(6) 台風・水害 -西淀川ヒストリー 二、都市化の時代-
西淀川地域の歴史は風水害を抜きには語ることができません。 戦前の室戸台風、戦後のジェーン台風、第2室戸台風はその代表格です。 工業化による地盤沈下は、風水害による被害を一層甚大なものにしました。
外島のハンセン病保養院には人間回復のたたかいが記されています。 室戸台風で壊滅した後、岡山県長島に移設されました。
I地盤沈下で水没した臨海地区の向上(昭和36年) (1961)
*写真は西淀川区制70周年記念事業実行委員会発行「西淀川今昔写真集」より抜粋
明治以降のおもな災害
1868.05.14 | 加島村・御幣島村・福村・大和田村・佃村・矢倉新田・稗島・蒲田新田・百島新田の堤防決壊 |
1868.07.14 | 旧淀川決壊 |
1871.05.18 | 安治川・中津川河口部堤防決壊、矢倉新田・布屋新田水没 |
1885.06. | 旧淀川左岸地域の大洪水、「枚方切れ」 |
1889.08.13 | 旧淀川洪水 |
1891.08.16 | 高潮。新田の堤防決壊 |
1896.07.21 | 神崎川・淀川洪水、稗島・千船・歌島村に被害 |
1896.09.08 | 神崎川出水、御幣島・歌島・加島・稗島など浸水 |
1903.07.09 | 神崎川氾濫、加島堤防決壊 |
1917.10.01 | 淀川大洪水、「大塚切れ」、西成郡内広域にわたり浸水 |
1934.09.21 | 室戸台風、区内全域浸水 |
1950.09.03 | ジェーン台風、区内全域浸水 |
1953.09.25 | 台風13号 |
1961.09.16 | 第二室戸台風、大和田・出来島・御幣島地区等床上浸水 |
出典)「西淀川区史」1996
証言:ジェーン台風での診療活動
9月3日。まだ夜も明けきれぬ大阪平野をジェーン台風が直撃しました。 (中略)夜がすっかり明けてから外へ出て見て驚きました。 電柱は傾いているわ、電線が切れてだらーっとぶらさがっているわ、割れたガラス、 飛んできた瓦がいっぱい散らばり、看板やトタンの板が、あっちこっち無残な姿で倒れかかっています。(中略)
「堤防が切れよったみたいやなあ、高潮がどーっと入ってきよって、二階から見たら、見渡すかぎり水浸しやあ、人の胸ぐらいまで浸かっとるわい」(略)
「先生!えらいことですわ。小学校に避難している中には大分怪我人がでているようですよ」(中略)
「よっしゃ!わしらがいかだでおくったげるわ!」
(中略)すぐさまドラムカンを三つばかり組みあわせ、その上に古材の板でイカダを組み、 その上にタライをのせ、見る見る上陸用船艇のようなものが出来ました。 そのタライの上に私がのるという寸法です。(中略)
イカダをよせますと、二階の窓からロープがおろされます。 まず往診鞄を首にかけ、ロープを力いっぱい握ります。 上からは患者の家の人がひっぱりあげる、下からは山口さんと若い衆が私のお尻を持ちあげる、 イカダがぐらついて、山口さんが濁水の中へドボーン!…やっとの思いで二階のひさしに足をかけ這い上がります。 (中略)患者の家族は泣いて喜んでくれました。
(沓脱タケ子「タケ子の青春ノート いのち愛くしみ」清風堂書店、1982)
From Takeko’s Memoirs of Youth: Love of Life, by
Takeko Kutsunugi, published by Seifudo, 1982.
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