被災地の今を知る 関西×東北 応援ツアー2014報告1
今日は3月11日。
2011年の東日本大震災から、4年が経ちました。
今年は阪神淡路大震災から20年ということもあり、改めて震災からの復興について注目されています。
東日本大震災以降、釜石で「三陸ひとつなぎ自然学校」を立ち上げて活動されている伊藤聡さんは、「3年でできたことは、瓦礫を片付けることと、復興の計画を立てること。4年目に入ってようやく、実際にまちづくりをはじめたところ」と語られました(2014年11月28日)。
その言葉に、改めて「復興」の道のりの長さを感じるとともに、被災地から遠く離れていてはわからない課題が現地には山積していることを痛感したところです。
あおぞら財団では、震災直後からボランティアに入ったつながりを継続し、
現地を訪れる「被災地エコツーリズム体験ツアー」を実施しています。
(2015年は11月27日~29日の2泊3日で開催予定)。
以下、2014年11月28日~11月30日に開催したツアーについてご報告します。
(過去の報告記事へのリンクはこちらから
2012年6月28日~7月2日,11月29日~12月3日 https://aozora.or.jp/archives/14798
2013年11月29日~12月1日 https://aozora.or.jp/archives/17966 )
*******
ツアー初日、仙台駅に集合した参加者は27人。ここからバスで釜石市へ向かいます。
車中では、参加者の自己紹介の後、大阪経済大学柏原ゼミのみなさんが、事前に調査されてきたレポートを報告してくれました。
テーマは「津波避難行動について考える」「釜石の漁業の復興について」「震災復興とスポーツ」の3つ。「津波避難行動について考える」というテーマを選らんだグループには徳島出身者が多く、南海トラフ地震に危機感を持って調査されたそうです。
大経大の2回生のみなさんは20歳になったばかりの方が多く、阪神淡路大震災を経験した社会人の参加者から、その被災体験が語られる場面もありました。
バスが釜石に着くと、現地コーディネーターである三陸ひとつなぎ自然学校代表の伊藤聡さんが出迎えてくれました。
一見、なんでもない街並も、伊藤さんから「この駐車場も元は住宅でした」と解説を聞いてはじめて被害の大きさを実感します。
最初にお話を伺ったのは、鵜住居まちづくり協議会で働く前川智克さんです。
協議会は、復興のために鵜住居の人たちが自分たちで集まった任意団体で、2011年12月以降、ほとんど毎週土曜日夕方には集まって復興に向けた議論を積み重ねてこられました。
全世帯に案内状を出して住民説明会を主催、意見を集約して市に提言書を提出したり、区画整理のスケジュールを伝えたり。住民と市や工事業者との調整もまちづくり協議会が担っているということです。
2019年のラグビーワールドカップの誘致に向けた提言もされていたということですが、今年3月2日に釜石市も開催地として選ばれました!
海の近くにあった鵜住居小学校・釜石東中学校跡地を整備しスタジアムを建設する予定ということで、ラグビー以外にも夏や秋にはトライアスロンを企画するなど、「スポーツのまち」として盛り上げていきたいということです。
前川さんは協議会のお話の後、被災体験についても詳細に話してくださいました。
全国で“釜石の奇跡”と注目された子どもたちの避難行動は、実際には大人たちが誘導に動いたこと。消防団の一人として前川さんも駆けつけ「早く逃げろ!」と消防車のスピーカーでアナウンスしてまわったこと。救助活動をしていて津波に流され、たまたま押し波で山に上がることができて命拾いをしたこと。
自分も怪我をしていたが、消防団員として、3日間、なにも食べずに救助活動を続けたこと。それでも救えなかった人が翌日、凍死しているのを見たこと。
救助のない避難所に200人ほど集まり、暖も取れず手当てもできず、過ごしたこと。
大槌町から迫る火が、2~3週間消火できず燃え続けていたこと・・・。
前川さんは「この地区は住宅街から海が見えず、津波に対する意識が弱かった。家の中や車の中で亡くなった方が多かった」と振り返られました。
68名の方が犠牲になった鵜住居防災センターは、取り壊されていました。被害を伝えるために残したいという意見もあったそうですが、建物をみるとフラッシュバックを起こす人もいて、「あってほしくない」という住民の意見が強かったそうです。
跡地には、被害を伝えるためになんらかの施設を建てようと検討委員会が発足したそうですが、何をどう伝えるか、祈りをささげる場所とするのか、まちの中心街に位置するだけに、そのあり方については長い議論が必要だろうということでした。
(栗本)