶ時には「常用の上の勇(イー)ちゃん」とよばれていた。実家は、海抜500米程の高さがあり、天気のよいときの朝は、眼下が一面、真っ白で四つ畝山の遥か彼方に中国山地、そして大山や蒜山のすばらしい山々を目にしながらの雲海は格別の景色です。
 又、実家の西側に高雲寺跡かつては保月山金光寺と呼ばれ真言律宗の本山奈良西大寺末寺であり、備中二ヶ寺に記されていたが、その後、寛政年間に真言宗臍帯寺の末寺に変わり元冶元年に焼失しているが、保月二重の塔、三尊板碑、六面石撞、破損板碑などあるがそれは嘉元三年に当代窟指の名工(井野行恒)名作で国の重要文化財に指定されている。
 早川家は3代女系家族が続いており、母「あやの」も7人兄弟の末っ子で生まれながら跡取りになっています。(22歳で宗正さんと結婚1男二女が生まれる、宗正さん死亡)そして(36才で8歳年下の森脇幸之助と2度目の結婚1男がうまれる。)
 1935年7月10日(7月17日?)に幸之助とあやの、の間で生まれたのが森脇君雄(早川勇?)です。私の誕生日と名前が2つあるのが不思議で今でも不便な時もあります、後で両親に聞いた話ですが{早川家、森脇家}の跡目問題のもつれが原因でした。(森脇君雄で母親に無断で7月10日に父親が戸籍登録をし、母親は家族みんなで相談して決めた早川勇の名前で産後、歩けるようになって7月17日に登録する、)この争いは私が24歳になるまで続いていましたが、遠く離れて生活して行くうちに家族の愛情の大切さが分かり法務局にゆき書類を集め父親に入籍を進めました、そうして、森脇幸之助を早川幸之助と改め{早川家}に婿入りし、早川正(義兄)を相続人に決めることで決着、私は父親のことも考えて実家の森脇の姓を継ぎ、森脇君雄を引きつづくことにした、家系の中に1人だけ{森脇}の姓を名乗るハメになつた。

(つづく)




2件のコメント »

  • ミセスカサラノさんのコメント — 2005年7月18日 @ 7:03 AM

    SECRET: 0
    備中高梁といえば、以前高梁川でカヌーで川下りをしました。
    難所で沈(ひっくりがえる)して、とても寒かったです!!

  • aozorafoundationさんのコメント — 2005年7月20日 @ 8:52 PM

    SECRET: 0
    ミセスカサラノさん
    これから(生い立ち)を書きますが面白くない時などは注意してくださいね、早く元気になるように1

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