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6月23日 灘高校フィールドワーク

今回は記録として参加いたしましたボランティアの吉岡が報告いたします。

神戸市の灘高等学校3年生、教員も含めて約50名のかたがたのフィールドワークを行いました。
多くの参加者のため、阪神 出来島駅から2グループに分かれて、西淀川をめぐりました。

事前学習も行って今日に臨んだ生徒のみなさんには、音やにおいといった五感をつうじて受けとめてほしいとあおぞら財団職員よりお伝えしました。

43号線。マイクを通さなくては説明の声も聴こえない騒音。そばには小学校。生活や教育の場のすぐそばで、止むことのない車の音や大気汚染があります。
西淀川の人びと、公害患者のみなさんは、裁判に勝訴しましたが、賠償金が環境改善への対策、つまり継続的な測定に用いられることを望みました。
出来島小学校には大気汚染の測定局があります。これは常時測定局ですが、出来島小学校の周辺に出来島測定局と大和田西測定局見あります。それは行政が進んで設置したものではなく、西淀川公害裁判の和解に伴って設置された測定局です。
測定は、自治体や行政との信頼関係でもあるとあおぞら財団の職員が説明しました。そこで示された数値という現実から、向き合うべき課題を知り、考え、取り組んでいくことができるのです。
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西淀川の環境は、患者のみなさんのたたかいにより、緑多い地域に変わっていきました。加えてアクセスのよさなどもあり、新しくここに住む人びとも増えてきています。従来の住環境の中に工場がある状況から、におい等の面で軋轢が生じることもあるようです。

子や孫の世代に青い空を渡したいと、長きに渡ってたたかってこられた世代のみなさんの生活を援助しているデイサービスセンター あおぞら苑。その設立には、夜中に起こることの多い喘息の発作により、孤独な死を迎えられるかたがおられたことも背景にあるとのことです。公害患者だけでなく地域のかたがたにも開かれている あおぞら苑 は、多くのかたが利用されています。公害患者のみなさんは旅行に行きづらいこともあり、新館は旅館風のつくりになっているそうです。ここにも人が人らしく生きることをたいせつにする思いが感じられました。

ちょっと早い真夏の暑さの中、限らえた時間ではありましたが、灘高の生徒さんたちは、自分で歩き、見えるもの、聞こえる音などから感じとってくださったことでしょう。

あおぞら財団に着いてからは、公害患者の池永末子さん、前田春彦さんのお話をうかがいました。
運動の原動力は、次の世代、若い世代が苦しまないようにという思いだとおっしゃる池永さん。やはり喘息で苦しんでおられた娘さんをすべてにおいて優先され、ご自分は公害病の認定を受けられなかったそうです。いっぽうで娘さんは、親を心配させないように、学校から治療を受けに行っていたとのことで、たがいを思うことが長いたたかいを支えたのだろうと感じました。保育園で働いておられた池永さん。とうぜん子どもたちと遊びますが、サッカーなどはさすがにこたえたため、ボールを遠くに蹴って、その間にひと息入れていたと、つらかった体験を語られる中でも、生徒さんたちをなごませてくださいました。
前田さんは「軍事基地のことも含めて、市民が望んでいないことに大金が投じられている。苦しむ側に立って判断してほしい」と話されました。
池永さんも前田さんも、今も患者として省庁や企業に出向き、声を上げつづけておられます。しかし、生返事しか返ってこない。将来、その「聴く側」になるかも知れない生徒さんたちには「声を聴く人になってほしい」と思いを語られました。P1240548

つづいて、灘高のみなさんから、患者さんへの質問です。
Q. 経済的に余裕にある人は西淀川を離れていったと聞きましたが、そのような人たちへの思いはありますか。
A. 自分も子どもと故郷に帰ったほうがよいのではと考えたことがある。でも、子どもたちにとってはこの西淀川が故郷だと考え直しました。

Q. お子さんのこと、またご自分の苦しさから仕事をやめようと思いませんでしたか。
A. (保育園の仕事は)子どもが好きなのでやめようとは思いませんでした。また、子どもの様子を見ていたら、経験上、喘息の発作が出そうな子はわかるので、ほかの職員と連携することができました。また、医療費のこともあったので、仕事はたいせつでした。

Q. 子どもたちにご自分の体験を伝えるとき、自分たちが暮らしている街に子どもが悪いイメージをもってしまうのではないかとジレンマを感じたことはありませんか。
A. たしかにたくさんの問題があったけれど、自分たちがたたかって、それを改善していった、よくしていったということを伝えたいと思っています。

Q. 街を支えてきた工場とのかかわりについてはどう考えておられますか。
A. 同じ地域に生きる者として共存していく。新しい住民との軋轢があるのもたしかだが、ものづくりの街として、ものづくりが見えるアートイベントなど、共に生きる道をつくっていきます。

Q. 今ここで伝えたいことはなんですか。
A. (ここにいるみなさんが、将来、行政や企業の側になる可能性もおおいにありますので)もっと空気をきれいにしていきたい。医療費など、もっと患者の側に立ってほしいということです。

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灘高校の生徒さんたちの質問に、現代的な視点も踏まえたするどさを感じました。炎天下の中、時間に追われてのフィールドワークでしたが、灘高生のみなさんは、五感で受けとめたことを患者さんのお話と重ねて、しっかりと考えてくれているのだなと感じました。
神戸と大阪ではちょっと距離はありますが、これを機会にタンデム自転車乗りにでも来てくださって、もっと西淀川とここに生きる人びとと出会い、自分の感性をだいじに学んでいってほしいと願います。人の声を聴ける人になりますように……。
(吉岡)

Filed under: イベント報告・ホームページ更新,視察受入,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2017年6月26日4:17 PM

6/2(金)大阪大学未来共生イノベータ博士課程のみなさんのフィールドワークを行いました。

今回は、ボランティアで参加いたしました吉岡がご報告いたします。

大阪大学未来共生イノベータ博士課程のみなさんと合流し、バスにてまずは尼崎の工場群、中島工業団地をめざしました。

その車中、あおぞら財団職員 林より、西淀川の公害、地域の特徴について説明がありました。わたし自身、ボランティアという形で、西淀川のフィールドワークに初めて参加しましたので、これまで「通りすがり」になんとなく目にしてきた風景が、説明を聴くことでまったく異なったものに映りました。

中でも長期に渡る工業用水の汲み上げによる地盤沈下は、視覚的にも衝撃を受けました。道路より低い家並、地面より高い水面。また、日頃身近な道路や鉄道、日常用いている製品を生産してきた企業が、公害訴訟においては被告となったことも説明がなければ見過ごしてしまったでしょう。利益優先の結果、住宅地のすぐそばに大規模な工場がつづいていることも背景を知らなければ疑問ももたない。視覚的な意味にとどまらず、課題の本質からブレないために「見る目」を養うことのたいせつさを痛感しました。

公害とは、人が人として人間らしく生活する権利が、大きな力とそれを後押しする大きな流れによって深く侵害されることだと思っていますが、患者とされた人びとの存在そのものを奪ってきたハンセン病の隔離政策とも重なることを外島保養院跡記念碑は告げているようでした。

車から降りて、住宅地を突っ切って造られた国道43号線から見えてくることも学びました。西淀川には大きな道路がいくつも通っています。交通量が多ければ、当然、大気汚染や騒音を生じ、やはり人の生活を脅かすことになります。あちらこちらに交通量を減らすために湾岸線の利用を呼びかける文言が掲げられていますが、「無料」の43号線に多くの車が流れる状況は現在の流通実態ではなかなか変わらないようです。P1240199

しかし、地域に生きる人びとが声を上げたことによって、かちとられたこと、取り戻したものがあります。道路においては車線を減らす、環境レーンを設けるなどは住民運動がもたらした成果です。

西淀川の人びとが資金を出し合って実現した千北療養所(当時は千北病院)に設置された、医師会立の公害医療センター。公害反対運動では工場に務める人もいるし、合意形成がむずかしい。そこで地域で共有できるものを求めていく。あおぞら財団の活動に理解・協力してくださっている企業もあると聴きましたが、相手を切り捨てず、互いの立場を思い、共生の道を見い出すためにも、対立を超えた対話こそ課題を可能性へと変える力になっていくのいではないかと思いました。

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阪大生のみなさんは、2人ずつ組んで、地域のかたがたに①西淀川の好きなところ、②西淀川の困っていること・改善したいこと、の2点についてアポなしインタビューを行いつつ、あおぞら財団へ。結果を発表していただくと、好きなところも課題も人さまざま。好きなところでは、生活が安定、景観がよい、公共サービス(子育て)、便利。課題では、高齢化、トラックのスピード、交通が不便、空気が重い、外国人が増えていることへのとまどいなど。その人その人、一人ひとりの捉えかた、考えかたがあり、それが人が息づき、生活しているということだと、阪大のみなさんは“生の声”にふれて感じられたのではないでしょうか。

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主役の阪大生さんをさしおいて、わたしの心もとない所感ばかりになってしまいましたが、みなさんは今日見たこと、聴いたこと、驚いたこと、疑問に感じたこと、インタビューに答えてくださったかたの声を、人が人らしくある未来に生かしてくださることでしょう。(吉岡)

 

 

Filed under: イベント報告・ホームページ更新,視察受入 — aozorafoundation 公開日 2017年6月2日8:01 PM

「実践から学ぶコミュニティ・オーガナイジング!~西淀川の人々は、どのように公害問題を解決したか?~」を開催しました(2/11,12)

2月11・12日、シチズンシップ共育企画代表の川中大輔さんコーディネートのもと、「コミュニティ・オーガナイジング」の方法を学びました。
「コミュニティ・オーガナイジング」とは、地域の問題解決に向けて人々を組織化していくことです。今回は、西淀川の事例に関わった方々から直接お話を伺うことで、実践的な「コミュニティ・オーガナイジング」の方法を学びました。

1日目は、最初に「コミュニティ・オーガナイジング」とは何かについて学びました。

川中大輔さん

川中大輔さん

「コミュニティ・オーガナイジング」とは、地域の中で孤立した状態にある「小さくされている人々」を共通課題のもとで集合化/組織化し、社会的正義/公正」を実現化していく営みのことです。
地域の中で孤立した状態に置かれた人々が、自分達が置かれている環境は個人の問題ではなくみんなの問題であるということに気づき、同じ課題を持つ人々が集まって既存の政治システムに対して働きかけを行うことで、虐げられている人々や排除されている人々の声が行き届き、適正な社会に修正されることを目指します。

コミュニティ・オーガナイザーの役割は、組織のリーダーを担うことではなく、当事者の中からリーダーを発掘し、エンパワメントすることです。

コミュニティ・オーガナイザーは、地域や住民の生活パターンなどを知ることで時間をかけて地域の一員となり、住民と対話し、住民の気持ちをしっかりと受け止め、関係を築きます。その中で、自覚されていないコミュニティの多様な問題を認識し、住民を惹きつける具体的なIssueを見つけ、具体的な解決策を検討します。
そして、共通の問題の下に人々を集め、その中からリーダーを発掘し、活動を起こします。活動から組織化を進め、自立化を促した後は、意思決定者の関心を維持しつつ、評価を通じて改善していきます。

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その後、フィールドワークを行い、タンデム自転車で大野川緑陰道路や国道43号線、千北診療所などを巡りました。

43号線沿いを見学しました。

43号線沿いを見学しました。

西淀川公害医療センターです。

西淀川公害医療センターです。

西淀川公害の概要を学んだ後、西淀川公害患者と家族の会事務局長・上田敏幸さんと当時の企業の法務担当者・山岸公夫さんから当時のお話を伺いました。
患者会担当者、企業法務担当者であったお二人のお話を同時に聞く試みは初めてのものでした。

左が山岸さん、右が上田さん

左が山岸さん、右が上田さん

お二人からは、患者会と企業が「対話」に至り、和解が実現するまでの経緯を詳しく聞くことができました。
西淀川大気汚染公害裁判の解決の背景には千葉川鉄公害訴訟の解決があったこと、企業をめぐる情勢が変化したことで、会社も和解を受け入れられるよう変化したとのことでした。

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和解には社会情勢の変化もありましたが、山岸さんが患者会と対話を重ねることで信頼できると思えたこと、「手渡したいのは青い空」というスローガンがあったからこそ、企業も受け入れることができたとお話なさっていたことが印象的でした。

2日目は西淀川に長くお住いの中田重幸さんと西淀川大気汚染公害裁判を担当した井上善雄弁護士にお話を聞きました。

中田さんからは、当時の環境の変化や西淀川の地域性についてお話を伺いました。

中田さん

中田さん

中田さんは小学校3年生の時に終戦を迎えました。疎開先から帰阪した後、同じ年に西淀川に移住しましたが、その頃にはすでに公害があったそうです。薬品会社が排出する茶色い煙や、防火槽に蓋をしているトタン板がすぐに錆びたこと、そうした環境でずっと過ごしていると慣れてしまって異変に気づきにくいことなどを聞きました。
公害裁判については、お仕事が多忙であったことから日常的に情報を耳にすることなどはなかったそうですが、「公害のまち」であるという認識から、署名に協力したことがあるとのことでした。

中田さんのお話を聞き取る参加者

中田さんのお話を聞き取る参加者

井上善雄弁護士からは、西淀川公害裁判に関わるようになった経緯や、中田さんのお話と共通する西淀川の地域性について聞くことができました。

井上善雄弁護士は、西淀川で育ちました。「煙が悪い」と直感的には分かっていても口には出せなかった時代、善雄少年は「なんかおかしい」と思いながら成長したといいます。

井上善雄弁護士

井上善雄弁護士

当時西淀川公害患者と家族の会事務局長であった森脇君雄氏から裁判がしたいとの相談をもちかけられ、「勝てるかどうか分からないけど、やってみよう」と奮起した背景には、井上善雄弁護士の育った環境があるそうです。

また、問題解決に向けて地域住民と一緒に最後までやりとげることやアフターケアの必要性など、オルガナイザーの責任にも言及がありました。

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患者会と企業の担当者、弁護士、地域住民といった西淀川の公害という地域の問題に関わった方々からのお話を聞いて、それぞれ印象に残った言葉や、話のポイントを参加者で共有しました。

2日間を振り返り、印象に残った言葉などをポストイットに書いていきます。

2日間を振り返り、印象に残った言葉などをポストイットに書いていきます。

それぞれのポストイットを出し合い、共有します。

それぞれのポストイットを出し合い、共有します。

参加者が出し合った言葉・ポイントを関連づけてそれらを象徴するキーワードを引き出すことで、患者会担当者、企業法務担当者、地域住民、弁護士から聞いた話を整理し、振り返りを行いました。

参加者からは多岐に渡るキーワードが出されました。

参加者からは多岐に渡るキーワードが出されました。

行動のきっかけや長期間におよぶ闘いの根源となった感情・強い信念、患者会担当者と企業法務担当者のお話に出てきた「対話」や「共感」、「積極的」に「行動」すること、地域住民などを「まきこむ」こと、その方法とそれに伴う責任に関心が集まりました。

今回の「実践から学ぶコミュニティ・オーガナイジング!」では、患者会担当者、企業法務担当者、地域住民、弁護士といった西淀川の公害問題を知る、さまざまな立場の「当事者」の方々からお話を聞いたことで、地域の課題解決に向けて人々を組織化するための実践的なポイントを学ぶことができました。

Filed under: イベント報告・ホームページ更新,視察受入,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2017年4月10日1:30 PM

環境省職員 現地研修受入 2日目(2/10)

あおぞら財団では、環境省職員を対象に西淀川・尼崎地域における環境問題史の現地研修の受け入れを実施しております。今回は2月9日から10日の二日間にかけて行われ、環境省職員の方10名と環境再生保全機構の方2名が参加されました。2日目では、フィールドワークとして西淀川および尼崎工業地域の見学とデイサービスセンターあおぞら苑での見学・ヒアリング等を行いました。

1日目の記事はこちら

 

まず、フィールドワークから始まり、バスを利用して国道43号線や西淀川・尼崎工業地帯を見学しました。

国道43号線では、騒音・大気汚染対策の現状を国土交通省大阪事務所の方から説明を受けました。

環境省研修2日目①

国道43号線にて、国土交通省大阪事務所の方から説明を受けている様子です。

 

国道43号線は、西淀川公害裁判の和解によって騒音・大気汚染対策が始まりました。道路の路面や高架橋などに、騒音低減や大気浄化を促すあらゆる技術が導入されており、様々な工夫が施されていました。これらの技術によって、意識することで体感できる程の効果があり、都市部を支えている技術の一つであると感じました。

 

次に、デイサービスセンターあおぞら苑を訪問し、利用者からヒアリングを受けました。

環境省研修2日目②

利用者からヒアリングを受けている様子です。

 

あおぞら苑は、西淀川公害裁判の和解金の一部を利用して創設されたデイサービスセンターで、利用者の1割程度が公害患者となっております。利用者から西淀川地域のお話を聴き、西淀川地域の歴史を「生の声」から学びました。私は、普段から地元の高齢者との交流が少ない為、大変貴重な機会を頂きました。

 

その後、徒歩で大和田街道・大野川緑陰道路を通り、住民にインタビューを行いながら、あおぞら財団へ向いました。

 

財団へ到着後、西淀川区副区長の橋本広志さん・あおぞら財団藤江から「現在の西淀川の状況と課題について」を題して講義を行いました。

環境省研修2日目③

講義を受けている様子です。

 

講義終了後、2日間のワークショップを振り返り、「西淀川で得た学び」をテーマにグループでプレゼンテーションの作成を行いました。

環境省研修2日目④

グループで2日間の内容を振り返りました。

 

2日間で学んだことをグループで情報共有し、西淀川地域の現状と展望をまとめました。短時間のなか、参加者全員が熱心に議論し、お互い意見を出しながらプレゼンテーションを作成しました。

 

振り返り後、質疑応答を交えながら各グループで発表しました。

環境省研修2日目⑤

各グループでまとめた内容を発表している様子です。

参加者は、「対話の重要性を感じた」や「地域のつながりが大切だと思う」、「子どもにも西淀川の歴史を知ってほしい」など、当研修で学んだことや感じたことを話されておりました。

 

今回の研修を通して、西淀川地域の現状やあゆみを間近で学ぶことができ、大変貴重な経験になりました。フィールドワークは、一つひとつ街を見ることでその地域を知ることできる重要な機会であります。環境問題に向き合っていくうえで、目や肌で感じることが住みやすい街づくりとして必要ではないかと思います。(嶋田)

Filed under: イベント報告・ホームページ更新,視察受入,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2017年2月27日1:03 PM

環境省職員 現地研修受入 1日目(2/9)

あおぞら財団ではここ数年、毎年、環境省職員環境問題史現地研修の受け入れを行っています。今回の研修は2月9日~10日にかけて行われ、環境省職員の方が10名・環境再生保全機構の方が2名、計12名が参加されました。公害患者の池永末子さんのお話、弁護団の村松昭夫先生のお話、「西淀川公害患者と家族の会」事務局長・上田敏幸さんのお話、西淀川のフィールドワークなど2日間に分けて研修が行われました。

2日目の記事はこちら 

 

まずはお互いの自己紹介からスタートです。

 

お名前、今回の研修に期待すること、業務内容、自分の考える環境省職員の役割を紙に書きます。

お名前、今回の研修に期待すること、業務内容、自分の考える環境省職員の役割を紙に書きます。

 

 

今回の研修に期待することとして、現場に行って、公害患者さんの声を聞いてみたいという意見が多く出されました。

 

まず、あおぞら財団の林さんから「西淀川公害、地域再生について」というテーマで講義がありました。講義は「戦前の公害といえば?」という問いかけを交え、日本の公害の歴史を振り返ることからはじまりました。全国の公害と公害訴訟の話から、西淀川の歴史と公害や公害患者さんの証言、あおぞら財団の理念について説明がありました。

西淀川公害裁判では環境を再生し、孫や子へ良い環境を手渡すこと目標に掲げました。西淀川公害訴訟の和解金の一部を基金にあおぞら財団が設立されます。林さんはあおぞら財団の役割はステークホルダーをつなぐことであると説明しました。

講義をしている林さん。

講義をしている林さん。

 

林さんの講義の次には、公害患者の語り部さん・池永末子さんからのお話がありました。

昔の西淀川・公害の様子、病気の苦しみ、公害反対運動、及び今の健康状態や暮らしについてお話をしていただきました。

 お話をされる池永さん。タスキをかけておられます。右は上田敏幸さん。


お話をされる池永さん。タスキをかけておられます。右は上田敏幸さん。

池永さんが西淀川に来たのは二十歳すぎの時で、洗濯物や物干し竿やばい煙で汚れ、掃除を欠かすことがなかったそうです。

池永さんは、ご自身がぜん息になる前に娘さんも公害患者さんで、小学校中学校の時は、学校を休んで病院に行かなければならないことも多かったそうです。その後ご自身もぜん息になったことで、子供さんがしんどい思いをしていたことを改めて実感したとおっしゃっていました。

池永さんご自身は未認定患者さんであるため、医療費が実費負担となり経済的な負担が大きかったことから、発作が出ても病院に行くのを我慢して悪化してしまうこともあったそうです。

患者さんにとって、医療費があるかどうかというのは大きなハードルになっており、未認定患者さんに対する救済制度が欲しいというのが公害患者の会の要求にも上がるところである、ということでした。

保育所で先生として働いていらっしゃった池永さんは、仕事に行く前は薬を飲む、仕事中に体調が悪くなった時は吸入器を使ったりしていたそうです。

吸入器を見せてくださいました。画面端の紫の器具です。

吸入器を見せてくださいました。画面端の紫の器具です。

 

皆さん熱心にお話を聞いています。

皆さん熱心にお話を聞いています。

 

 

【質疑応答】

Q:保育所で働いていらっしゃったとのことだが、預かっていたお子さんにもぜん息の子どもがいたのか?

A:自分がぜん息の患者であったため、ぜん息の症状がわかる。そういう子供たちの対応もしていた。

林さん補足:池永さんは小学校に語り部に行っているが、教え子がいる。池永さんがぜん息であったことを教え子達は知らない為、驚かれることがある。

 

Q:クラスにお子さんと同じ様に公害患者さんだった人はいたと思うが、親同士のつながり

はあったのか?

A:その当時自分が公害患者であるということを言いたがらない、隠す人が多かったためそれほどなかったと思う。

上田さん補足:公害患者に対する差別もあった。そのため、結婚や就職など子供の将来に影響を及ぼすのではないかと考え、自分の子供が公害認定患者であることを隠すこともあった。認定そのものを受けなかった人もたくさんいる。しかし、現場の教員、保健師、養護教諭が集団で話し合いをしてサポートしたというのも西淀川の地域の特徴でもある。子供たちのぜん息が一番多かった時期は、西淀川の地域だけ養護教諭が複数で配置をされたり、空気清浄機をつけたり等の措置がとられた。これらの願いを行政に伝え実現することができたのは患者会、あるいは地域の人たちや教員のバックアップがあったからである。

 

その後、あおぞら財団の現理事長である弁護士の村松昭夫先生のお話がありました。会場を5階のエコミューズに移して行いました。

 

村松先生は、日本の大気汚染公害訴訟の経過と内容・環境政策・公害裁判になぜ患者さんたちが取り組んだのかということを患者の方と共に裁判に取り組んだ弁護士の立場から、お話してくださいました。

 

村松先生

村松先生

日本の大気汚染公害裁判は四日市の公害訴訟から始まり、この裁判の判決を契機に公害健康被害補償法が制定されました。この制度は汚染者負担の原則[PPP]に立ったものであり、世界的にも類を見ない環境政策でした。当時日本の至る所で大気汚染が深刻な問題となっており、公害患者の皆さんは患者会を結成等様々な運動を行っていましたが、四日市判決が励ましになり、各地の裁判に影響を与えました。

西淀川の大気汚染は都市型複合汚染であり、被害の責任追及や因果関係の証明が困難であったため、疫学調査や共同不法行為論を利用して裁判を行ったそうです。西淀川の大気汚染裁判の和解金の一部は、公害により破壊された地域再生のためにあおぞら財団の設立に充てられました。環境再生の問題に最初に注目し、行動したのが西淀川であり、後の大気汚染裁判に影響を与えたと述べられていました。西淀川の公害裁判は弁護士主導型ではなく、患者主導型であったそうです。そして、村松先生は、患者さんや弁護士がなぜ長期にわたる裁判を戦い抜くことができたのかということを振り返って、お金のためだけでなく、被害を救済しなければならないという人間的な心情や、患者さん達が自分の受けた被害を次の世代が受けないようにという思いを持ち続けていたからではないかとおっしゃっていました。

 

【質疑応答】

Q:二十数年間という長期間の裁判を戦うことができたモチベーションとその維持の方法は?

A;弁護士側のモチベーションとしては、弁護士は自分の能力を社会正義に生かしたいという気持ちがあった。また、こういった裁判を皆で協力し、解決していくということは弁護士としても非常に重要であり、その根底にあるのは被害者の方を見て、彼らの思いに報いたいという人間的な心情だったと思う。集団で裁判に取り組んだことでモチベーションを保ち続けることができたと思う。

 

Q:裁判中に世論を味方につけるためにどのような取り組みを行ったか。

A:裁判が長期化すると、被害や問題そのものが忘れられてしまう可能性がある。そうならないために、マスコミに訴えたり、署名活動を何度も行ってきた。

 

次に「西淀川公害患者と家族の会」事務局長・上田敏幸さんのお話がありました。

始めに上田さんから、公害患者さんの前田春彦さんの報告の紹介がありました。

お話をされる上田さん。

お話をされる上田さん。

 

上田さんは、当たり前のことが奪われる、回復の見込みがないためその当たり前が不可逆的に奪われることが公害病の特徴であるとおっしゃっていました。上田さんは30年近く患者さん達とともに活動してきて一番大事なのは「対話」であると感じていると述べられていました。『手渡したいのは青い空』という本を作ったのが西淀川の公害被害者と関わった最初だったそうです。これは被害をまとめ、患者の方は何をよりどころに戦っているかということをまとめた本です。本を作った後の役割は、百万署名推進委員長として、裁判を起こした人たちが共有している被害を受けとめて、共感する人を署名という形で増やす運動を行ったということです。136万もの署名を集めたそうです。一方で企業と折り合いをつけるために対話の窓口を作る仕事を行ってきました。対話というのは相手も対話をする意思がないと成立しないため、企業内に対話の意思を持つ人が見つかったことで、和解への道を作ることができたともおっしゃっていました。その時に関わった企業の人の中には今でも交流がある人がいるそうです。

 

【質疑応答】

Q:数十年にわたる裁判を可能にした患者さんのモチベーションはどのように維持されていたか?

A:「当たり前」が奪われることが一番辛いことであり、自分にはたとえ間に合わなくても、子や孫につらい思いをさせたくないという強い思いがあった。そういった他者への思いやりがあり、それを患者間で共有してきたため、続けることができたのではないか。

 

 

最後に振り返りのワークショップを行いました。一日が終わり、気づいたことを話し合って、2日目のフィールドワークに向けて問題意識の近い人達でグループごとに分かれました。

 

今日学んだことを振り返り、共有します。

今日学んだことを振り返り、共有します。

 

二日目は西淀川のフィールドワークが中心の研修となります。

 

 

今回の研修に参加させていただき、自分自身も大変勉強になりました。

公害の被害が人の体だけでなく人間関係や地域コミュニティにも長期間影響を与え続ける根深い問題なのだとあたらめて実感しました。同時に次世代に良い環境を残そうと未来を見据え、戦い、あるいは対話を続けてこられた方達のおかげで今があるのだと感じました。

今回の研修では「共有」が一つのキーワードだったように思います。被害の体験の共有、理念の共有などを通して協力し合い、課題を解決していく。このことは今現在にもある環境問題等を解決する手がかりになるのではないかと考えました。(村山)

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