あおぞら財団 (5) 戦災/西淀川空襲 -西淀川ヒストリー 二、都市化の時代-
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(5) 戦災/西淀川空襲 -西淀川ヒストリー 二、都市化の時代-

戦時体制のもとで工場都市化した西淀川は、先の大戦において度重なる空襲を招きました。

被害が大きかったのは、阪神国道沿いに宅地化が進んだ姫島町、佃町、大和田町、御幣島町、花川町、野里町でした。


西淀川区への空襲

攻撃日

(1945年)

主な攻撃地 西淀川区の罹災状況
総戸数

(戸)

総人数

(人)

死者

(人)

重軽傷

(人)

行方不明

(人)

3/13

第一次大空襲

大阪市内中心部 311 1,107 3 7
6/1

第二次大空襲

市北部、西部 186 689 5 32 1
6/7

第三次大空襲

市東北部 54 115 6 75
6/15

第四次大空襲

市内残存地域

尼崎市

9,022 29,717 105 493 3
6/26

第五次大空襲

住友金属

大阪陸軍造兵廠

1,135 3,863 70 156

注)

1.大阪府警察局の報告書による

2.小山仁示「西淀川公害 大気汚染の被害と歴史」東方出版、1988から作成

西淀川区の戦災死者

年齢
1~10 22 14 36
11~20 13 10 23
21~30 13 17 30
31~40 26 17 43
41~50 21 14 35
51~60 10 3 13
61~70 13 4 17
70以上 5 7 12
123 86 209

注)

1.年齢は数え年

2.西淀川区役所の報告書による

3.小山前掲書から引用

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