(4) 軍需景気と工業化 -西淀川ヒストリー 二、都市化の時代-
阪神地域は産業革命以降、工業化が進み、公害問題も顕在化。 農民などによる公害反対運動も多発しましたが、強まる軍靴のひびきの下で打ち消されていきました。
大戦末期には、工場地帯は壊滅状態となり、産業活動が停滞。 昭和初期以来の地盤沈下も停滞し、諸説論争があった地盤沈下の原因が地下水使用過多説(和達清夫博士)の正しさが立証されました。
*写真は西淀川区制70周年記念事業実行委員会発行「西淀川今昔写真集」より抜粋
工場都市出現 延びる延びる阪神国道筋へ
「産業日本」の脈打つ心臓 年平均二百の進度
資料:「大阪朝日新聞」(1936.11.16「工場都市出現」の記事より)
産業日本の心臓大阪市の底知れぬ生命力は淀川を超えて北に、伸びる!伸びる! なかでも西淀川区大和田町、御幣島町、佃町一帯の阪神国道沿線から尼崎市に接する広大な地域は、 昭和八年来の貿易状況と軍需景気に煽られて、一年平均二百といふ驚異的増加率を示し、 大和田署工場係員は殺到する工場新設願の書面に面喰らっているが、十五日現在の調査により、 遂に同署管内の工場総数が大小七百を突破したことがわかった。
しかも、その殆どがここ三年間に新設されたものなので、工場地帯としては日本一の発展ぶりだらうと係官も驚いている。 このうち、工場法の適用をうける十人以上の職工を使用する工場は四百六十、職工総数は六万に上り、 断然此花区を凌いで工業大阪の中心地へ飛躍したわけである。
(「大阪朝日新聞」1936.11.16)
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