東日本大震災以降、毎年釜石を訪れている「関西×東北応援ツアー」を2018年も開催しました。(11月30日(金)~12月2日(日)の3日間)
今年は、過去にこのツアーの参加者である、大阪経済大学の小寺さんが、現地コーディネーターである「三陸ひとつなぎ自然学校」のインターンとしてツアーに同行してくださり、学生さんをはじめ参加者のみなさんのボランティアのサポートいただきました。ツアーで生まれたつながりが、将来まで続くとうれしいです。
栗林地区のみなさんとの交流後の集合写真(2日目夜)
以下、ツアーの様子を今年初参加の大阪経済大学のみなさんが分担してレポートしてくれたので、順に掲載していきます。(栗本)
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【一日目(11/30)】
被災者の前川智克さんの当時の話に衝撃を受ける!!
大阪経済大学2年 和田勝人
1日目は、まず仙台駅に集合でした。仙台は大阪と異なり非常に寒かったです。
厚着ではありましたが、想像以上でした。
そしてバスで移動しました。
JR釜石駅に向かう途中で私たちのゼミ生による釜石に関するプレゼンをしました。今回のツアーの参加にあたって、事前学習としてゼミで釜石について調べる課題があり、調べたことをバスの中で発表させしました。初めてのことだったので拙い点はあったとは思いますが、参加者からたくさんの質問や改善点についてのアドバイスを受けました。
その後、JR釜石駅で3日間案内を務めていただいた三陸ひとつなぎ自然学校の伊藤さんと合流しました。最初に向かった場所は大槌町の旧役場です。向かう途中で伊藤さんから震災当時のお話を聞きました。釜石の仮設住宅の状況や、震災当時の実体験のお話など様々なことを語られました。釜石の人達は津波に対しては防波堤が防いでくれると思っていた人が大半で、避難が遅れてしまった人がいたそうです。
私も同じ立場なら防波堤のことを信頼し非難するのが遅れたと思います。災害において絶対に安全ということはないのだと思いました。
「旧大槌町役場」(撮影者 和田)
上の写真が大槌町の旧役場です。この役場はすでに取り壊しが決まっています。しかし、この時は解体工事の見直しがあるため、作業は行われていませんでした。来年には再開予定だそうです。
役場を解体した後は慰霊碑が建てられます。建物がなくなっても、震災の跡は形を変えて残るのです。役場の解体には賛否両論があり、反対派には当時高校生が主体となって働きかけましたが、結局取り壊されることになりました。
私は、震災のことを次の世代に伝えていくため残すべきだと思いました。
しかし、役場を見るだけで震災当時のことを思い出してしまいつらいという意見もあるので、一概にどちらが正しとは言えないと思いました。
「大槌町の町の復興状況」 (撮影者 和田)
左の写真はまだ復興が進んでいません。約8年経とうとしていますが、復興を終えるにはまだまだ時間がかかりそうです。震災の壮絶さを物語っています。復興が遅れる原因の一つとして土地の区画整理に時間がかかったためと言われていました。
僕が思っていたよりも復興が進んでいません。まだ更地の部分もありましたし、仮設住宅も残っていたので、復興を終えるにはまだ時間がかかると思いました。
夕方には、鵜住居まちづくり協議会の前川智克さんのお話を聞きました。
前川さんは実際に津波のまれ、一時は生死をさまよっていたそうです。
私がその中でも印象に残ったのは津波の被害を受けた直後のお話です。
前川さんは避難の誘導をしている最中に津波にのまれ、しばらく流されて、意識を失い、運よく意識が戻り、必死の思いで陸に戻りました。
この時、前川さんの体は傷だらけでした。津波に流される中で、瓦礫などたくさんのものが前川さんの体を傷つけたのです。
その後、避難所に合流するのですが、混乱のなかであったので、応急処置を行ってもらったそうなのですが、荒療治で傷口をガムテープで抑えるというものでした。
その後、その体で前川さんは救助活動を行いました。
一人でも多くの人を助けるために奮闘しました。
当時は携帯など、連絡手段がなく、自身のことを家族に伝える手段がなかったため、前川さんの家族は前川さんが亡くなったと思っていました。
しかし、無事に合流できました。
私はこの話を聞いて、震災は本当に怖いものだと思いました。連絡手段もないので友人や家族の安否を確認できない。けがをした場合には応急処置しか受けられないなど、平時ならば、問題ないことでも震災時には大問題にもなってきますし精神的にもつらかったと思います。けがを負いながらも、一人でも多くの人を助けようとした前川さんは素晴らしい人だと思いました。前川さんの話からメディアでは語られない、震災の過酷さを知りました。
「宝来館の夕食」(撮影者 和田)
前川さんの話を聴き終えた後、17頃に宝来館に到着し、チェックインをしました。
そして荷物の整理をして夕食を頂きました。夕食はとても豪華でボリュームがありました。お刺身も新鮮な魚を使っているので、とてもおいしかったです。さらにデザートもあって、ほんとにたくさん食べるものがあって食べるのが楽しかったです。
「伝統芸能『虎舞』」(撮影者 和田)
食後に鵜住居地区青年団の人たちによる伝統芸能「虎舞」を鑑賞しました。
この虎舞も津波で衣装や道具が流されてしまったのですが、徐々に衣装や道具がそろえられています。
虎舞はとても迫力があって、すごかったです。青年団の人たちも皆さん活気があってよかったです。釜石の人たちは震災から復興に向かい前に進んでいるのだと感じました。
少し触らせてもらったので、私も虎舞のように動こうと思ったのですが、中々うまくいきませんでした。
1日目の活動を通して僕は事前に調べていたことよりもよりたくさんのことを知ることができました。
津波の恐ろしさ、震災の過酷さ、釜石の人たちの前向きな姿勢など現地に行ったからこそ知り得たものがたくさんありました。釜石を訪れなければ、震災の実態をより深く知ることはなかったと思います。1日目はボランティア活動を行いませんでしたが、たくさんのお話が聞けて良かったです。3日間と短い間でしたが、今回のような貴重な機会を得ることができてよかったです。
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