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ブログカテゴリー » 西淀川公害がわかる資料集をつくろう

西淀川公害=資料の紹介(3) 大野からみた福駅方面の写真 

※機関誌りべらで連載をしている所蔵資料紹介コーナーの転載記事です。
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写真は、大野の集落から今は緑陰道路と呼ばれる大野川をはさんで東の方向を見た1956年頃の風景である。写真には大野川を隔てて阪神電鉄福駅や、その右側には当時伊藤と呼ばれた日本化学の工場が増設のためか、足場を組んでいるのが写り、右端には大阪製鉄(後の合同製鐵)の木造2階建て社宅も大きく写っている。日本化学については「煙がすごかった」との注釈が写真裏面に記されている。当時小学校高学年でときどきこの地を訪問していた女性の記憶によれば、川は灰色で、何がいるのかわからなかったとのこと。一方、大野の集落側の川沿いは小さな船着き場だったのか、大人が子供たちと並んで、季節の陽気を楽しんでいるようにも見える。右側の男性は船の中か。当時草むらの中には野生のアヒルが卵を生み、それを探す人もいたという。くつ・ぞうり・はだしといった子どもたちの足回りにも注意してほしい。

農漁村の面影を多分に残しながら、大阪市の北西~西部地域では戦後朝鮮戦争の影響下急速に工業生産力を伸ばしていた。そこでは、無計画に立地した中小の工場を中心に、労働者の住宅・商店などが密集し、地域の姿も農漁村から工業地域へと急速に変貌しはじめていた。行政が空気や水への環境汚染を放置し、都市の公共的な生活基盤への投資をないがしろにしていた歴史を物語る写真と言っていい。西淀川公害の歴史的背景でもある。

エコミューズ館長 小田康徳
3 大野からみた福駅方面 1956年ごろ

塚口アキエ氏資料No.3

りべらVol.158(2022年4月発行)より抜粋

エコミューズ所蔵資料の勉強会開催中。資料集作成をめざして(3/24、4/19)

あおぞら財団附属 西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)の所蔵資料をもちいて、西淀川公害のことがわかる資料集を作成しようと、昨年度(2021年度)よりそのための勉強会や委員会を開始しました。
3月24日は、喜多幡龍次郎氏の大野川緑陰道路に関する資料や、井上善雄弁護士の西淀川公害訴訟前の検討資料などを見ました。

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喜多幡氏の資料のいくつかは、4/22からはじまった図書館での展示にも活用しています。
詳しくはこちら→ https://aozora.or.jp/archives/37701

また、4月19日は、資料館長でもある小田康徳氏からの寄贈資料や大阪から公害をなくす会からの寄贈資料について確認しました。小田康徳氏の資料の中には、「西淀川聞き取り調査(姫島)」と題した、1980年作成の聞き取り調査の書き起こし資料がありました。地域の変化、生活の変化、その中での公害問題について、語られています。

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エコミューズの活動は、みなさんから頂戴するご寄附を財源にしています。

いただいた寄附をしっかりと役立てられるよう活動をしていきたいと思います。

また、今後もぜひとも活動を支えていただきたく、寄附を募っております。
どうぞご協力をよろしくお願いいたします。

あおぞら財団への寄附についてはこちら。
https://aozora.or.jp/aboutkifu

 

あおぞら財団付属 西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)
利用時間:月および金 曜日 10:00-17:00
※事前にあおぞら財団まで電話連絡をお願いします。

 

西淀川公害=資料の紹介(2) 中津コーポ高速道路反対ニュースビラ 

※機関誌りべらで連載をしている所蔵資料紹介コーナーの転載記事です。

写真は、大阪市大淀区(現在北区)中津コーポ住民による高速道路反対のニュースビラの一部です。1971年5月から72年8月31日まで全95号がまとめられています。書き手は、のちに大阪空襲の研究やその被災者運動で知られる故小山仁示関西大学教授。当時40歳になったばかりで、B4版の紙面いっぱいを使い、大量の字数になることもしばしばでした。

ニュースでは、号を追って道路公害に関する認識を深め、解決すべき課題を明確にしています。当局や府・市議会、そしてマスコミ等との交渉を通じ問題の所在を明らかにし、その解決の社会的意味を論じていきます。また、道路で結ばれる関係地域の住民運動に何度も連帯のエールを送っています。そのなかには西淀川公害反対運動を進める人びとも含まれていました。運動を点から線へ、線から面へと広げる意義が何度も語られています。

今回見つけ出された資料は、その運動の実際を再現する根本資料です。西淀川公害反対運動も、こうした広い背景を持って展開したことが確認できます。

エコミューズ館長 小田康徳

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井上善雄弁護士資料No.118

りべらVol.157(2021年10月発行)より抜粋

西淀川公害=資料の紹介(1) 第1回公害問題講座のポスター

※機関誌りべらで連載をしている所蔵資料紹介コーナーの転載記事です。

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1970年10月、日本科学者会議大阪支部・新日本医師協会大阪支部・大阪民主医療機関連合会はそろって公害問題講座を開きました。これはそのときのポスターです(エコミューズ保管)。参加者は4日間で延べ1,000人以上。うち384人に上ったアンケートのまとめもガリ版刷りで残っています。公害問題を知りたい、理解したいという願望は大阪でも広がっていたのです。

講座の主催者たちも知らない多様な人びとがこの講座を聴講しました。10歳代34人、20歳代243人、30歳代50人と圧倒的に若い人が多く、参加のきっかけは、8割以上がポスターやビラを見てと答え、もっと早く知りたかったとも語っています。公害問題は日本を揺るがす大問題で、自分にも関わると広く認識されていたのです。翌年1月には第2回の講座が実施されています。

公害をなくそうとの声を一つにまとめ、公害を押し付ける大阪府や市などの行政と渡り合おうとする永続的な組織「大阪から公害をなくす会」が結成されるのは、1971年2月17日のことでした。

エコミューズ館長 小田康徳

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大阪から公害をなくす会資料No.318-2

西淀川公害がわかる資料集をつくろう

あおぞら財団付属の西淀川公害と環境資料館エコミューズでは、資料集編集の取り組みをしています。機関誌りべらで連載をしている所蔵資料紹介コーナーをブログでも紹介していきます。

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1970年2月「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」が制定されたとき、西淀川区でこの年末までの公害病認定数は1,241人。1978年4月の西淀川公害裁判提訴の直前、救済法を引き継いだ公害健康被害補償法による累計の認定患者数は5,621人。死亡者を除くと4,242人が認定患者でした。この激烈な健康被害は、1970年11月公害国会後の公害対策の進展下に起きていたのです。裁判は住民の健康無視の工場操業から出るSOx、道路政策の中で新たな公害源として猛威を振るっていたNOxとSPMの環境基準以下までの排出差し止めを求めました。西淀川公害訴訟は同じ大気汚染に苦しむ千葉・川崎・倉敷・尼崎・名古屋南部・東京の裁判と連携してたたかわれました。

いまエコミューズの資料調査活動が進み、裁判の記録はもちろん、公害患者たちのくらしから裁判後の活動に至るまで、無数の資料の中から歴史に残る活動の跡を選び出す条件はようやく整い始めています。過去の事実が意図的に消されないため、記録を、それも第一級の記録をもれなく集めた資料集を編集することになりました。

エコミューズ館長 小田康徳

No.7308 検甲第14号証の29 昭和39年2月7日 西淀川区出来島付近上空から大阪製鋼の方向を撮影

西淀川の空を覆う工場排煙―1963年2月7日大阪気象台撮影。裁判の証拠として提出

 

No.1270

合同製鐵との交渉。1991年3月29日の第一次判決後被告側が控訴。白紙に患者の願いが

 

 

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