あおぞら財団 (9) たたかい -西淀川ヒストリー 三、公害の時代-
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(9) たたかい -西淀川ヒストリー 三、公害の時代-

はげしい公害と健康被害に対して、西淀川の住民は、公害をなくす会や患者会を結成。 運動を展開し、全国にさきがけて各種の対策を自治体に実施させました。

しかし、1970年代後半になると、財界の圧力の下、NO2規制値の緩和等、公害対策は次々と後退。 公害患者会は、被害者の救済と公害責任を明らかにするために裁判闘争にたちあがりました。 「手渡したいのは青い空」をスローガンに、広範な市民の協力により地道な活動を展開しました。

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西淀川区周辺の工場と道路

証言:患者(闘争の思い出)

三月十三日、十四日の公害指定地域解除反対の全国要請抗議行動は、折からの雨に雪を交える悪天候の中を、 予定のスケジュール通り強行され、寒さと雨風をはね返す熱気で、道往く人達も窓を埋める庁内の人達も、 此の悲壮とも云える真剣な患者のデモ行進に、胸を打たれたことと思います。
十三日夜の東京江東区の奥さん、川崎から両親に代わって朗読された娘さんの、 涙に声をつまらされた訴えは二千人を越す患者と支援の労組団体の方達の涙を誘いました。
私、先月退院したばかりで、体調も回復しない身体で、杖を力に経団連の前で死ぬ覚悟で、 妻や家族の引き止めるのを振り切って、(中略)参加しました。
夜中発作のため点滴と注射をうけ、合同庁舎周辺デモに加わりました。(後略)

(今川末四『青空』63号、1985.3.28)
主治医の診断通り主尋問、並びに反対尋問を終わる事が出来て実感として嬉しく思っています。
(略)あの時の一挙一動が提訴をしている会は勿論のこと、 西淀川裁判に支援して頂いている広範な諸団体の方々が注目されていると思うと一層緊張しました。(略)
私は今、二十四時間、酸素吸入をしなければ生きて行けない哀れな体となっていますが、 勝利判決を見るまでは、石にかじりついても生き延びたいと思っています。

(里邑吉雄「臨床尋問を終えて私の感想」、「青空」97号、1989.5.15)

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