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» 2005 » 8月

市民塾参加メンバー田村さんからの便り


(道路環境市民塾事務局より)
7月から始まった第Ⅲ期道路環境市民塾のメンバー・田村さんから便りがありました。

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市民塾に参加してから、自転車でツーリングするときもいろいろと気にとめるようになりました。

週末に撮った「自転車とまちづくり」に関係するかと思われる写真を送ります。たわいもない写真ですが参考までに。

一枚目は自転車専用道の写真です。バスの左隣のレーンが自転車専用道です(これなら轢かれる可能性もあるが・・・)。




二枚目は駐輪場の写真です。スタンドがない自転車でも簡単にとめることが出来るラック式のものです。

自転車専用道やラック式の駐輪場がもっと増えてくれればありがたいのですが。

田村さんのホームページ「峠を越えれば





Filed under: 地域づくり | 道路環境市民塾 — aozorafoundation 公開日 2005/08/04(木) 05:31

What's your name??


2005.08.04           松浦寧々(あおぞら財団 インターン)
昨日今日と2日間にかけて、御幣島駅周辺の放置自転車調査を行った。駐輪場の自転車はいっぱい、放置自転車もいっぱい、撤去される自転車もいっぱい、この地域の方々には自転車文化が浸透しているということを感じた。そして同時に、地域の駐輪場の数の問題とマナー向上に向けての問題などを解決して行くべきことが多く見いだすこともできた。
炎天下の中で放置自転車を数えている際、野鳥の会などで使われている数を数える機器があったらよりスムーズに調査ができるのになぁと話していた。しかしよく考えてみるとその機器の名前がわからないことに気づき、躍起になって調べた。さて、この機器の名前とは一体?皆さんはご存じですか??
A数取器(度数計)
←どなたか数取器(すうしゅき?かずとりき?)の正しい読み方をご存じの方がいらっしゃいましたら是非コメントを@@




Filed under: にしよどnote — aozorafoundation 公開日 2005/08/04(木) 04:26

みずしま財団のブログ


あおぞら財団のお仲間の団体、「みずしま財団」は岡山県倉敷市水島にあります。公害地域の再生に地域の資源をいろいろと活かしながら取り組んでおられます。
みずしま財団のブログにも、ぜひ、訪れてみてください。




Filed under: 事務局 | 事務局より — aozorafoundation 公開日 2005/08/04(木) 03:43

てづくりせっけん教室



世界で一つ、私だけのかわいいせっけんを作りましょう。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
あおぞら財団 くじら工房

てづくりせっけん教室
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  ・お肌も心もうるおう♪ 
  ・メイクもバッチリ落ちる洗浄力!
  ・お肌のトラブルさようなら〜

8月11日(木) さっぱり和のせっけん
10月13日(木)しっとり豆乳せっけん
12月8日(木) 香りさわやかハーブせっけん

時間:いずれも10:00〜12:00
場所:あおぞらビル3F グリーンルーム
(大阪市西淀川区千舟1-1-1 JR東西線御幣島駅 徒歩3分)

費用:1回当たり 2,200円(材料費1,000円+受講料1,200円)
   ただし1回受講すると2回目からの受講料は600円と超お得!

   1回で8個のせっけんができます。
   おいしいティータイムあります。

持ち物:エプロン、ビニール手袋、洗った牛乳パック(1リットル用)

予約:2日前までにご連絡ください(電話・FAX・E-mail)
    下記に申し込み表あり。

定員:10名

主催:あおぞら財団 くじら工房

連絡先:〒555-0013 大阪市西淀川区千舟1-1-1あおぞらビル4階
財団法人公害地域再生センター(愛称:あおぞら財団)
担当:大野、鎗山、林(E-mail webmaster@aozora.or.jp)
TEL 06-6475-8885 FAX 06-6478-5885
ホームページ:http://www.aozora.or.jp

*出張教室もうけたまわっています。

あおぞら財団 くじら工房とは−−-
「環境と健康にやさしいライフスタイル」を
なーんかストレスの多いこのご時世。
ふーっと肩の力を抜いて体と心をほぐしてあげる時間が、
きっとみんなに必要なはず。
じゃあ自分たちにできること、好きなことからはじめてみようか、
ということで生まれたのがくじら工房です。
大海原を泳ぐクジラのように、ゆったりいきましょう。

・・・・・・・・・・・てづくりせっけん教室 申し込み・・・・・・・・・・・

氏名:
ふりがな:

住所:

電話:
FAX:
Email:

参加希望回:
□ 8月11日(木) さっぱり和のせっけん
□ 10月13日(木)しっとり豆乳せっけん
□ 12月8日(木) 香りさわやかハーブせっけん

ご意見・ご要望:

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Filed under: イベント案内 | その他の事業 — aozorafoundation 公開日 2005/08/02(火) 12:31

生い立ちの記6 中学から高校時代


中学から高校時代
 中学は有漢と上有漢が合同し生徒数も多く、一年生が3学級(140人)ありました。小学校の時から隣村で遊び喧嘩もした。「上有漢の突っ張り学校、ぼろ学校」と言われ集団で鞭やチエン棒などもって殴り込みにいったこともありましたが、いざ、同級生として机をならべ勉強をしてみるとおとなしい子供たちでした。
  1年から2年生の終る頃までは、ほとんど勉強はしなかった。学校には行くが遊ぶだけで、本も持っていった覚えがないぐらいでした。それでも何度か勉強をしようと思い教室に入ったのですが数学、理科、英語がついていけなく、国語はなんとかわかる程度、図画と習字は特別に出来ていた。必修科目ができなく教室にいても面白くなく、自然と時業を受けない日がつづきました。学校では有漢中の番長でもあった二つ年上の「辰巳屋の安さん」の下で餓鬼大蒋の真似ごとをしていた。担任は2年間、蛭田先生でこの人は学級を勉強の出来る子と出来ない子を分けて、特に出来ない子は放課後に残し暗くなるまで熱心に教えていたが、出来ない子にはこの授業は評判がよくなかった。私も残される組にいつも入っていた。
注1「1997年に有漢中学校創立50周年記念があり、同級生の加藤孝之君が有漢町長で教育長も同級生をしていた。記念講演に私と(村松弁護士)が呼ばれた。講演は中学時代の思い出と環境問題を取り上げました。今の蛭田先生はその後、校長にもなられ,教育長を務められるなど、町行政の上でも歴史を語る人として多くの人に尊敬されています。」又、「生い立ち」には歴史文献は蛭田先生(有漢点描)引用。
中学3年の時、有漢と上有漢に分かれ有漢中学校上有漢分校となり一つの学級になった。担任には宮城先生になり、少しは勉強をしました。お陰で卒業の時は努力賞を貰う。進学、就職のことが同級生のなかでも話題にあがるようにになりました。一緒に悪餓鬼をして遊んでいた子供のなかでも農家を継ぐ子、大工、左官、集団就職をする子、各自決めていました。私は決心が無いまま、先生に相談するとお前の成績では県立高校はこれから勉強の特訓しても「無理」と言われ、高梁市にある私立の日新高校を受ける事にしました。
恋心  恋心は、いつ、誰と、どこで、を思い出すのは難しい。小学校の頃になると同級生に胸が熱くなる子がいた。一緒にいたいが、いると、はずかしいので逃げる。その子は親戚で家が宿屋をしていた。何かあると良く遊びに行き「かくれんぼ」や泊り客で「富山の薬売り」のおじさんから紙風船などを貰っていた。
中学3年になると有漢から上有漢に移り、小学校の隅を借りて有漢中学上有漢分校(ヤドカニ分校)が出来た。女子新入生の中にテニス姿の美しい生徒がいた「話をしたい」「一緒に遊びたい」用事も無いのに遠回りして、その子の家の前を行き来していた。高梁に映画と松山城に一度だけ楽しいデートをした。その頃は手も握ることもでき無かったと覚えている。
当時、高梁には高校が4つもあり「県立高梁高校、高梁工業高校、順正女子高校、私立、日新高校」学生の街でした。有漢と高梁は20km程離れており通学には自転車が主な乗り物でした。バスも一日に2回ありましたが通学には利用していませんでした。
日新高校の歴史は明治37年7月に有漢村に「有漢教員養成所」として創立され、大正10年、その当時日本の代表的雑誌「キング」や「主婦の友」等で特集として「日本一の教育村」「無税無徴収の村」、として全国に記事が流れた。大正の初め有漢小学校長兼有漢教員養成所長に金岡助九郎が就任し、彼の教育えの強い熱情と信念により村の協力を得て、その規模を著しく拡大した、村の将来を考え女子教育の必要性を重視し村内の女子を無料で全員入学をさせ、教育費は全額村費で賄うものとして時代の最先端を行くものとして日本中の人々を驚かせた。「世界一の教育村」教訓例話辞典、大正11年には大阪朝日新聞、大阪毎日新聞、に載せるなど各紙が10年から14年に載せている。
山奥に珍しい共産村、税も取らず月謝もいらず、村民全部が中等教育をうけ、小使い、女子まで教員免許をもつと言われた文化村であった。
伯備線の終点が高梁になり、ここに岡山県高梁正教員養成所を設置する「大正3年」そして昭和5年に有漢教員養成所と高梁正教員養成所を廃止して岡山県高梁商業高等学校を設立しました。その後校名は3回変わるが昭和25年に日新高校になり現在に至っている。
「初代金岡助九郎、2代金岡武、3代金岡誠」で私の時代は2代目の校長で3代目は確か1学年上でした。




Filed under: 事務局 | 夢追い人 森脇君雄 — aozorafoundation 公開日 2005/08/02(火) 11:30
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