あおぞら財団 (2) 原風景 -西淀川ヒストリー 二、水郷の時代-
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(2) 原風景 -西淀川ヒストリー 二、水郷の時代-

今でこそ川はコンクリートで護岸され、人の立ち入りを許しませんが、 水草茂る川辺と漁網がたれた街のたたずまい、広がる水田、とびかうトンボなどは西淀川の原風景でした。

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福の大浦渡し(昭和5年)

資料:出来島公園の紹介文

神崎川に浮いた一つの夢のやうな島、それが出来島公園約二万坪である。 阪神電車を千舟に降りると直ぐその景色が展開する。 島は鬱蒼した森を負ひ、神崎川の水を二つに分ける。 左岸は漁村の網を干した舟が眠り、橋には人の影もない。 大阪から十五分ばかりで、こんな長閑なところに公園が出来るのであるから市民も幸福である。
(「大大阪―都市緑化問題号」大阪都市協会、1929)

*写真は西淀川区制70周年記念事業実行委員会発行「西淀川今昔写真集」より抜粋

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