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ブログカテゴリー » 西淀川公害がわかる資料集をつくろう

エコミューズ所蔵資料の勉強会(12/23)

昨年12/23に、資料集作成のための資料勉強会を開催しました。
この日は、西淀川訴訟弁護団資料の中から、裁判提訴前後の資料を見てみました。

資料の解題づくりに着手しました。

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エコミューズの活動は、みなさんから頂戴するご寄附を財源にしています。
いただいた寄附をしっかりと役立てられるよう活動をしていきたいと思います。
また、今後もぜひとも活動を支えていただきたく、寄附を募っております。
どうぞご協力をよろしくお願いいたします。

あおぞら財団への寄附についてはこちら。
http://aozora.or.jp/aboutkifu

あおぞら財団付属 西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)
http://www.aozora.or.jp/ecomuse/

利用時間:月および金 曜日 10:00-17:00
※事前にあおぞら財団まで電話連絡をお願いします。
#おもろいわ西淀川
#にしよど
#魅力発信サポーター

西淀川公害=資料の紹介(4)1970年代初頭 行政が対処する問題として西淀川の公害にメスを入れる

※機関誌りべらで連載をしている所蔵資料紹介コーナーの転載記事です。
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大阪市西淀川区がいかにひどい公害地域となっていたか、1950年代後半から多くの人が知るところとなっていた。悩みに堪えかね、ひどい汚染をまき散らす大阪製鋼・田中電機・永大産業など個別企業を厳しく追及したことも少なくない。調査すれば、さらにいろいろ出てくると思う。しかし、それを国や府の政策の問題として取り上げ、住民の声、公害患者の声をまとめ上げ、適切な処置を求める動きは1970年代初頭以降のことであった。

田中千代恵氏資料No.26-2_page-0001

田中千代恵氏資料No.26


写真は、当時千北病院公害被害者検査センター検査技師だった田中千代恵氏が書き上げていた研究メモである。ここには「公害問題」と題を掲げ、その下に「公害病患者の実態の系統的追究」として、『当院における公害病認定患者の治療数』『大気汚染の状況』『患者の実態の変化』『治療日数』などについて、主として40歳以上と12歳以下集団に分けて追究したので報告する」といった文章と統計数字がたくさん記されている。また、大阪府や市の公式報告書からも必要な情報を抜き出している。まさに、西淀川に即した事実の解明がどう行なわれたかを記録する資料群と言っていい。文字は達筆で、かつ丁寧、正規の報告書に掲載する前の原稿といった趣である。

田中千代恵氏が千北病院を基盤にこうした調査を丁寧にやり始めたきっかけは、1969年12月公布の「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」の実施において認定患者数が日本一の記録を常に更新し続け、SO2の排出量減少にもかかわらず、ぜんそくなどで苦しむ患者が減っていかないという西淀川区あるいは大阪市の現実に危機感を抱いたからにほかならない。田中千代恵氏の資料には、こうした調査を基礎としてこの時期以降展開する住民組織「西淀川から公害をなくす市民の会」と患者さんたちの組織「西淀川公害患者と家族の会」に関わる記録がたくさん存在している。

エコミューズ館長 小田康徳

 

 

 

りべらVol.160(2022年10月発行)より抜粋

エコミューズ資料勉強会(9/29)

さる9月29日(木)に、西淀川・公害と環境資料館では、定例会議と資料勉強会を行いました。定例会議と資料勉強会は月に一度の頻度で実施しています。

今回の資料勉強会では、西淀川公害裁判の節目となった3・18府民大集会(1988年)の資料について検証しました。当時、会場である中之島公会堂が満員となる程の大集会でした。資料からはその熱気が伝わってきます。

エコミューズ小田館長の指導のもと、資料の勉強会をしています

資料勉強会の様子

 

西淀川公害運動のターニングポイントの一つ「早期結審・完全勝利をめざす3・18府民大集会」

 

3.18府民大集会の資料。講演や報告だけでなく劇もされていました。

 

西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)HP
http://www.aozora.or.jp/ecomuse/

エコミューズ所蔵資料の勉強会(5/23)

先月、5/23に月に一回行なっている所蔵資料の勉強会を開催しました。

この日は千北診療所の検査技師であった田中千代恵氏の資料を取り上げました。
その中からは、西淀川公害患者と家族の会が発足(1972年10月29日)した際の議案書の草稿らしきメモ(手書き)が出てきました。
当時の状況や公害問題解決を目指して真摯に取り組む様子を、一次資料から追体験する事が出来ました。

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http://aozora.or.jp/aboutkifu

あおぞら財団付属 西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)
http://www.aozora.or.jp/ecomuse/

利用時間:月および金 曜日 10:00-17:00
※事前にあおぞら財団まで電話連絡をお願いします。

西淀川公害=資料の紹介(3) 大野からみた福駅方面の写真 

※機関誌りべらで連載をしている所蔵資料紹介コーナーの転載記事です。
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写真は、大野の集落から今は緑陰道路と呼ばれる大野川をはさんで東の方向を見た1956年頃の風景である。写真には大野川を隔てて阪神電鉄福駅や、その右側には当時伊藤と呼ばれた日本化学の工場が増設のためか、足場を組んでいるのが写り、右端には大阪製鉄(後の合同製鐵)の木造2階建て社宅も大きく写っている。日本化学については「煙がすごかった」との注釈が写真裏面に記されている。当時小学校高学年でときどきこの地を訪問していた女性の記憶によれば、川は灰色で、何がいるのかわからなかったとのこと。一方、大野の集落側の川沿いは小さな船着き場だったのか、大人が子供たちと並んで、季節の陽気を楽しんでいるようにも見える。右側の男性は船の中か。当時草むらの中には野生のアヒルが卵を生み、それを探す人もいたという。くつ・ぞうり・はだしといった子どもたちの足回りにも注意してほしい。

農漁村の面影を多分に残しながら、大阪市の北西~西部地域では戦後朝鮮戦争の影響下急速に工業生産力を伸ばしていた。そこでは、無計画に立地した中小の工場を中心に、労働者の住宅・商店などが密集し、地域の姿も農漁村から工業地域へと急速に変貌しはじめていた。行政が空気や水への環境汚染を放置し、都市の公共的な生活基盤への投資をないがしろにしていた歴史を物語る写真と言っていい。西淀川公害の歴史的背景でもある。

エコミューズ館長 小田康徳
3 大野からみた福駅方面 1956年ごろ

塚口アキエ氏資料No.3

りべらVol.158(2022年4月発行)より抜粋

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