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新職員町中研修


 4月から、あおぞら財団で職員として働くことになりました、森井です。よろしくお願いします。
 4月2日、あおぞら財団のベテラン職員である上田さんに、西淀川の町を案内して頂きました。
 桜が咲き始めた緑陰道路を通り、国道43号線へ。きれいな川から、異臭を放つヘドロが流れる川へと変貌してしまった大野川の歴史と公害問題、その後の住民運動について学びました。
 43号線には、少しの間いただけですが、すぐに大型トラックの多さに気付きました。その排ガスの多さと振動の大きさは印象的でした。

 散策の途中あおぞら苑にもお邪魔しました。(あおぞら苑についてはコチラ
 テレビを見たり、お友達と話したり、ご自宅を訪問したのかと錯覚するくらいに、ゆっくりとした時間が流れていました。

 西淀川公害医療センターでは、公害被害がひどかった当時の、患者会と医師会のつながりについて説明を受けました。

 最後に池永邸内にお邪魔させていただきました。(池永邸についてはコチラ
 立派な庭園を維持するご苦労なども伺うことが出来ました。

 街中に残された歴史跡なども見ることができ、西淀川を少し身近に感じることが出来たと思います。これからは自分が西淀川の町を紹介できるようになりたいです。
(森井)




Filed under: 事務局より — aozorafoundation 公開日 2010年4月7日4:24 PM

淀協新入職員研修を受け入れました


2010年4月1日(木)に財団法人淀川勤労者厚生協会(淀協)
新入職員研修の受入を行いました。

淀協とは、西淀川に密着した医療機関・施設のネットワークで、
安心して住み続けられるまちづくりをすすめられている団体です。

まず、財団職員の眞鍋麻衣子より西淀川公害についての説明と
あおぞら財団の紹介を行った後、公害患者さんの語り部である、
永野 千代子さんと和田 美頭子さんのお話を聞きました。

永野さんからは、家族がぜんそくになり裁判に参加する経緯や
ご自身も公害病に認定されたお話がありました。

話の締めくくりに「私たちはもう歳もとったし、やりたくても
できない。若い人たちが西淀川の空気をきれいにしてほしい」と
熱いメッセージをおくられました。

続いてお話をされた和田さんは、公害病から裁判にかけての
心情の変化を語られました。

公害病がひどくなるにつれて
「こんなことで死にたくない」と思っていたのが、
病気のしんどさ、つらさから
「こんなことで生きてられない。死にたい」
となげやりになっていったそうです。
しかし、裁判の運動に関わるうちに
「こんなことで死んでたまるか!」と
思うようになっていったそうです。

お二人のお話に対する質疑応答では、
「西淀川を離れようと思わなかったのか」との質問に
「ほかに行っても看てくれる医者はいない。ここでの治療が1番。
そして西淀川の空気をきれいにしたい」と答えれました。

次にあおぞら財団名誉理事長で、西淀川公害患者と家族の会会長である
森脇 君雄さんがお話をされました。

森脇さんは淀協の職員として病院建設に関わった経緯や西淀川の現状に
ついてお話されました。
約束として孫・子のためにきれいな空気を取り戻すことを熱く語られました。

公害と戦ってきた三人のお話は、公害が過去のものではなく今も続いていると
改めて感じました。そしてきれいな空気を取り戻していく意義を再認識しました。

(北中)




Filed under: 事務局より — aozorafoundation 公開日 2010年4月2日5:35 PM

あおぞら財団会員のつどい2010を行いました


3月20日(土)15:30から
「あおぞら財団会員のつどい2010〜地域ですすめる環境学習〜」を行いました。
「会員のつどい」とは、
普段それぞれの分野・事業でみなさんと一緒に活動をしているあおぞら財団ですが、
その活動を、財団を支えてくださっている会員の方に知っていただこう!(もちろん会員ではない方々にも)
それから意見も色々出していただこう!と、一昨年から始めたもので、今回で3回目となります。

今回のつどいは、テーマを環境学習に絞って行ない、18名の方が参加されました。

(第1部)
第1部では環境学習の分野で財団と一緒に活動している方々に
それぞれの活動内容などなどについて発表していただきました

◆西淀川ESD(伊藤司さん:大阪市立佃中学校教諭)
◆子どもの参画べんきょう会(山本康子さん:ガールスカウト大阪支部26団)
◆フードマイレージ教材化研究会(平尾真理子さん:大阪市立川北小学校教諭)
◆緑陰道路サロン(西口勲さん:元大阪市立歌島中学校教諭
            天野憲一郎さん:大阪市立四貫島小学校教諭)
◆ECOまちネットワーク・よどがわ(一栁正義さん:ECOまちネットワーク・よどがわ会長)

ひとくちに「環境学習」といっても様々な活動があるんですね。

それから、あおぞら財団事務局長の藤江が、財団の活動全体について報告しました。
普段環境学習で関わる皆さんには新鮮な話だったかも?です。

(第2部)
第2部では、「みんなでやろう 地域ですすめる環境学習」と題して、
環境学習についてわかった事や思った事、提案や質問それから財団の活動全般に対しての意見などを出し合いました


−寄せられた意見−
◆緑陰道路サロン次回はぜひ参加したいです。
◆財団の1階が暗くて入りづらいので工夫が必要では。
◆子ども達向けに分かり易く環境学習をしているのが、とても良いと思いました。
◆廃油を持ってきた人にBDFがこんなものであり、こう動くという風に説明できる簡単なもの
 がないかな。
◆いろんな人が集まっていろんな知恵がある。人を呼び寄せる力が財団にはあるのかな?

−会員のつどいに参加しての感想−
◆1部の時間が少し短かったのでは。
◆毎回ちがったやり方で進められているので、毎年参加してもあきません。
 本年は地元で活動している皆様が話して頂けたので短かったけど、わかりやすかった
 です。
◆他の団体の方々のお話を聞くことができて、有意義な時間でした。
◆多様なメンバーでしたが、ここに地域の企業、店、地域の役員etcが入っていないなぁ〜と
 思いました。難問でしょうが財源とかも考えると、メンバーに入ってもらえれば・・・と!!
 継続発展していくことを願います。
◆初めての参加でつどいのようすがわかりました。
 今後も積極的に参加できればいいと思っています。

などなど、皆さんのおかげで、素敵な会員のつどいにすることができました。
今回得られた課題をまた皆さんと考えて、よりステップアップできればと思います。

参加された皆さん、それからメッセージを寄せていただいた皆さん、どうもありがとうございました。

(眞鍋)




Filed under: 事務局より — aozorafoundation 公開日 2010年3月23日5:48 PM

西淀川中学校の職場体験実習!


西淀中学校の職場体験実習を受け入れました。
職場体験の動機を聞くと「小学校の時あおぞら財団のビデオをみて、自分も環境を少しでもいいから体験したいと思った」「環境問題に取り組んでみたかったので、身近なところから見てみたかった」「NPOを体験してみたかった」とのことでした。
天野憲一郎先生の西淀川公害の授業を小学生の時に受けて、「あおぞら財団」に興味を持ち職場体験の実習先に選んだ生徒もいました。

西淀川公害のビデオと、資料館の展示パネルとみてもらい、わかった事をレポートしてもらいました。

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「公害問題について」
私は、ビデオを見て、公害問題が大変だったことを知りました。小学校の時の授業で、たくさんの人達がぜんそくで苦しんでいることは知っていましたが、裁判が行われたこと、多くの人が亡くなったことは知りませんでした。昔のぜんそくの患者さんたちの治療法はなく、発作を少しおさえるための吸入器をつけていたそうです。今とはずいぶんちがうんやなぁと思いました。印象に残ったことは、大野川がずいぶんと昔は汚れていたということです。ビデオにでていた人の話では、50年くらいまでは水がすんでいてとてもきれいだった、もっときれいで泳げるくらいだったと言っていました。汚染されていた当時の川は異臭がし、川の魚たちも死んでいたそうです。工場が川に流していた水も公害をおこしていたそうです。昔の人達が裁判をしたり、がんばってくれたおかげで、大野川は緑陰道路に生まれ変わり、自然があるきれいなところになったんだと思いました。私は、もし、ぜんそくの人達が裁判を工場や国を相手に裁判をおこさないままだったら、今も、たくさんの人達が亡くなっていったり、しんどいままだったと思います。昔の人達がいろんなことをがんばってくれたおかげで、私達が健康にくらせることがわかりました。だから、私も自分にできることを少しずつやっていきたいと思いました。
【S・T】

「大気汚染のビデオを見て」
大気汚染のビデオを見て分かったことは、今の西淀川区はとても清潔で楽に暮らしているのに対し、昔の西淀川区はあんなによごれていたのをビデオでしりました。昔のいりょう器具はあんまり発達していないので、その病気はすぐになおらないものになって、昔の人はとても大変だと思いました。昔の大野川は、とてもきれいな川で、魚つりをしたり、泳げる川なのに工場の排水や生活のゴミで、とてもきたなくなり、うめ立てになりました。昔の人はその大気汚染に反対し、裁判をおこしたのにあまりみとめられませんでした。印象に残ったことは、昔は大気汚染になやんでいましたが、今の生活ではとても楽な生活をしています。私たちのすんでいるこの西淀川は、昔あのようにことがあったんだと思いました。もっとこの環境を大切にし、一人一人が注意していけば、これ以上地球をよごさずにすむと思いました。大気汚染のせいで、学校にかよえない人もいます。大気汚染がきえても、まだぜんそくの人たちがいるので、少しでもその人の役にたてるようになりたいです。大気汚染のせいで差別がおきて、仕事ができないということがありました。このような大気汚染はくりかえさないように注意し、川がどろでよごれないようにしたいです。
【T・B】

「環境と公害」
私は、環境のビデオを見てわかったことは、緑陰道路(大野川)は、昔、50年くらい前までは、大野川はとても「きれい」だったのに、いつのまにか大野川はきたなくヘドロとなってたまり、メタンガスが発生して西淀川区住民の人がくるしんでるなんてかんがえもつきませんでした。昔の大野川は、工場の輸送水路として活躍した大野川は工場の廃水や生活ゴミがたまり、水質汚染になったから1970年にうめ立てられました。約40年後あんなにきたなかった大野川が自転車歩行者専用道の大野川緑陰道路となり、約13万本の樹木が植えられ区民の宝になっているなんてしって、西淀川区住民の人々は「すごいんだなぁー」と思いました。次に私が一番印象にのこったことは、病気で学校に行けない、それから食事や入浴が困難、それから医療費がかかるなどで西淀川区地域の人は治療費がたかくて多くの人が、病院にいけなかったりする人がたくさんいました。ぜん息にかかるとせきがでたり、たんがでたりして、ぜん息にくるしみ眠ることができないほど、おもい病気ってことをあおぞら財団にきてはじめてしりました。西淀川区が一番ぜん息になっている人がいるのをはじめてしりました。なので本当にあおぞら財団にこれてよかったと思います。最後に、あおぞら財団でどんなことに「とりくんでいきたいか」というと、環境のことをもっとしって、それをまた環境のことを人につたえられたらいいなぁー、と思います。なのであおぞら財団で見た公害のこと、それから環境のことをもっとしりたいです。
【N・S】

「公害」
私は、今日初めてあおぞら財団の職場体験をやらせてもらい、まず最初に公害についてのビデオを見させてもらいました。そのビデオに映っていたのは、私達が今住んでいる町でした。けれども、私達が今住んでいる町とビデオに映っていた町は、全然違う町に私は見えました。建物がほとんど洋風になり、町が違う風に見えたのもあったと思いますが、一つだけ技術が進んだとしても変わってはいけないのは空だと思います。しかし、ビデオに映っている町は空の色が黒かったです。空が黒いと朝か夜かもわからなくなり、西淀川区に住んでいる人達の気持ちまで暗くなってしまいます。しかも、空の色が黒いだけではありませんでした。ビデオに映っている人は、自分や家族がぜんそくというとても恐ろしい病気にかかったり、身近な事では私達がしている洗たくというのは“服を洗って外にほす”というのが一般的だと思いますが、当時の人は服を洗って外にほすと『服が真っ赤っかっ。』と言ってて正直びっくりしました。その他にも季節が夏になると私の家はクーラーをあんまりつけないので窓を開けっぱなしにします。しかし、当時の人は窓を開けると『たたみまで真っ赤っか』と言っていました。けれども、どうして2〜30年くらいしか変わらないのにこんなに環境が変わったのか
私は疑問になりました。そして、その後もビデオを見ていくと空が黒色になったのは工場や車などから出る排気ガスのせいでぜんそくの原因もその排気のガスのせいだという事がわかりました。しかし、その排気ガスを出している工場は西淀川区の住民が苦しんでいるのに平気で排気ガスを出し続けました。それに怒った住民達は裁判を起こしました。けれども、その裁判で原告の言い分をなかなか受け入れてくれなかったそうです。しかし、21年たった1995年、やっと裁判に勝てたそうです。もし、その裁判で勝っていなかったら、西淀川区に住んでいる人達が裁判を起こしていなかったら私達の町の空は今も黒く、そして自分自身ぜんそくにかかっていたかもしれません。公害のビデオやパネルを見て思った事は、私達にきれいな環境を作ってくれた人達みたいに、私もなりたいです。公害などに直接関係はないけれど、ゴミの出す量を減らすとか、自分が今から出来る事を全てやりたいです。
【M・M】

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その他、4月に行われるタンポポ調べのチラシの作製や、リベラ発送作業の手伝い、大阪府地球温暖化防止活動推進員が講師として実践するフードマイレージ買物ゲームの生徒役をしてもらいました。

(小平 記)


Filed under: 事務局より,職場体験実習(中学生) — aozorafoundation 公開日 2010年3月19日3:52 PM

歌島中学校職場体験 天野先生の西淀川公害授業をレポート


2月17日、18日、職場体験実習の歌島中学校の生徒4人を受け入れました。
環境問題に興味があり、あおぞら財団を実習先に選択したとのことです。

17日は天野憲一郎先生が姫里小学校の5年生に西淀川公害の授業をするので、中学生も授業に参加、レポート作製を依頼しました。
天野先生は西淀川公害を子どもたちに伝えるため、教材作製や学校での授業をボランティアでしています。今回も、ボランティアのゲストティーチャーとして授業をします。

中学生には授業のレポート作製を通じ、
・西淀川公害を知り「未来に青い空を手渡していく」というあおぞら財団のミッションを知ること
・あおぞら財団の活動へは、様々な人たちがボランティアでかかわっていること
・レポート作製を通じてあおぞら財団の仕事の一つ「広報」の仕事を体験してもらうこと
の3つを学んでもらうことが狙いです。

■生徒たちのレポート
公害について 歌島中学2年 YA
僕は2月17日に公害問題についての話を聞きました。
今日は、姫里小学校に天野憲一朗先生がゲストティチャーで西淀川区の公害について授業をするという事で僕たちも姫里小学校に向かいました。
天野先生は大きな写真やビデオを使って授業をされました。
まず、最初に話してくれたのは「公害によってどのような病気にかかるのか?」という話です。
1つは、水俣病です。水俣病は体を動かすことが出来なくなる病気です。
水俣病の原因は工場から出る有機水銀と聞きました。そして、その水銀が川などに流れて魚や貝に害をあたえその魚や貝を人間が食べたそうです。汚染された魚を食べた母親の胎内でメチル水銀というのが体に入って、魚を食べていないのに水俣病になった赤ちゃんもいるという話を聞きました。
2つ目は、イタイイタイ病です。イタイイタイ病は骨が脆くなっていく病気です。
例えば、お医者さんが聴診器を患者の胸にあてようとすると胸の所の骨がくだけたりしたそうです。
これらの病気を聞いた時に僕はすごく苦しそうだな思いました。
3つ目は、もっとひどい四日市ぜんそくという病気です。
四日市ぜんそくは三重の四日市市での発症です。そして、空気汚染が問題らしいです。
病気についての話の次は「昔の西淀川区の公害」についてです。
西淀川区は他の工場地帯と比べても断然にひどかったらしいです。だから学校では、うがいをみんなで休み時間に毎日していたらしいです。灰やガスが空気中をまっていて2キロ先は全く見えなく昼間晴れていた日でも夜の様に暗かったらしいです。だから、住民は、工場に対して裁判で対抗しました。でも、工場の人達は、「排気ガスのせいじゃない」や「うちの工場は関係ない」などといって責任を認めません。
その結果、裁判は20年も続きました。
裁判の結果が出たのは1998年でした。裁判の結果を見にたくさんの被害者達が大阪高等裁判所に集まりました。もちろん、その中にはマスコミやメディアもたくさんいたそうです。
結果は被害者達が勝ちました。でも、僕はなぜこの裁判がこんなに長く続いたのか不思議に思いました。
今の西淀川があるのは、昔の人達1人1人のおかげだと思うので、
僕もこの青い空を無くさないようしようと思いました。

公害問題について 歌島中学二年 SK
ぼくは、今回の職場体験で姫里小学校に行って、いろんな体験の話を聞かせてもらいました。
まずは、公害はなぜおこるのかなどを聞きました。それは、工場のけむりや車の排気ガスのせいでいろいろな病気がうまれた事も聞きました。まずは水俣病という病気は水俣という都市で発生した病気なので水俣病という名前がついたというのも知りました。水俣病は1960年ー1970年の間におこった病気で歩くこともできず動く事も出来ない人もでてきました。そして水俣病が新潟でもおこりました。
それと、イタイイタイ病は、歩くだけや、握手をするだけでも骨折するという大変嫌な病気です。握手をするだけで骨折するというのはほとんどなにをしても骨折するということなので僕はぜったいにたえられないと思います。
一番ぼくがいやだなあと思ったのは西淀川公害によるぜんそくです。高度経済成長で都市は車でいっぱいで、高速道路もできそれに工場の煙などでなんと空は夜でもないし、天気がわるいわけでも無いのにくもっていました。それは車の排気ガスや高速道路が、原因です。
ぜんそくの主な病気の症状は夜、寝るときになると咳がとまらなくなると知りぼくはいやだと思いました。ちいさなこどもがいる学校などでは、休み時間には絶対にうがいをしていたそうです。
今でも空気はきたないというのもしりました。それに昔は前がみえなくなるほどの煙だったというのをしりました。今までは町の環境についてそんなに深くは考えたことはなかったのですがこの授業でかなり考えさせられました。
それに公害で病気になった人がいるのに裁判をしてもなんですぐに結果が出ないんだろうと思いました。また、誰が一番初めに公害病による裁判をおこしたのだろうと思いました。自分におきかえて考えると、裁判をおこすことはとても勇気がいることなので僕は言い出せなかったかもしれないと思ったからです。なんと 1978年〜1998年まで約20年間も裁判がかかりました。
でも20年の間にやっと公害について考えられて、いろんな保障なども作られたそうです。そして、裁判で公害を体験した人が裁判で勝ったときは、本当にうれしそうでした。
最後に、姫里小学校の先生の中には、公害がひどかった時代に西淀川の小学校で教えている人がいました。そのときは暗い空だったということを聞き驚きました。僕の近くに体験した人がいると思うと、すごいと思いました。最後に、やっぱり青空はいいなと思いました。


公害についてのお話をきいて 歌島中学�
�年 KS
今回は、天野先生に公害のお話を聞かせて頂きました。
公害によって引き起こされる、病気は、たくさんの人を苦しめることを知りました。水俣病では、主に工業の排水による水銀が原因で、水の中を通して魚に汚染され、それを食べた人達に、害をもたらします。水俣病にかかった人は、体が動かなくなるという、症状があらわれるそうです。汚染されていることを知らずにその魚を食べているのは、とても恐ろしいことだと思いました。また、その汚染された魚を食べた母親の中の胎児にも影響があることからも、公害は一時のことではないことも知りました。
イタイイタイ病では、骨がもろくなって痛みが伴う、これもまた恐ろしい病気であることも学びました。咳をするだけでも骨が折れてしまう、と言っていました。想像するだけでも痛みを感じられそうです。
四日市ぜんそくは、かなり多くの人々を苦しめました。夜中寝るときになると発作が起こるそうです。特に痰に苦しめられて、簡単に出せない事が多いと知りました。友達にもぜんそくの人がいて吸入器という物を持ち歩いていました。ぜんそくは、今だなお無くなっていません。これは僕達の世代に課せられた使命だと感じました。
これらの公害病は、自分達の町、西淀川区も例外ではありません。40年前の写真を見せてもらいました。それは、今知っている青い空ではなく、工場から湧き出る煙によってつくられたよどんだ空でした。青い今の空しか知らない僕にとっては衝撃的でした。青い空をしている今でも「公害」という言葉は消えていません。現に未だ、公害によって苦しめられている人はたくさんいるのです。目に見える所と見えない所の相違点を心の目で見てほしいということばが印象に残りました。
今回のお話を聞いて表面しか見えていなかった所がもう少し深い所を見ることができました。そこには、想像することもできない、患者の叫びがありました。僕達は、これからもっと環境や公害に関心を持ち、実行していかないといけないと思いました。
そして、もっと今よりも良い世界を創っていきたいと思います。

公害問題について 歌島中学二年NM
僕は、2月17日に公害の問題について考えるため、姫里小学校へ行きました。なぜ姫里小学校へ行ったかと言うと、公害の授業をしている天野先生の授業を聞いて、考えるためです。天野先生の授業は公害についての授業なので初めに授業を聞いていたら驚きました。なぜかと言うと、自分が住んでいるこの西淀川が昔は工場や自動車の排気ガスで空気が汚染されていたからです。空気が汚染されているから晴れていても前が見えなかったり、雨が降ったら洗濯物が汚れたりして大変だったそうです。しかも、空気が汚染されていたので「四日市ぜんそく」などが起こり大変だったそうです。
他にも、工場から出る水のせいで、「イタイイタイ病」や「水俣病」が起こりました。「イタイイタイ病」と言うのは骨がもろくなる病気です。だから、お医者さんが患者さんを聴診するために聴診器で音を聞こうとすると、肋骨が折れたり、脈を計ろうとすると手が骨折したりして大変だったそうです。
他にも、「水俣病」は、ご飯が食べられなくなったり、歩けなくなったり、寝たきりなったりします。「水俣病」の主な原因は、食事から来たりします。この病気は、熊本と新潟で同じことが起こりました。
そして、西淀川公害の患者さんが裁判を起こしました。裁判が始まった年は、1978年(昭和53年)の4月20日で、終わった年は、1998年(平成10年)の7月29日で約21年間続きました。
そして、授業の終わりの方にビデオを見ました。そのビデオの題名は、「手渡したいのは青い空」と言うビデオです。ビデオの内容は、100年後の世界から来た少女と出会い公害について考えると言う内容です。
最後に今日の感想としましては、いままで、知らなかった公害について分かったことや、それを防ぐ為の方法など、すごくためになる話を聞けてよかったです。


授業の最後には、感想を小学生の前で発表しました。

その他、あおぞら財団会員のつどいで使う幕の作製や、会員向け手紙の発送作業なども、依頼しました。

4人とも、「環境問題に興味がある」という理由であおぞら財団を選択しただけのことはあり、とても意欲的に仕事をしていました。
依頼した仕事も、短期間にしっかりとこなしており、中学生でも随分と仕事ができることに感心しました。
また、早く作業が終わった生徒が他の生徒に声をかけ手伝うなど、4人で協力しあい仕事をすすめている姿が、とても印象的でした。

中学生のみなさん、お疲れさまでした。

(小平 記)


Filed under: 職場体験実習(中学生),西淀川公害授業 — aozorafoundation 公開日 2010年3月1日3:51 PM
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