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ブログカテゴリー » 中島水道サロン(事務局)

大野川緑陰道路でタンポポ調べを開催しました!

2012年4月21日(土)13:30~15:30に、大野川緑陰道路でタンポポ調べを開催しました。
前日まで天気が悪いという予報でしたが、お日様ものぞき、活動するのにちょうどいい天気となりました。参加者は56人(子ども43人、大人13人)でした。

まず集合場所だったエルモ西淀川でガールスカウトの子どもたちがタンポポの紙芝居をしてくれました。

次にあおぞら財団のスタッフがタンポポ調べについて説明。大阪に生えているタンポポや、そこから自然の豊かさを知ることができることなどの話をしました。

この日はゲストに草笛おじさん(西淀川在住のひろもとさん)が草笛を子どもたちの前で披露してくれました。
普段自然にあるものであまり遊ばない子どもたちは興味津々で、耳を傾けていました。

そしていざ、大野川緑陰道路へ!タンポポを探しながら、新淀川公園へ向かいます。
今回はタンポポの他に、犬、鳥、自転車、おもしろい葉っぱの数を探してもらいました。普段は見過ごしている自転車の数や、犬を探すと、いつもの道が違ったように見えてきます。

カンサイタンポポ、シロバナタンポポ、セイヨウタンポポ(アカミタンポポ)、みんな見つかったかな?

新淀川公園へ到着し、みんなで見つけた数や種類をまとめて発表していきます。
ほとんどのグループがカンサイタンポポ、シロバナタンポポ、セイヨウタンポポ(アカミタンポポ)を見つけることができました。

また緑陰道路を走る自転車も30台以上あったことや、鳥も50羽以上いたなどの発表もあり、普段は数えたりしないものを数えると、意外に多いなぁという印象を受けました。

また恐竜や動物の足跡に見える葉っぱを集めてきてくれたグループもあり、身近な自然に目を向けることでおもしろい発見もあるんだなと感じました。

晴れてあったかい中で家の周りや緑陰道路を散歩する時に、いつもと違った視点を持つだけで、新しい発見があるかもしれません。

記:相澤

中島大水道を考える(第13回緑道サロン開催)

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第13回「緑陰道路サロン」イベント
「中島大水道を考える」を、3月24日(土)、開催しました。(参加者14名)

淀川区に在住で、中島大水道に詳しい落語家の笑福亭仁勇さんに、淀川区での活動をご紹介頂いた後、上田長生さん(日本学術振興会特別研究員)にお話を頂きました。

終了後は、お菓子を食べながら交流しました。
中島大水道に対して熱い思いを持っている参加者同士、大いに盛り上がりました。

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企画者の天野先生の感想をご紹介します。(小平)

■天野先生 感想

 上田長生さんの2009年度大阪市生涯学習ネットワーク事業で実施された「中島大水道を知ろう!」の記録を見せていただき、ぜひ直接お話をお伺いしたいと考えていました。今回やっと「緑道サロン」の例会としてお迎えできたことは大きな喜びでした。
 「“中島大水道”とは何か」「江戸時代の大阪と周辺地域」「幕府への訴願・背景と経過・訴願の特徴」「大水道の開削・普請の経過・普請の特徴・開削の結果」「“三義人説”について」と詳しく資料を提示されてのお話に参加者は多くの新しい発見がありました。
 「伝承がどのように形成されていき、地域で共有され、どんな役割を果たしたのかという点も地域の歴史を考える重要な視点。」
 「惣代・“義人”だけではなく、実際に開削の計画過程での粘り強い話し合い、幕府・領主と交渉したり、普請に携わった地域の多くの人々の存在についても忘れてはいけない。」という提起は今後の研究のテーマでもあるように思いました。
 「中島ダイ水道」なのか「中島おお水道」なのか、単に「中島水道」なのかも話題になりました。

緑陰道路サロン世話人会 代表世話人 天野憲一郎

Filed under: 中島水道サロン(事務局) — aozorafoundation 公開日 2012年3月28日10:35 AM

小学生が演じる中島大水道の人形劇

3月25日、淀川区役所で「ものがたりのちから 人のながれ 川のながれ 歴史・文化のながれ」が開催されました。

江戸時代の農民が掘った農業用排水路『中島大水道』の物語を、地域の小学生が人形劇で演じると聞き、見に行きました。

東淀川区の淡路から、淀川区、西淀川区を通る9.5kmの大水道です。
中島大水道の流路は、西淀川区の大野川緑陰道路の一部にもなっています。

「さいの木神社物語」、木川南小生涯学習ルームの小学生が出演します。

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幕府に請願した中島大水道の開削。
農民達に幕府から「百姓自前普請」の命が届きました。農民が自分達でつくれという命令です。
ECOまちネットワーク・よどがわの一栁正義会長のご先祖、一栁太郎兵衛も登場。一番右です。
中島大水道の開削に命をかけた三庄屋のひとりです。

コピー ~ IMG_8524
「百姓普請」の命を取り下げ、さらに開削を許さないという幕府。
それでも百姓達は水害から村を守るために開削し、指導にあたった3人の庄屋さんが抗議の切腹をしたと伝えられています。
庄屋さん達が白装束に身をつつみ、切腹のシーンです。

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三人の庄屋をさいの木神社に祀る農民達。

コピー ~ IMG_8532
約20分の人形劇、子ども達の熱演に満席の会場から大きな拍手があがりました。

指導をしている方が、『子どもたちに当時の人々の気持ちになって演じて欲しい』と語っていたことが印象的でした。

かつてこの地にひろがっていたであろう江戸時代の農村風景と人々の暮らし、命をかけた先人の思いが、演じた子ども達、見ている子ども達の心の中に残っていくことを願っています。

緑陰道路サロン、ECOまちネットワーク・よどがわ、あおぞら財団が作成した展示も貸し出しました。
コピー ~ P1170590

絵本や紙芝居の読み聞かせ、淀川いろはかるた大会なども行われ、会場は子どもからお年寄りまで大盛況でした。
コピー ~ P1170579

(小平)

Filed under: イベント報告・ホームページ更新,中島水道サロン(事務局) — aozorafoundation 公開日 2012年3月26日1:28 PM

第13回緑道道路サロン「中島大水道を考える」

第13回「緑陰道路サロン」イベント

「中島大水道を考える」

講師:上田長生さん(日本学術振興会特別研究員)

西淀川区民の憩いの緑地、大野川緑陰道路は、江戸時代の農民が排水の為に掘った「中島大水道」の流路です。

中島大水道の古文書の解説と、江戸時代の当時の農民の人々の暮らしをお話をして頂きます。

日時:2012年3月24(土)13:30~15:30

場所:あおぞらビル5階 エコミューズ(JR東西線 御幣島駅11番出口すぐ)
参加・資料代:500円

主催:緑陰道路サロン(旧大野川緑陰道路の教材づくり研究会)
申し込み先:事務局「あおぞら財団」℡06-6475-8885 FAX 06-6478-5885

Filed under: 中島水道サロン(事務局) — aozorafoundation 公開日 2012年3月1日4:07 PM

中島大水道の跡をたどる

昔、東淀川区~淀川区~西淀川区にかけて大阪湾へつながる『中島大水道』という農業用の排水路がありました。江戸時代の農民が自力で掘ったもので、全長約9.2kmあります。

低地だった為、雨が降ると農地に水がたまってしまい、排水に悩む当時の農民達が幕府に排水路建設を訴えました。
ところが、幕府の許可が下りず、困り果てた農民達は、無許可のまま自分達でりぬきました。
指揮をした庄屋さん3名が幕府に抗議をし自害をしたと伝えられています。

中島大水道についての説明 詳しくはこちら
東淀川区HP中島大水道跡説明

今は中島大水道の流路は埋め立てられています。
西淀川区を通る一部は大野川緑陰道路になっていますが、殆どが道路になったり建物になったりどこに流れていたのか、激変した町の中ではなかなか分かりません。

中島大水道を多くの人に知ってもらうために、ウォーキングマップをつくろうという取り組みをすすめています。

緑陰道路サロン、ECOまちネットワーク・よどがわ、あおぞら財団が協力し、すすめていたのですが、今回、中島大水道に詳しい落語家の笑福亭仁勇さんに案内をしてもらいました。

笑福亭仁勇さんは、あおぞら財団の会員にもなっています。(ありがとうございます)

*仁勇さんのブログ「にゆう・わーるど」の「街道以外をもゆく」のページの中に、仁勇さんが中島大水道のことをまとめています。

10月24日(月)、中島大水道に関心のある人たち、10人で歩きました。

明治18年の地図
中島大水道 明治時代の地図
今の淀川の開削の前です。
青線が中島大水道です。この時代の地図にはしっかり残っています。
農地がひろがっている様子がわかるでしょうか。

現在の地図
中島大水道 今の地図
明治の地図と重ねたところ、少々ずれているので中島大水道跡を点線(青線)にしてます・・・

◆東淀川区(淡路)

①まずは、中島大水道スタート地点に残る『新太郎松樋の跡』
P1130859

新大阪駅をつっきります。
P1130884

②中島大水道を開削を指揮した農民代表の庄屋さんをまつる「さいの木神社」で記念撮影。
中島水道開削工事の責任者、澤田久左衛門・一柳太郎兵衛・西尾六右衛門の三庄屋の冥福を祈って建てられた社です。
P1130907

◆淀川区
③木川西と野中南の境界の道路になってます。
P1130941

④淀川区・区民センター前の交差点。この道をまっすぐ中島大水道が通っていました。
P1130950

⑤土手の堤防にあがる階段の跡(十三)。今は十三バイパスの高架下になっています。
P1130967

◆西淀川区
⑥大野川緑陰道路
P1140002

⑦中島大水道跡石碑
P1140003

中島大水道はもうすこし続きますが(福村〈今の西淀川区福〉と伝法村〈今の此花区伝法〉の間を通り大阪湾へぬけていました。今は中島大水道の終点は、淀川〈明治時代に開削〉の中です)今回は、ここまで。

約8kmを歩きました。1時30分に集合し、終了は5時近く。
3時間半のウォーキングです。
みなさんお疲れさまでした。

<参加者の感想>
・仁勇さんのお話はとても興味深く、結構長い距離でしたが、あっという間に過ぎました。
どちらというと、今までは西淀川区の歴史を勉強しており、中島大水道と淀川区東淀川区の人達の関わりが、理解できていませんでしたが、今回、三義人のこともわかり、人と川のつながりなど、よくわかりました。
・今は水辺というと大きな淀川
中島大水道があった時代は、水辺の子ども達の遊び場もたくさんあったんだろうと思いを馳せてあるいた。
・いろんな人の話が聞けて良かった。健康にもよかったでしょう。
西淀川区の史跡も歩きたい。
・学習しないと気がつかない町の中の歴史にふれることができた。
・水害などの防災と絡めて現在に伝えられるのではないか。

この日歩いた結果は、西淀川高校文化祭(11月5日)や、あおぞらイコバで紹介いたいと思いますので、お楽しみに。

*参加した野里ヒクイナ会の井川さんも、まち歩きの様子をブログに掲載しています。
コチラ→ にしよどBlog

Filed under: イベント報告・ホームページ更新,中島水道サロン(事務局) — aozorafoundation 公開日 2011年10月25日6:17 PM
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