東日本大震災以降、毎年釜石を訪れている「関西×東北応援ツアー」を2017年も開催しました。
12月1日(金)~3日(日)の3日間で、毎年参加いただいている大阪経済大学の学生さんをはじめ、今回は過去のツアーに参加した方で「今、釜石がどうなっているかを確かめたい」と、数年ぶりにご参加いただいた方が数名おられました。
ツアーの様子を大阪経済大学のみなさんが分担してレポートしてくれたので、順に掲載していきます。(栗本)
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大阪経済大学2回生 冨山 皓太
1日目(12/1)の活動
一日目は、まず仙台駅に10時頃に到着し、バスで約4時間かけて岩手県釜石市へと向かいました。
仙台駅付近です。凄く寒かったのと関西とはエスカレーターの使い方が逆でした。(右立ちと左立)
その後、JR釜石駅で、三日間現地の案内をして頂く伊藤聡さんと合流しました。そしてまず、現場視察の為に釜石市大槌町へ移動し、当時の話を聞きました。現地では釜石鵜住復興スタジアムや、JR釜石駅付近には大きな製鉄所があり、事前研究の下調べのとおり、やはり釜石は鉄・魚・ラグビーの街なのだと感じました。
現地の案内をして頂いた伊藤さんです。
震災から約6年後の状況です
伊藤さんは三陸ひとつなぎ自然学校の代表理事で、震災直後の人と人とを繋ぐ活動(ボランティア等)や子ども支援に力を入れられています。
だいたい車での移動で、必要な主要道路は完成していましたが、未だに復興仮設住宅がいくつかあり、どこか物寂しげな景色もありました。さらに、巨大堤防等の公共施設が建設させていたり、津波が押し寄せてきた地域では住宅自体の移動が行われている場所も一部あります。
津波到達地点の石碑
防災センターの追悼施設
近くの海岸はリアス式になっています。この到達地点を観て感じた事は海岸から近くても標高の高い場所に逃げるか、海岸から遠くても標高が低かったらどんどん波が入り込んでくるという自然の作りです。この石碑も高そうな位置にあり避難できそうな地点ですが、この付近の地形は平たくなっています。
二枚目の写真はこの石碑の少し下にある鵜住居地区防災センターで亡くなったみなさんの追悼施設です。
ここがなぜ悲劇なのか。。。実は防災センターは、震災の一年程前に建設され、二階建て鉄筋コンクリートで当時は拠点避難所に指定されていました。なので地震が起きたとき地元住民はここに避難したのですが、津波が浸水してきたためそこに避難した人たちがたくさん被害を受けたことから鵜住居地区の悲劇の防災センターとなっています。
津波のときは、誰もどうすることも出来なく助けられずに、ただただ人びとが溺れていくというのを見ているだけという悲惨な状況だったと思います。
お祈りさせて頂きお悔やみ申し上げました。
夕方からは、実際に波に呑み込まれ一時は生死を彷徨った前川智克さんの話と当時の映像を見ました。現在前川さんは、鵜住居まちづくり協議会の方です。
鵜住居まちづくり協議会の前川さん
仮設住宅が今も使われています
いろいろな話を聴かせて頂きました。震災直後から、土地自体のかさ上げや巨大堤防の建設が議論されたこと。また、ぼちぼちと商店街の復活が進んでいます。
その中でも、特に印象的だった話が津波てんでんこです。
この内容は以下の通りです。
Wikipediaでは「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」と説明されています。
つまり、自分の命は自分で守り抜けということです。てんでんばらばらという事は自分が一人になっても、また集団でも自分が違うと感じたら逃げる、集団行動は良く考えてから行うべきだということです。釜石の悲劇と対になる釜石の奇跡と言われるのもここからきています。
今回の前川さんのお話では、震災前後の状況や伝えにくい過去が聴けて凄く勉強になりました。
その後、夕方過ぎに間食等の購入をしてバス内で食べてから宝来館へと向かいました。 そして、17時に宝来館でチェックインをして、ツアー参加者の皆さんと改めて自己紹介をしました。
一日目の宿泊先の宝来館。宝来館の女将の岩崎昭子さんは津波に巻き込まれています。
宝来館も避難場所に指定されています。こちらも波が一階まで浸水してしまいましたが裏山への避難が功を奏して宝来館に逃げた人たちの中では犠牲者はでなかったそうです。
その後19時頃に、鵜住居神社のお祭りに移動しました。
徐々に復活しつつある伝統芸能「虎舞」を神社で見学しました。
20時からは、宝来館にて夕食と入浴でした。
虎舞は伝統芸能で、2日目にみた鹿踊りと共に観光名物となっており、徐々に復活がされてきています。ちなみに、去年の大経生は、神社での虎舞や、栗林での鹿踊り等の伝統芸能は観ておらず、この学年が初めての代になったそうです。
夕食は凄く豪華でした。関西とは一味違い味がさっぱりしていて美味しかったです。
釜石ならではの特産商品や魚介類だけでなくご飯や揚げ物が確りしていて感動しました。
また、ボリュームもありデザートやお茶等も美味しく頂きました。
「感想」
今まで実際に震災現場に出向くことはなかったので、今回、宝来館や三陸ひとつなぎ自然学校の伊藤さんの話や、津波に巻き込まれた前川さんの生のお話をお伺いできて大変貴重な体験が出来ました。また、伝統芸能の虎舞は大変迫力があり寒さも吹き飛びました。
現場に到着して感じたのは寂しさです。
自販機が少なくコンビニや街灯が全然ないのに、車が多くて人通りがあまりなかったことが原因かもしれません。また、舗装が中途な土地があり、このことを考えると、津波が来る前は家や建物が沢山建っていたのだろうと思いました。
そして、仮設住宅がちらほらと見かけられ、復興は途中段階なのかもしれません。
もともとの地域住民の方たちの一部が、地元を離れて内陸部に引っ越していっているのもあります。しかし、虎舞や宝来館の女将や伊藤さん、前川さんの話を聴かせて頂いて、現場の視察だけでは不十分な内容や中身を理解することができました。
また、ボランティアでありフィールドワークでもある今回の活動は、やはり下調べがあればこそ効果を発揮し、実際に現場に赴いた際に自分たちが調べた内容をより深く理解できるものだと改めて感じました。
特に、自分が感銘を受けたのが、先代達の教えである「津波てんでんこ」です。東北の太平洋地域は遥か昔から津波と隣り合わせであり、現在までもその教えが受け継がれており、更に進化しています。後世にしっかりと託していくという思いをひしひしと身に感じました。また、津波到達点に石碑を建てておくことにより、今後の参考ポイントになったり避難地域の指定もしやすくなります。
最後に、3日という短い期間でありながらも、現場視察と当時の話と下調べがそれぞれ繋がり、今回のボランティアは大変良き経験になり有意義な活動となりました。
(撮影者・柏原誠)
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