あおぞら財団 財団ブログ
公害の歴史Q&A あおぞらイコバ
公害を伝えるための資料整理寄附募集
屋上広告募集
りべら広告募集
Don't go back to the 石炭

    キーワード検索

    アーカイブ

    カテゴリー

    最近の投稿

    最近のコメント

ブログカテゴリー » 資料館(エコミューズ)

西淀川の昭和 写真展(7/19~29あおぞらイコバ)

2011年7月19日~29日

あおぞらイコバにてエコミューズ所蔵資料「西淀川の昭和 写真展」を開催しています。
P1120595
裁判資料に使われたパノラマ写真や
P1120598
ジェーン台風の水害の様子
P1120597
ありし日の合同製鉄の高炉
P1120603
アメリカ軍が撮影した昭和20年代の空中写真と昭和60年ごろの空中写真
(変化がよくわかります)
P1120600
患者さんからもらった昔の写真
P1120601
煙の大阪の写真
P1120604
などなど掲示してますので、フラッとお越しくださいね。

Filed under: あおぞらイコバ,イベント案内,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2011年7月19日6:33 PM

スタディツアー事前勉強会(関東)7/9

2011年7月9日 13:00~16:00 都留文科大学

8月に開催されるスタディツアーの事前勉強会を開催しました。参加者は10名。
講師は小田康徳先生(大阪電気通信大学教授、エコミューズ館長)です。大阪の都市化と工業化のせめぎあいについてお話しいただきました。

PAP_0358

大阪の地名と、明治からの大阪の都市化についての話であったので、難しい部分もあったかと思いますが、大阪は都市化を目指して工業化したが、都市化と工業化は相いれなかったという結論は参加者に伝わったようです。おそらく、西淀川の現地を見て、住工混在の大阪を見て納得するのではないかなと思います。

SN3J0702

年代の違う地図を比べて、西淀川がどのように都市化をしていったのかを説明してもらいました。
質問は、一人一問、紙に書き出してもらいました。

PAP_0376

「川北村の小作人だけは大阪市への合併を賛成しなかった。小作人はどういう動きをとったのか」
「大阪にすみだして体調に何か変化はあったか」
「公害被害者の中にも工場で働いていた人はいましたか」
「聞く限り、大阪の公害問題は深刻そう。そうして四日市や新潟のように大っぴらにならなかったのですか??(私が知らないだけかもしれませんが・・・)」
「工業化優先論が確立したくらいの時に環境や健康を大事にする人たちはどんなことをしていたか」
「公害による近隣の県への被害は?」
「環境重視の姿勢が多少あったが、それでも農業から工業に転換したのはなぜか?」
「戦前での健康被害などはどの程度あったのか?」
「大規模工場を大都市に建てる意義が希薄化している中で、現在、大阪市内の上場数は?減っているのか、変わっていないか」
「農業をしていた人は皆工業へ移ったのか」
「最初、あまり工業化は歓迎されていなかったそうですが、全国的に見ても歓迎されていなかったのでしょうか?」

大阪市内の工場数は減っていること、農業から工業に転換したのは農業に望みを持てない状況にあったなど、やりとりがあったのち、高田研先生からフィールドワークの心得を伝授してもらいました。
PAP_0373

聞き取りは、聞く時代背景によって内容が変わってくること、内容が順序立ててお話ししてくださるとは限らないこと、質問をして事実を確認すること、立場によって発言が変わってくることなど、図でわかりやすく解説してくださいました。

SN3J0707

大阪の事前勉強会はあおぞら財団で17日に開催です。(林美帆)

Filed under: イベント報告・ホームページ更新,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2011年7月11日11:18 AM

資料館だより37号アップしました

エコミューズの「資料館だより」第37号(2011年7月号)を発行いたしました。PDF版も、資料館のサイトにて提供しております。

ダウンロードはこちらから

是非ご覧下さい

Filed under: イベント報告・ホームページ更新,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2011年7月1日2:04 PM

「西淀川記憶あつめ隊」で地域の方に聞き取りをしました No.2

西淀川の記憶をあつめて、西淀川の歴史を伝えたい。
そんな思いでスタートした、「西淀川記憶あつめ隊」。

6月17日(金)は、荒井敏明さんのお話をうかがいました。
戦争中のお話や、西淀川での暮らし、お仕事についてなど、2時間近くお話して下さいました。
大切な思い出の写真もお持ち下さいました。
ecomuse

ecomuse

荒井さんは、鉛工(えんこう)として、全国各地を飛び回って働いていたそうです。
荒井さんのお話から、職工が集まる西淀川の街の姿を、新たに知ることができました。

「西淀川記憶あつめ隊」、これからもがんばります。

(エコミューズ資料整理スタッフ 森本)

Filed under: イベント報告・ホームページ更新,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2011年6月30日10:17 AM

もりもとまきのアーキビストの目 No.19

弁護士も立ち上がる-西淀川大気問題研究会-
(資料館だより36号、2011/05)
紹介資料:西淀川大気問題研究会議事録(1977年)

西淀川公害訴訟弁護団の母体となったのは「西淀川大気問題研究会」です。エコミューズでは会議録など、同研究会の多くの資料を所蔵しています。

ecomuse

若き弁護士たちの奮闘を伝える 若き弁護士たちの奮闘を伝える 

研究会は’73年11月、青年法律家協会(青法協)大阪支部で発足しました。’54年に若手法律家たちが設立した青法協は、’69年に「全国公害研究集会」をスタートさせるなど、公害問題に高い関心を持っていました。当時西淀川公害患者と家族の会事務局長であった森脇君雄は、青法協に対して西淀川公害裁判提訴の必要性と協力を訴え、西淀川大気問題研究会の発足に至りました。翌’74年、患者会の被害救済要請を受けて大阪弁護士会公害対策委員会に設置された「西淀川問題小委員会」にも、同研究会のメンバーが参加しました。

提訴の前年、‘77年3月15日の会議録(眞鍋正一弁護士資料No.992,写真上)からは、被告の選定、研究者・医師らとの協力強化、訴訟のための資料収集、弁護団の体制などについて討議されていることが分かります。また同年7月の合宿議事録(同No.1016,同下)では、訴状案の検討過程などが分かります。

患者に寄り添い、公害に立ち向かい、西淀川に青い空をよみがえらせようと奮闘した弁護士たちの姿を伝える資料です。

☆資料館だより36号はこちら

(エコミューズ資料整理スタッフ 森本)

Filed under: もりもとまきのアーキビストの目,資料館(エコミューズ) — aozorafoundation 公開日 2011年6月24日3:19 PM
« 次のページ前のページ »