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エコミューズ館長日記No.5

台風10号が大きく西へ逸れた。大阪襲来は29日以降まで延びたようだ。

今日はお客さんが2組も来られた。

午前中からは旧知の小林啓(あきら)氏。10月以降大阪産業大学で環境政策論を担当されるとのことで、西淀川公害は重要と述べられる。資料集の第1章、第2章に掲載予定の資料原本を見ていただきつつ、歴史に遡った資料原本の調査が大事なことを交々話す。(「交々(こもごも)」という言葉をミナコさんは初めて聞いたとのこと。あぁ、あまり使わない言葉になっているんだなあと感じて、自分が歳をとったことを感じた。ただしパソコンではすぐ「交々」と出た。どんなもんだ!)

小林氏とは話が弾んで、昭和10年代大阪産業の機械化が東京に比べて遅れを取っていくこと、また、化学工業がこの時代装置産業でなく、労働者の肉体労働によって成り立っていたことなどを話し合った。小林さんは10月以降の環境政策論講義概略を見せてくれた。15回の講義、1度も手を抜かず多方面のテーマが並び、内容・方法、取り上げるべき事象、説明事項、考え方など細かく書き上げておられて、自分はちっともそのような準備をしていなかったことを恥じるとともに、この先生の授業を聞く方の幸福なことを思った。ただ、脱落者が出ないことを祈るのみ。

午後からはPeace&Nature数名の訪問を受けた。案内は財団事務局長藤江氏が説明していたので私はあいさつ程度で留めた。ミナコさんも静かに聞いていた。

 

さて、以上の対応が終わってようやく本来の資料調査にかかることができた。本日は第3章で、前回の続き、すなわち西淀川公害反対運動の基本的な担い手である西淀川公害患者と家族の会の創設に関わる資料の調査である。ここで会の機関誌「青空」が出現する。最初は田中千代恵氏の「公害問題」と題する手書きの原稿である。「青空」掲載の文章を読む。公害による苦しみは患者個人のみではなく、その家族に及んでいること、その苦しみの責任が患者等にはないこと、その保障を求める権利があることなどが切々と論じられ、心が打たれた。

 

次回以降はさらにここのところを読み続けていきたい。

 

2024.8.27 小田康徳

 

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あおぞら財団付属 西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)では、西淀川公害がわかる資料集を作成しようと、ほぼ毎週、小田康徳館長が来館し、調査作業を進めています。そのようすを「エコミューズ館長日記」にてお届けします。

【ご寄附のお願い】「西淀川公害がわかる資料集」のための寄附を募集しています。どうぞみなさまの寄附でこの活動を支えていただきますようお願いいたします。
■寄附の方法はこちら https://www.aozora.or.jp/ecomuse/contibution_doner

※資料集のウェブ版作成には、(独法)環境再生保全機構地球環境基金助成金を活用しています。

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【インターン】地震学会のフィールドワークに行ってきました!(8/22)

8月22日(木)、地震学会の方々約26名と矢倉緑地でフィールドワークをしてきました。様々な地域の先生や教授たちと見て回りました。

矢倉緑地が震災遺構として認定されました!

矢倉緑地は、大阪府大阪市西淀川区西島の矢倉海岸にある公園で、淀川と神崎川河口にはさまれています。昭和9年(1934年)の第1室戸台風で水没した田畑を埋め立てた土地で、平成9年(1997年)から造成を行い、平成12年(2000年)にオープンした都市公園(面積は24,000㎡)です。

あずまやで矢倉緑地の紹介をしています

阪神淡路大震災(1995年)で、矢倉緑地・神崎川側の防潮堤の地盤沈下が起こった結果、護岸が水につかり、土砂が堆積して自然に干潟ができたそうです。

矢倉干潟には多くの生き物が集まっており、カニやフナムシ、トリ、ボラなどのサカナ、ネコなどが見られました。

阪神淡路大震災で被害を受けた施設の多くは修復され、現在は、その痕跡を留めていませんが、同場所は被害を受けた時の様子をそのまま残している貴重な「震災遺構」だと仰っていただきました(スゴイ!)

右側に干潟が見えます

 

矢倉緑地に至る淀川沿いや神崎川河口には多くの鳥が訪れる様子を観察することができ、住民の憩いの場となっています。

9月1日には探鳥会があり、磯の生物を見れるのが楽しみです。

【参加募集】矢倉海岸・緑陰道路 探鳥会(9/1)

(あおぞら財団インターン 加嶋)

Filed under: イベント報告・ホームページ更新,環境学習 — aozorafoundation 公開日 2024年8月26日8:30 PM

エコミューズ館長日記 No.4

今日は午後からエコミューズ定例会議、資料勉強会と続いた。
資料勉強会は、アルバイトのミナコさんが、1969年5月以降喜多幡龍次郎さんが中心となって始められた中島大水道・大野川緑陰道路の緑道化に関する資料の紹介を行った。

ということで、21世紀生まれのミナコさんは朝から関係資料の文字の読み方や意味の理解に大わらわだった。
「この文字なんと読むんですかー?」「だいぶ時間をかけてみたのですがわかりません」という悲鳴。

ついつい親切心が湧きおこり、その上知ったかぶりもしたくなって、読み方を教えた。その上、戦後の国語教育の実態など、戦後生まれの人が古文書が読めなくなることについて、ついつい不要な講釈を垂れた。
「これは「区長―喜多幡」と書いているよ。」「あーなるほど!」といった塩梅。
ところでこの「区長―喜多幡」というメモは、勉強会になった時に、喜多幡氏が住民を代表して「大野川埋め立て後の土地利用を、当時の大阪市助役の大島氏に聞き取る予定」と書かれていた会議資料の裏側に記載されていたもので、会議資料の計画性が浮き彫りになるものであった。
「いやぁ、こうしてみると、メモも貴重だなぁ」と驚き、思わずミナコさんを褒めてしまった。

勉強会では、緑道化実現の経過が大きく復元できる多数の資料ファイルに、参加者から驚きの声が上がった。
こうして、大野川緑陰道路の出現の背後には、その中心人物である喜多幡龍次郎と、彼を支える多くの人々の存在があることが分かってきたのである。重大な史実の解明であったと感じた。
この運動と、「永大石油鉱業の公害問題反対運動」→「西淀川から公害をなくす会」→「西淀川公害患者と家族の会」と続いてきた運動とどのように関係していくのだろうか。改めて調査し、それぞれの運動の特質を知っていかねばならないだろう。

 

 

2024.8.19 小田康徳

 

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エコミューズ館長日記 No.3

西淀川公害資料集も今日から第3章に入る。
第3章のテーマは、「地域における生活環境を守る戦い」。
1967年ごろから1972年ごろまで学校の公害が問題となり、新聞で取り上げられ、生徒が作文を書き、先生方が研究活動を展開した。
このような公害に対する急速な関心の高まりは、住民たちにも強い影響を与えたようにも思う。

第3章はこのなかで、1つは社会党系の活動家であった喜多幡龍次郎さんが中心になって展開した「大野川緑地化推進委員会」の活動であり、もう1つは永大石油鉱業の公害問題から「西淀川から公害をなくす市民の会・西淀川公害患者と家族の会(患者会)」の結成に至る動きである。

今日は第1の運動にかかわる資料を見た。
喜多幡龍次郎さんは、自然と交わることが根っから好きだったんだなぁと思った。ドブ川となって西淀川区民を長年にわたって苦しめた運河を埋め立てて、今に続く緑道に転換させた。
その時の記録がほとんど欠かさず寄贈されていたのである。
いやぁびっくりしました。
西淀川公害との戦いの中から緑道ができたと漠然と思っていたのだが、喜多幡さんという人物を得て西淀川区民の願望を現実のものにしたことがありありと再現されるのである。
運動の始まりは1969年5月。
永大産業の公害に反対する住民運動は1969年7月のことであった。この2つの運動の流れがどのような軌跡を描き、相互に絡み合ってきたのか、興味津々となってきた

2024.8.16 小田康徳

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8/1(木) 中国の青少年による「善芸プロジェクト」研修受け入れ

あおぞら財団は、国際交流活動を通じて、公害や環境問題の経験を海外に発信することを努めています。

8/1に「Art for Good 善芸プロジェクト」(中国語:善艺计划)の研修を受け入れました。善芸プロジェクトは中国と日本の青少年が、それぞれの国の環境問題を学び、交流を通じて、視野を広げることを目的としており、あおぞら財団と長く付き合いのある環友科学術研究センターのセンター長・李力さんが、今回の活動の呼びかけ人の一人として同行しました。中国側からは浙江省の中学生9人、大人のスタッフ5人が来日し、日本側は、中学生3人、小学生6人が参加しました。

朝9:45、あおぞらビル3階のグリーンルームに善芸プロジェクトのメンバーたちが到着しました。アイスブレイクとして、日中の子が一対一のペアを組んで、善芸プロジェクトの子たちが着ているユニフォームに、日本の子が日本語のあいさつを書きました。

そして、李力さんからの挨拶のあと、あおぞら財団事務局長・藤江が西淀川公害のことについて解説をおこない、当時のようすがわかるビデオを視聴しました。

次に、西淀川公害患者と家族の会からは、須恵佐輿子さん、池永末子さん、事務局長の上田敏幸さんが参加しました。

須恵さんは自分の公害被害、公害病を患った生活の苦しさを子どもたちに伝えました。

お昼ご飯の時間が近づき、二人一組になって、タンデム自転車でくじらカフェに移動しました。子どもたちにとって、初のタンデム自転車の体験でした。

くじらカフェの各部屋で、みんなが楽しくお昼の時間を過ごしました。

美味しいカレーを食べた後、再びタンデム自転車に乗って、大野川緑陰道路を走り、淀川河川敷までサイクリングをしました。この日も暑い日でしたが、みんなで力を合わせて、がんばりました。

 

あおぞらビルに戻り、新たなミッションが出てきました。子どもたちがジャーナリストになり、お互いにインタビューする、というものです。インタビューを通して、お互いの理解を深めました。

あっという間に終了の時間となりました。最後は、本プログラムの認定証の授与が全員に対しておこなわれました。認定証には「あなたは善芸計画青少年中日環境外交プロジェクトに参加しました。このプロジェクトで学んだ外交理念と社会的責任感を、今後の学びと生活に活かし、愛と光を広める使者になってください。あなたは世界で最も希望に満ちた若者です!」と記されていました。日中の子どもたちは環境保全・公害問題というテーマを通して、お互いの国の文化や習慣などを学び、有意義な時間を過ごしました。

(あおぞら財団アルバイト王子常)

 


あおぞら財団では、フィールドワークや公害患者さんの語り部などを取り入れたオーダーメイドの授業、研修を行っています。SDGs達成に向け、パートナーシップで問題解決に取り組んだ大気汚染公害の経験を、現地で学んでみませんか?
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Filed under: イベント報告・ホームページ更新,国際交流,環境学習 — aozorafoundation 公開日 2024年8月15日11:24 AM
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